―― 自宅 ――
[朝食の席。ペッカは、姉の話を聴いていた。
前日の姉は、来客があって楽しく過ごしたらしい。
先に来たベルンハードは長居しなかったが、彼と
話すとのんびりした気分になれて好いという話。
ウルスラと刺繍の話をしたが、古布をほどいた糸を
使えば淡い表現が出来るかもしれないという話。
彼女のよいひとはまだひみつと詮無く勿体ぶる話。
あまり気の利いた相槌も打てないペッカだったが、
臨月の姉が和やかに笑むのを眺め朝食を摂った。]
―― 森からドロテアの家へ ――
[――数人が運ぶ戸板に、横たわる亡骸。
森で見つかったドロテアは、村人らの手によって
無残な死の知らせと共に生家へと運ばれていた。
手伝いに呼ばれたペッカは、皮膚だけで体に繋がる
ドロテアの足が千切れぬよう、支えながら歩いた。]
… ……
[誰も口を開かぬ道行きは酷く重苦しく気味が悪い。
紅いしたたりは赤黒いねばつきへとかわりゆき――
恐ろしく長い時が、それでも移り行くのを示した。]
[ペッカは、呆然と光景を瞳に映す。
喰い散らかされた骸へ白布がかけられるのを見た。
その白へ、零れた命の色がじわじわと広がるのも。
『 人狼は 居たんだ。 』
深く暗い穴の底から昇るような怨嗟の声を聴いた。
死者の父親が蒼白な面持ちに怒りを混ぜるさまも。
――血腥い匂いを引いて、列は村へと向かう。]
[少女を探していたウルスラとは通りで行き会った。
ペッカは、目が合った彼女へぎこちなく首を振る。
遠巻きに、或いは駆け寄って。嘆きの列はゆく。
…村衆の列。誰からともなく、呟きは漏れ出す。
『 …狩り出せ。 』
『 追い立てろ。 』
『 人狼に、復讐を。 』
村を覆い渦巻き出す何かを感じて、ペッカは吐気と
悪態とを同時に堪えるような面持ちで列に従った。]
[亡骸のちいさな手が握り締めているのは、
僅かに毟り取ったらしきおおかみに似た獣毛。
…やがて、ドロテアの部屋から日記が見つかる。
記された直近の日記に、僅かでも名の挙がった者は
人狼の血を疑われ集められることと*なるだろう*]
[ドロテアの死を契機に、今や村衆の意見は
人狼などいるものかといった意見の壮年の男らから
迷信深い長老ら寄りのものへと様変わりしていた。
挙げられた名の者たちは異を唱え、ペッカも言う。]
人狼なんて居ねぇ、たァ言わねえよ。
世間は広ぇ。海にゃ、
熊よりでけぇ烏賊もいるし、歌う魚もいる。
空飛ぶ魚を喰ったこともあンぜ。
この村にだって、何か居たっておかしかねェ。
ドロテアの仇は、討つさ。討つだろ。
この村の者ンならな。
けど、――俺ラを疑って――
どうすんだ、全員縛り首だってのか?
[名を挙げられた者を見回して、
ペッカは冗談じゃねえと吐き捨てる。
中に、印象のよくなかったラウリの姿を見つけると]
よう手前ェ、こんな時だけ
ナニしおらしぶってやがんだよ。
『間違った人を殺してしまったら』――
ドロテアの親父さんは、それでもいいだろうよ。
[訴えが聞き入れられず苛立つベルンハードへと、
ペッカも焦燥を滲ませながら低い声を添える。
犯人を引き渡せと言われ戸惑うウルスラへは、
苦りきった面持ちを向け]
ウルスラ姐、取り合えずわかったとでも
言っとかねえとやばいんじゃねえか…コレ。
おっさんたちまで見境なくしてやがらァ。
…わかンね。
けど、やべェし。
[背に飛びついてきた相手がアイノと知ると、
ペッカは眉根を寄せて片腕を其方へと回す。
剣呑さを高める村衆の視線からアイノを隠す態]
ちっとは、聞いたろ。
ドロテアの仇を討ちこそすれ、
喰い殺した犯人にされるなんざァ、真っ平だ。
へーえ、いの一番に罪を着せられかねねェ
立場っつーのはわかってるみてェじゃねーか。
[ラウリの饒舌さにさも感心するといった調子で、
ペッカは太い指でラウリの額を押遣る仕草をする。]
いきなり弁解から入るところが凝ってらァ。
[取成す語調のウルスラの顔を立ててか、
ペッカはラウリをそれ以上挑発するのはよした。
――そして、>>32背へつくアイノが
呼気と共に腕へ籠らせる呟きを感じ、]
…、お前ェ。
[問う間も挟まずに、否定するアイノの言に
ペッカの元から腫れぼったい瞼がひとつ瞬いた。]
…。
[水夫のペッカは、自らの喉元をがりがりと掻く。]
この中に、犯人が――
ビー、あながち的外れでも無ェかもしンねえ。
[やや思い詰めた様子で、ベルンハードへ言うと
――腰の後ろへ片手をやってごそりと探りだす。]
何なら、俺がちっと視てやっても いいし。
[水夫が取り出したのは、古い――旧い、望遠鏡。]
…
[ペッカは、アイノの告白を遮ったあと――
緩慢な仕草で、背を丸め。
彼女が触れようとした望遠鏡をすいと持ち上げる。]
同じになったら、お前ェが使いナ。
俺が生きてる間は、俺のもンさね。
そういうもンだ。
…ばーさんが言ってたのは。
コレのこと、――だろ。
[語尾を持ち上げずに、アイノの顔を覗き込んだ。]
よく、したろ。
海ン上で見た、不思議な生きもンの話。
みんな、コイツで見つけたンだ。
犯人がもし、人狼だってなら。
きっと、コイツで視える――
[狂気の沙汰に、乗り気になろう筈も無い幼馴染へ
ペッカは時代遅れの古めかしい望遠鏡を示して言う]
喰い殺されたドロテアの仇…
せめて、俺ラが討ってやってもいいんじゃねーか?
[やがて村衆のひとりがドロテアが握っていた毛が
そのベルンハードと同じ髪色をしていると声高に言い
始めたとき――ペッカも色を失うことになるの*だが*]