― とりあえず、後日 ―
[目印にと置かれた石に向かって手を合わせる。
お供えしたのはお線香と、あの日飲んでもらえなかった、蕎麦茶。
あの、人狼騒動のから開放されたあと、ゲッカの遺骸をどうしたのか散々問いつめたが自警団長はついに口を割らなかった]
まあ先にぶん殴っちゃったからなー
[危うく流血沙汰にしそうだった自分を止めたのは、祖父の一言。
それでこうして、お墓とも呼べないこの場所で、手を合わせることが出来ている]
それじゃちょっと、行ってきます。
[立ち上がると土埃を払う。
普段と変わらぬ格好だが、行き先は違う。
帝都――
最初グリタの後をこっそり付けて行こうとしたその目的地は、迷子になったときにたどり着ける気がしなかったので、念のため行き方を教えて貰った]
おっと。
[覚え書きを取り出そうとして、別の紙に触れる。
人狼騒動の始まりを告げた、封書と紙ぺら。
それを、睨むように眺めた後。
くしゃりとして背後に投げ捨てた**]
[チカノが連れてゆかれる後姿を見ながら、ぽつり。]
これがほんまに正しいんかは、分からへん。
そやけど……こうするほか、あらへんのや。
[もし明朝も死人が出れば、粛々ともう一人。
既に死を悼む感覚は、どこか麻痺していた。]
[翌朝。
自警団の者が来て、晴れての解放を伝えた。
各々が身支度をする中、玄関でぼそりと]
あのな……。
僕、ゲッカ姉が化けもんやった夢を、見たんです。
もちろん普通の状況やったら信じるわけあらへんよ、そんなん。けど、こんな状況やし、うちはあれやろ。
[栂村の家のことを指して。]
[はぐれないように、姉の手をしっかりと握って。
また一つ夜を迎えると、吸い寄せられる魂があるのだろうか。]
七五三以来?
そっかもうそんな前になっちゃうのね。
[日ごと美しさを増す姉。化粧を施してもおぼこな自分。
大人になりたくても近づけないもどかしさが、胸の中でちりりと熱を上げる。
嗚呼、自分も姉のようにおとなだったら。あの人は振り向いてくれるだろうかと。]
でも、お姉ちゃまには敵わないもの…。
[「赤が映える」
微笑みで更に美しさが増す、姉に懐く思いは嫉妬。
指先でなぞる軌跡に戸惑いが零れ落ちる。
滴る深紅は、それさえも姉の美しさを引き立てるかのようで。]
――ねぇ、お姉ちゃま。
おとこのひとは、赤い色が似あうおんなのひとが、好きになるの?
わたしも、お姉ちゃまみたいに赤い色を流したら。
あの人が振り向いてくれる?
[悔し紛れに訪ねる問いとて、やはりおぼこさは*拭い去れず*]
[死化粧を施された姿を、どれくらいの時間眺めていたのだろう。
彼が化粧の職を生業としていると聞いた頃から、わたしには胸に小さな夢が広がった。
――彼に紅をひいて欲しい。
たとえ生業の延長でもいい。
ひとときだけ、彼の意識を一身に受けられるのなら。
彼の瞳に見つめられるのなら。
この後どんなことが訪れようとも。
その想い出だけを胸に生きて行けるだろうと。]
──そう言えば、あの時バク君は……。
[帝都に帰るための汽車を待ちながら思い返すのは、自警団にもう一人の人狼だったらしい少女が連れて行かれる前に、少年が言いかけた言葉。]
あの子は、人狼ではなかったのだろうけれど、「何か」が出来る子だったのかもしれないな。
[詳細な事情はわからぬが、自分の何かに不安を抱いたのかもしれぬ、そんな気がした。]
[彼を初めて意識をしたのは、まだ齢6つも行かぬ頃。
姉の後ろに隠れてばかりのわたしに、柔らかく微笑む姿に幼いながらも心惹かれた。
足許もまだおぼつかないわたしに、いつも歩調をあわせてくれた。あやとり、おはじき、紙手鞠。外で遊びたい盛りだろうに、いつもわたしのわがままを優先してくれた。
ままごとで差し出したとても食すものとは思えない草花だって、きちんと食事に見立てて美味しいと頷いてくれた。]
[後に耳にした大人の話で、
当時は相当大変な時期にもかかわらず、
そんな素振りも見せず、
わたしに気を使ってくれていたと知った時。
なん馬鹿なことを強要したのだろうと、とても恥ずかしくなった。
それでも彼は変わらず、駆け寄るわたしを見ては、柔い声で呼んでくれた。
「ツキハナちゃん」と。]
[妹のように思われていたことは、
早くから知っていた。
だけど彼を思えば思うほど、
揺らぐ気持ちは溢れ出しそうで。
村から出て行った後も何度も手紙を出そうと筆を取り、
ため息交じりに置いた。
もう、彼だって大人。
素敵な女性を見つけているだろう。そう思って。]
[あの日、自警団に呼び止められた日。
わたしは密かに人狼へこの身を捧げようと森へ向かっていた。
彼らの噂はかねてから聞いていた。
それならば。
自ら生贄になろうとて悪くはないだろう。
あとひと月かそこらで、わたしの生きる意味は終わる。
ならこの気持ちを懐いたままで。
誰にも穢されぬことなく死しても変わりないと思うから。]
――それでもやっぱり…
[熱のない頬。感触のない肌。
愛おしい指で触れられているのは、亡骸でしかないけれども。]
ずっと、ずっと。 兼雄さんの事が好きでした。
[言わずには居られない。
たとえ、もうすでに声が*届かなくても*]
[幼い頬に走る朱い線は何を誘うのか。
姉から差しのべられた指輪をはめた手を、空にかざして――]
わぁ、きれい!
[歓声をあげる声は、幼いままに。]
ねぇ、おねえちゃま。
[死装束に染まる朱を眺めつつ、幼子は無邪気に語る。]
あっちでかみさまが、*手招きしているよ?*
さて、帰るはいいが……。
[自分が作る雑誌そこのけな事件を見てしまって、職場に戻ってから元通りの仕事ができるのだろうか、そんな不安が一瞬よぎる。
この土地に来た原因であった症状は、元々心の疲れが身体に出る類のものだったのだが、皮肉な事に、事件以降影を潜めている。逆療法という奴だったのだろう]
──あ、そうか。バク君に。
[勤め先を教えていたのを思い出す。]
あの子がもしも訪ねて来てくれた時にいないのは──拙いな。
[今回の一件は、自警団から口止めを厳命されてしまっているため、当面仕事に活かすつもりはない。]
だがまあ、江戸川端先生あたりは、聞きつけているかもしれないな。私が関わっているとは知らずに、調べろとか言い出すかもしれ──おっ、と。
[雑誌に寄稿している、変わり者の作家の事を思い返していると、汽笛が聞こえた。]
>>9>>10>>18>>19
殿方の好みは知らないけれど……
赤が似合うのは、若くて可愛い女の子でしょう?
[雲の向こうでぼやけている大きな月を見上げる。
憑き物が取れても、妹を見る目は変らない]
さようなら。
ここからは一人でお逝きなさい。
[そう告げて、川のほとりを歩みだす。
ゲッカの衣服を汚した赤は、鈍く乾いた色に変わっていた]
[紅く色づいた森の向こう、神様がいるかもしれない方へと歩いてゆく**]