[頷く格好がやけに恭しくて、くすりと笑いを零しては]
うん、頑張って。ゼンちゃんなら心強いわ。
大変ね、それは。今度冷たいものでも差し入れに行こうかしら
[当代さんともそれなりに親しくはしている故、夏場に顔を合わせられないのはちょっぴり寂しいような。
冷たいものはそこらにあるだろうけれど、ふとそんな提案を。]
予算…なるほど。
あたしなら喜んで払っちゃうけど。ゼンちゃんもお疲れ様、ね
[当然にあるものと思っていたけれど、楽しみの影であれこれと努力しているようで
冗談めかした口調にも話を聞けば労って。
ふふ、ありがとう。心待ちにしてるわ
[笑みを浮かべて頷いてみせる。
メモを取り終えたのか、携帯を帯に挟み込む様子に
精密機器と和装の組み合わせは、なんだか不思議な感じもする。]
あら、そうなの?
[時計を覗き込むのを見て、気付けば時間が回っていたよう。
あたしもそろそろ戻ろうかしら、と]
うん、じゃあまたね
[ひらひらと手を振って見せて、子どもたちとのやり取りにくすりと笑って
彼が去っていくのを見れば、ママさんたちに軽くお辞儀を。
反対の出口で公園を後にしては、家までのちょっとの道のり。]
[並木道を行こうかと考えたけれど、なんとなしに小路のまま。
住宅地の角を曲がればふと、その先に]
…あら?
[白い影が、ぴょんぴょんと。
この辺に兎なんていたっけ、とじっと目を凝らしたら]
あれれ?
[そこにはもう、白い姿は見えなくて。
照りつけられたアスファルトが、ゆらゆらと陽炎を作るだけ。
気の所為かしら。
おかしなことがあるのね、なんて気にも留めず
ふらり、足を踏み出して。]*
[そうして閑静な住宅地を、時折遠くから聞こえる子どもの声、
大通りの車の行き交う音を聞きながら、歩いて。
気が付けばてっぺんの太陽はいくらか傾いて、反対に、地面に染みた熱が立ち込める。
暑い午後。
無意識に視線は足元の先へ、手をうちわのようにして扇ぎながら
――熱のせい、だと思った。
ふと、上げた視界に広がるそれは
ほんの刹那のこと。懐かしい香りがしたかと思えば、湿った風が、いつかの潮風みたいで]
…?
[振り返った。誰かが、あたしの名前を呼んだ気がして
知らない人、じゃなくて、聞き覚えのある声、でもなくて
ずっと、どこかで焦がれ続けてた、懐かしい声で。
何もなかった。
ただ、広がるのは歩いてきた道。ゆらり、陽炎。]
[けれど、前を向きなおれば]
―――……っ、
[思わず目を見開く。
視界いっぱいに広がって見えた、それはコバルトブルーの
青春を過ごしたとき、飽きるくらいに目にした色で。
いつかの、海の色で。]
あたし、疲れてるのかもしれない。
それか、日の光を浴びていたせいか。
そんなことを思ったのは、目をこすってみればそこは、何ら変わらない住宅地だったから。]
[なんだか、変な日。
兎に、海。幻を見ているみたいで
そしてそれが本当に変だとわかったのは、耳に届いた鐘の音。
この街に鐘なんかあったかしら、と耳を疑って
けれど幻と違って、繰り返し鳴り響いて。
13回。
無意識に数えた音が鳴りやめば、今度はどこからか誰かが歌う声がして。
本当にどうしちゃったのかしら、と
考える暇もない、その瞬間。
海みたいな、ううん。透き通った海よりずっと深く、濃いあおいろが広がった。
抗う術もなくそれは、あたしを包み込んで、思わず目を瞑る――*]
…こんにちは?
[当たり前のように目の前の兎が口を開いて
ふしぎと、理解できることばで
思わず畏まって挨拶を返してみるけれど]
鍵?空間?
[早口に、器用に発せられる声の紡ぐ内容はてんでわからない。
帰れない、だなんて困っちゃうけれど
―帰るって、何処から?
彼もわからないのならあたしはもっとわ
からない。]
…あっ
[そうして首を傾げているうち、あっという間に飛んでって。
なんだったの、と疑問符だらけ。
追いかければどこか、不思議の国へ行けるかも、なんて飛び去る姿を眺めては]
…何処かしら?
[よくよく見たら、やっぱり違うその場所に
とりあえず、ちょっと歩みを進めてみる。]
[進む先。曲がる角のあちらこちらに花が咲いてて。それも、朝顔。
夏を彩るようで、心が踊る心地。
そうして足を進めては、気付いたら大きな道路に。 ]
………、此処…―――
[海だった。
目の前いっぱいに、視界を埋め尽くすコバルトブルー。
吹き付ける潮風、遠く遠く広がる空。
瞬きしたって、確かに其処に。
同時、胸に埋まった記憶が溢れ出すような
とにかくいっぱいで、満たされて、ちょっぴり苦しいくらい。
その懐かしさに、ただ呆然と海を見つめて。]