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― 元・自宅 ―
[予想していた通り、仄かな白檀の香りに出向かえられた。客人でも来ていたのだろう、飲みさしの湯飲みが幾つか残されているのを認めれば、呆れたような困ったような声を発する。]
あら、ら。
片付けもせずに何時もの場所に行っちゃったのね、わたしは。
[壁一面に立て掛けられた写真。
フレーム入りの物もあれば、素のまま画鋲で取り付けられているものも。
年月をかけて撮影されたであろうそれらは、殆どが自分の手によるものではない。]
[色素の薄い瞳はそれを順に眺めたのち、やがて机に放置されたままの写真に向いた。表札の前、並んで笑顔を向けているのは記憶にあるままの両親だ。
旅行に発つ二人を、見送りがてら写真に収めたのは―――]
これ。わたしが撮ったんだよねー…。
[貯金を貯めて購入したカメラではなく、その時だけは父の写真機を貸してとせがんだ。折角の15周年記念なんだから、綺麗に撮れた方が良いでしょ?…と言って。
遺品整理が終わった日に、何処からだったか、写真は手元に戻って来た。その日は一日中、部屋に篭って泣いた。]
とにかく混乱して、迷走してたっけ。
自分の所為で死んじゃったんじゃないかって。
そんなわけ、なかったのに。 ……ないんだ よ。
[あの日泣いていた自分に向けるよう、独言。]
……ただ、人を撮るのはこれっきりにしようって、
思っちゃった なぁ。
[確か、個展の話が出た頃か。経歴を説明する傍ら、省吾には話したことがあったと思う。風景写真が主である理由。一瞬を半永久的に残すことの出来る感動が、逆に働いてしまった出来事があったこと。
ちくりと刺さる記憶ではあるけれども、大人になるにつれて自分なりに答えを出している。だからきっと、これはウサギの言う「ワスレモノ」ではないのだろう。]
にしても、こんなに撮っちゃってまあ。
置き場所無いからって隅にまで積んであるし。一軒家が泣くぞー。
[アパートに作品を引き取った自分が、どれだけ収納に苦労しているか考えたことがあるかー、と頬膨らませる。表情にはもう寂しげな気配はない。
暫くののち玄関に戻り、サンダルを足に引っ掛けた。自分はもうこの場所の住人ではない。長く居るのも何だか違う気がして。]
……行って来ます。
[目を細め微笑むと、懐かしい場所を切り離す。
戸に確りと施錠をしたのち、その場所を後にした。*]
― →街中 ―
─ →駅前公園 ─
[あれこれと、考えを巡らせながら歩いていく。
煙草は途中で、携帯灰皿に落として消した]
10年前に飛ばされたのに、意味があるんだとしたら……。
[どれだけ記憶を辿っても、考えられるものは、ひとつしかなくて。
けれど、何となく、それを直視はしたくなかった。
何でだっけ、と考えても、それも見えなくて]
……ぁー……面倒な。
[大げさなため息と共に駅前公園に戻るなリ、零れたのは大げさなため息だった]
─ 駅前公園 ─
大体において無茶振りがすぎるんだっつー……。
[言っても詮無いとわかっていても言ってしまうのは、多分、近づく事を求められている事が自分的に余り見たくない、と認識している部分だから。
そこまで気づいているなら、と言われるかも知れない、けれど。
そんな簡単に行くなら、多分、きっと、忘れていない]
……どーすっか、ねぇ。
[思い当たる節に即すなら。
ヒントを得られそうな場所は、多分]
あそこ、だよ、なぁ……。
[ちら、と視線が向かうのは。
バス停の近くに建てられた、病院の看板]
― 商店街 ―
『ねえ、きみ。省吾君?』
[不意に背後から声を掛けられた。
驚いて本を戻し振り向くと、白いワンピースを着た女性が立っていた]
ええ、そうですが。
お会いしたことありましたっけ?
[軽く首を傾げて問う。
女性の顔は影になっていて見えない。首を横に振って否定された]
『この街に来たのは20年ぶりだから。
お祖父さんは元気?』
[仕事から戻った「今」なら既に他界している。
10年前なら入退院を繰り返しはしていたけれど、まだ存命中のはず。
どう答えたものかと迷っていると、何も言わないのに女性は口元を押さえた]
『そうなんだ。…お大事にって伝えて』
[その先は声も聞こえなかった。何度か首を振って、逃げるように背を向け走っていってしまう。
突っ立ったまま見送ってしまった。
白昼夢かなにかのように、角を曲がったわけでもないのに白い裾が大きく揺れて消えた]
名前、聞けなかったな。
[振り払うように頭を振る]
知らないものは知りようがないか。
[再び本を手に取る気にもなれず、商店街を抜けてブラブラと歩き始めた]
― 公園・池の縁 ―
[職人と妻の間には子供が居なかった。いや、正確には一人、息子が居たはずなのだが、その子は生まれる前に天に召されてしまったので…その後はずっと夫婦二人きりの生活だった]
『いい風ですねえ』
[晴れた日に、ここに散歩に来ると、妻はいつもこの池の前に立ち止まり、日傘を傾けて、そう言った]
アア、イイ風ダネ。
[妻の瞳が子供達の像を見つめているのは知っていたけれど、職人は、いつもただ、そう応じるだけだった]
― 街中 ―
どうしようかな。
[学校や海、寄り道した遊び場。
街中を見た限りでは記憶と違える場所もなく、それなりに懐かしくはある代わりに目立った成果も無かった。
こちらに来てからずっと、潮風に後ろ髪を引かれてはいるけれども――]
あ。交番。
そういえばよく落し物が届きましたって連絡を貰ったっけ。でも ま、オトシモノはワスレモノじゃないから、きっと違… ……あれ。
[交番の前を通り過ぎ、横道を折れたところで、見覚えのある姿ひとつ。
疎らに行き交う人々の合間を縫って近付いて、少し距離空け眺めること暫し。]
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