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そりゃごもっとも、だ。
昨日はどう、よく眠れたかな?
[そっと寝台へ導き、自分はその前へと立つ。
手許のファイルの内容を確認した。ざっと目で追うが、朝の検温等では別段変化は見受けられなかった、かもしれない。]
うん、そうだね。
どうかな、体調は。
[簡単な診察を行うだけなので、緊張しないように会話を続ける。
黒枝が寝台に腰を下ろせば、指先を頬へと滑らせ顎をほんの少し上向かせて喉奥を確認しようと。
心音や脈拍を測り終える頃、何気なく呟いた彼女のひとことに、ぴく、と動きが停止した]
―――…、……。
[無垢な瞳を、凝視する。
伝えるべきか、否かを計算していた。少なくともオトハに何かがあった事は、伝わってしまうか。]
[身体が凍りついたように動かない。
残像が、フラッシュバックのように視界で跳ねた。
これまで目の当たりにしてきたいくつもの死が、その冷たさが背後から迫ってくるようで]
……オトハさんは、……
オトハさんは、亡くなったよ、昨日。
[無垢な瞳の前で、上手に嘘をつくなんて出来なかった。真実を告げる事で彼女を傷付けることになると、解ってはいたけれど。
責められているような錯覚を覚えてしまい、斜め下方へと緩く視線を落とした姿で、簡潔に告げる]
[静止した時を動かしたのは自分ではなく、まだあどけなさの残る黒枝の方だった。立ち上がる気配を感じて視線を持ち上げると、彼女は微笑んでいた。
静寂に響くその言葉は、一瞬でも真実を詰まらせた相手を気遣う内容だった。]
うん、すてきな声、だった。
黒枝さんは、……しっかりしてるね。
[部屋を出る支度を横目に、己もカルテを閉じた。
高校生に気を使われてしまうなんて情けないけれど、その心遣いが今は、ありがたかった。]
あるさ、……早く学校に戻れるように、がんばろうね。
[彼女を含む患者達を救う事が、自分の使命だ。
気持ちを切り替え、笑みを浮かべて病室を出た。
その微笑はかすかに、歪んでしまっていたかもしれないけれど。]
→ラウンジ
[603号室を出て看護師への引継ぎを終えると、ちょうど休憩時刻になっていた。
外に出向く気力もなく、カップの珈琲を買ってラウンジへ。
誰も居ないラウンジは、何処か侘しかった。
窓辺の席で、ぼんやりと海の方向を見つめ時を過ごしている]
ああ、そうだったそうだった。
えーと、おはようございます。
[視線が重なったのは丁度、沢渡の病室の前だっただろう。
ちらり、沢渡千夏乃、という病室の名札を確認する。物静かそうな、けれど屈託のない笑顔につられて、こちらも頬を綻ばせた。]
そうか、弟と仲が良いんだね。
……今から、勉強? 先生も少しお邪魔しようかな。
[彼女の肩にかかるバッグを指し示し、首を傾げた。]
[廊下で立ち話をしていた矢先、横切る少年へと意識が映る。
小さな頃から幾度か見たことのある顔だ。軽く手を上げ挨拶を送る。]
おはよう、後藤君。
……ああ、『初めまして』なんだね。
[…と、そこで沢渡の様子を見守る。
嬉しそうな様子に気づいて双方を見つめた。]
立ち話もなんだし、談話室に行こうか。
何か飲むかい、二人とも。
[自販機で適当に見繕おうと思ったのだけれど、少女から告げられた以外な言葉に一瞬目を丸くしてしまったのは、気が抜けていたからだろう。
飲料制限を受けている可能性も有る。尤も、思春期特有の思考でジュース類を避けているとまで読み取れるほど、此方も成熟した医師ではなかったのが残念なところで]
……、なるほどね、了解。
後藤君は――、…ブラック飲めるんだ。オトナだねえ。
[珈琲にするつもりだった己。沢渡の病状は詳しくは無いが、後藤は確か飲み物に制限は無かった記憶があった。
部屋へと去っていく後藤に手を振り]
ん、待ってるよ。
[談話室に到着すると沢渡からカップを受け取り、飲み物を用意し始める]
[沢渡は席に着いた頃か。其々の飲み物を用意する。己と後藤の珈琲は自販機カップのものだ。砂糖もミルクも入っていない。
それを手に、談話室の席へと戻り]
え、……ネガティブフレーバーって、なに…?
