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ゆうぐれ・314号室
「くしゅん。」
[くしゃみと同時に、目が覚めた。
外はゆうぐれ。沈んでいく太陽が、空にわずかばかりのオレンジ色を残している。
ベッドから降りて、厚いカーテンに触れたとき。
ふと、言いようのないさびしさを覚えた。
まるで、世界に自分だけが取り残されているような。
おかしな話だ。
父や弟と会って話したのは、つい昨日のことだというのに。
家族だけではない。看護師や、医師や、ほかの入院患者たちとだって、たくさん話をしたではないか。]
[遠くで何か、いきものの鳴く声がした。
鳥か、けものか、なんだかよくわからないけれど、悲しげな声。]
――っ、
[千夏乃はとっさに、カーテンを強く引いて夕闇に飲まれていく景色を視界から閉ざした。
「さみしい。」
「こわい。」
そんな言葉が、頭をよぎる。
その場から駆け出してしまいたくなるような気持ちをこらえ、カーテンに背を向けてぎゅっと拳を握り締めた。
そうして、千夏乃はしばらくの間青い顔で*うつむいていた*。]
[あれはもう、何年前の事だったのか。
歌手になりたいという彼女を一番反対したのは、母親だった。
栄光を浴びる事が出来るのは、ほんの一握りの人だけ。
夢ばかりを見るなと。
それに反発して、家を飛び出し。
ひたすら、がむしゃらに、脇目も振らずに頑張ってきた。
無茶なスケジュールだってこなしたし、苦手だけど曲をいろんな所に売り込んだ。
その努力が実ったのか、段々と売り上げも伸びてきて、なのに。]
[…事故に遭い、障害の残った彼女は歌手活動を中断した。
奇跡の復活。
耳の聞こえない歌姫。
そんなキャッチフレーズと共に復帰する事は、出来ない訳ではなかった。
けど、そんな装飾品ばかりを見られるより。
入院中、たまたま知り合ったファンを名乗る患者に歌った時に見せてもらった笑顔。
自分には聞こえずとも、確かにこの世界にはまだ音があるのだという証明。実感。手ごたえ。
無くしたと思ってた大切なもの。]
[事故に遭ってから、彼女は思い出した。
自分が歌手になろうと思った切欠。
聖歌をひとつ覚えるたび。
うまく歌えるようになるたびに。
与えてもらった、母親のやさしくやわらかな声と仕草。
それがどうしようもなく嬉しかった事。]
[そして彼女自身はまだ忘れている小さな約束。
いつか、世界中の人に私の歌を聴いて、幸せになって貰いたいのだと。
幼い少女が母親に言う、子供の戯言は。
皮肉にも、二度目の事故を切欠として叶う事となる。
事故で聴覚を失い。
そして再び事故に遭い、帰らぬ人となった歌姫。
彼女自身が嫌ったやり方で発売されるその追悼CDが。
やがては、遠い異国の国で発売され、世界中に広まる事となる。]
[今はまだ、そんな事を知る由もなく。
そして、自分がなぜまだここに留まっているのかも分からぬまま。
彼女は歌っていた。
昼も無く、夜も無く。
疲れもなく、休息も必要なくなったその身で。
そうする事以外を忘れてしまったように。]
/*
なんとびっくりなことに
願いをまだ考え付いていない……
人形動かして お化けみたいなーとか考えたんだけど
願いのかけ方が難しいし、なにより発展しようはないかな……って思って。
いやでも、いいかしらん。いいかな。いっか。
人形が動くかどうか はまた別の話 だけど も
[柔らかく皺の寄っていた彼女の顔は、いまや風の寒さにゆがみ、暗がりでがさつく森の茂みに怯え、紙をまるめたかのように皺くちゃになっていた。
よろめく彼女の足取りを支えていたのはなんだったのか、知ることは難しい。けれど、彼女はただ必死に、その足を動かしていたことは事実だった。転び、衣服に泥をつけ、それでも立ち上がった彼女の歩みは、森が開けたころに、止まった]
海
[田中ぼたんは、海辺にいた。
明かりは遠く。病院の上階の、カーテン越しの明かりや談話室から漏れた光が、おぼろげながらに見えた。彼女はそれを遠く仰ぐようにしながら、波打ち際近くまで進み、しゃがみ込んだ。
皺だらけの手を二つ、ぎゅっと握りしめる。寒さのせいか、その手はかすかに震え、関節は真白に染まっていた。]
……おっとさん……ルリちゃァん……
あたし、来たよォ……!
一緒に帰れるよう。出といで ……
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