ずっと熱が下がらない状態にも関わらず、僕は無理を言って駐車場に止めてある車の中で休ませて貰っていた。
「いい?」
レベッカさんの声が聞こえて、閉じていた目を開けた。眩しさに眉根が寄る。
後部座席のドアにもたれかかったまま、掲げられていた煙草を「どうぞ」と肯定し、視線を車の外へと移す。
青い空に立ち昇る煙突からの一筋。
車内を見れば、運転席に座るレベッカさんの手元からもう一筋。
「同じ、ですか?」
「ん?」
「いえ、何でもないです」
声が思ったように出ないが、イライラする余力すら無かった。思い通りにならない自分の体が、絵空事のように遠く感じる。
「ハーヴェイ君は」レベッカさんがそう言いかけて首を振る様は、演技がかって見えた。「……いいや」
目を閉じると、煙草の香りが強く感じられて頭が重くなり、息をすることすら面倒になった。このまま眠ってしまいたい。
カーラジオと暖房の音だけが世界を支配している。
僕とレベッカさんの間には、一人の女性が居なくてはならない。直接会ってしまっては、何を話せばいいのかすらわからなくなってしまう間柄だからだ。
「そろそろ時間だね」
その声に促されて車外へ出ると、呼気が白く目の前に現れた。数日前に積もった雪は、未だに溶けきらずに辺りに残っている。
地面が揺れているような気がするのは、熱のせいだろうか。
「レベッカさん」
気がついたときには、彼女の腕を掴んで引き止めていた。そのことに僕自身が驚き、慌てて手を離し俯く。
「行きたくないの?」
問いには、顔も見ずに首を振ることしか出来ない。
再び歩き出そうとしたレベッカさんの後ろから手を伸ばして、肩を抱きしめた。僕は、本当は歩き出したくなかったのかと自問する。
レベッカさんは「高くつくぞー?」と笑いながら、僕が彼女の肩に顔を寄せることを許容した。
色素の薄い髪の毛に、鼻を埋める。
「こんなに髪は長くなかったです」
目を閉じると、残り香に意識が集中してしまい、ますます頭が痛んだ。
「ああ、同じってそういうこと?……一緒だったよ」
彼女の聡さに僕は居たたまれなくなる。同じ煙草を吸っているんですか?などと口にすることは、どうしてなのか出来なかった。そんなことまでも、気付かれてしまったのかもしれない。
「こんなに背も高くなかったです」
「あの子、小さかったもんね」と言いながら、レベッカさんが、僕の頭を一瞬だけ撫でた。
今の僕は知っている。先ほど車内に残されていた煙草のパッケージは、僕が見慣れているものではなかった。
煙草の臭いなんてどれも同じようにしか感じられない。そのことが幸か不幸か、僕にはわからなかった。
「過去にしようとしないで下さい」言って、縋りつくように絡めていた腕の力を抜く。
振り向いたレベッカさんは、僕の手を掴んで歩み出した。
「行こう」
彼女の震えた声に頭の痛みが増して、歩みに合わせてずきんずきんと波打った。レベッカさんの指先の冷たさに、僕はあの日のことばかり考えてしまう。
熱にうなされる僕の額に触れた、ひんやりとしたあの手の気持ちよさ。
「見送ったら終わってしまいます」
自分の声の低さに、驚いた。何て生気の無い声なのか。
「許さないからね」
「え?」
「そんな一時の感情で、あの子に最期まで付き合わないなんて言ったら殴るよ」
レベッカさんの声も、張りがない。火葬場の扉を押し開こうと、彼女の横から手を伸ばした。
「そういうつもりではないんです。ただ」
「ただ?」
「無力だな、と。僕のせいなのに」
「何でハーヴェイ君のせいなの」
ロビーで振り返ったレベッカさんが目を見開き、そしてすぐに目を逸らして、ハンドバックから取り出したハンカチを僕へと差し出してくれた。
「何で泣いてるんでしょうか」
目頭を抑えて俯く。
ご遺族の方、と呼ぶ声が聞こえる。何とか歩いてゆくが、自嘲したくなるくらい覚束ない足取りだ。
これは夢で、目を覚ませばいつものように窓辺で新聞を読んでいる女性の姿が見えるのではないかと思えてくる。やわらかい朝の光を浴びた彼女は、僕の視線に気付いておはよう、と笑いながら、煙草を揉み消すのだ。そして、コーヒーを淹れる為にキッチンへ向かう。
夢は、まだ覚める気配が無い。
故人の親友と、故人の恋人が、遺族の輪から外れてぽつんと立っている。僕は、そんな自分の状況を客観視しながら、依然としてふわふわしていた。
「信じられないね」
ぽつりと言ったレベッカさんが、控えめに僕の左手に触れた。
彼女の姿が視界から外れるように、少し右を向く。どれ位の間、動けずに居たのかは定かではない。
僕は神に謝罪しながら、握り締める手に力を込めた。
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