[きょとんとした眼を後藤へ向ける]
高い珈琲は、なんだろ……、酸味が強いのが多い?
……くらいしか、知らないや。
[其々の前にお望みのカップを置き終えると、あはは、と笑った。
彼らが勉強を始めるにしろ、雑談を始めるにしろ、己は頬杖の姿勢でそれを*眺めているのだろう*]
[後藤と沢渡の間に椅子を置き、勉強する様子を眺めている。
沢渡の教科書を拝借してページを捲り、自分が学生の頃にも習った内容を見つけると微かに目許を細めたり。懐かしかった。
沢渡の言葉に、珈琲を啜ってから答えた。]
先生も、学生の頃はブラックなんて飲めなかったよ。
ミルクたっぷりのココア派だったけど。……味覚なんて成長と共に変化するものさ。
―――…っと、ちょっとごめん。
[何時もは切っているプライベートの電話が震え、メールの内容を確認する。案の定時計屋からだった。
簡素なその内容を見つめると、表情から微笑の色の一切が、消える。]
時計屋に、行かないと。……勉強の邪魔して、ごめんね。
[カップを手にして立ち上がり、じゃあね、と談話室の二人へ手を振り、去っていった。]
[仄かな潮風が冬の冴を運び、白衣の裾を薄く浚っていく。
不意に鼓膜へ伝う歌声に惹かれて、中庭へ視線を落とした。人の姿は捉えられないけれど、きっと誰かがオトハの死を悼んでCD音源を流しているのだろうと、合理的な解釈を行った。]
『オトハ』さん……、まだ若いのに、残念な事でしたね。
人生で二度も交通事故に遭い、亡くなるなんて。
[黒枝に見せた時のような翳りはもう、見受けられないだろう。平家へ淡々とオトハの死を語り、白衣のポケットから腕時計を取り出した。]
これももう、直らないなら要らないな。
[屋上の柵へ時計を差し出し、そのまま手放す。僅かな空白を縫うように、中庭のコンクリートに腕時計が落ちた事を示す軽い衝撃音が響く。
薄く微笑んだまま、再びポケットへ両手を忍ばせる。「余り、本数吸ってはだめですよ」と、煙草を咎めることなく屋上を去っていった。]
[屋上から検査室に戻り、幾つかの検査を行っていった。いつもと変わらぬ業務を、淡々とこなしていく。
誰かが死のうが、産まれようが、所詮自分には関係のないこと、と。
『患者に対し、必要以上の感情移入をしてはならない』という父の言葉がなんとなく、解ったような気もした。]
夕刻:531号室前
灰色の中で、過ごせばいい……
[ぽつり、ひとりごちた言葉で思い出すのは、極彩色の中に生きる青年の事だった。
職員へ、何かあったら院内PHSで呼び出してくれと残し、その足は5階へ進む。]
柏木さん、……居ますか?
訪問するには些か妙な時間ではあったものの、気に留めることなくその部屋の前に佇み、扉を*ノックした*]
お邪魔しますね。
[室内からの反応を受けて静かに扉を開く。
先日と同じように目深く帽子を被る柏木の姿よりも先に伝うは絵の具の香か。消毒薬に慣れすぎた身にとってそれは酷く新鮮でもあり、違和感でもあった。]
―――…あ、……、
[最初に目に飛び込んで来たものは、キャンバスいっぱいの、色、色、色。
抽象的に描かれたその絵画の前に佇み、暫し圧倒されるように見つめていた。
じっと見つめていると、何となくこれが空、これが人の姿、口、と、理解出来た気がした。]
何というか、……迫力ありますね。凄く。
……女神、みたいな感じ、ですか?
[解釈、間違っているかもしれないけれど。確かめるように柏木へと視軸を凪いで]
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