―― 集会場 ――
[そこへ辿り着いたとき、既に生き物の気配は無かった。
ハンカチで口元を押さえながら、奥へと進んで行く]
ネリー?
[月光は炊事場の食器棚の辺りに降り注ぎ、その開かれた扉には血に染まったエプロンがかけられていた。
もしかしたら、女給以外の血も混ざっていたのかもしれないが、そんなことは判別つくはずもなく]
相変わらず、メイドというのは気がきくんだな。
……いや、持ち運ぶのには少し大きすぎるか。
[残されていた包丁を拾い上げ、ハンカチで拭う。
顔色ひとつ、変えることは*なかった*]
[乱暴に連れ行かれても何もせず
夫を失ってからの飽いた人生を思う。
死ぬことはどうでもよかったが、
夫が残したものの行く末を思えば陰鬱な気分になる]
せめて、とめてくれないか。
[震えを、あるいは復讐の念をどうにかして欲しいという思いは、願いというよりも弱音に近い。
かつてネリーだったもの、その残像がちらついて、思考がかき乱される]
―― 村の入り口 ――
[同じ場所へは二度と来ない。
総てを喰らいつくそうが、まだ獲物が残っていようが、命ある内に立ち去れる幸運に肖る獣は、場所を捨てる。
第三の介入者が居たお陰で、思うように狩りが出来なかった彼は、痕跡が消えかけた村の入り口にてふと立ち止まり、短いため息を吐いた。]
別れを惜しむことなんて感傷的なこと。する間柄じゃないし。
早く去ってしまいたいんだけどなぁ…。
[聲を封じた人狼は、この村で出会った聲が聴こえるひとに囁くことはもうない。踏み潰す雪の感触を確かめるように、また一歩踏み出せば、もう後ろの世界は過去のものになる。
躊躇うことなく次の歩を進めるだけなのに、彼はその次の一歩を踏み出せずにいた。]
……気のせいかな? なーんとなくいけ好かない臭いが鼻につくんだけど。
きっと気のせいだよね。だって僕等が奴らを殺せないように奴らには僕等は殺せない。
[一度閉じていた本を、気紛れに再び捲りだす。
辺りにははらり、はらりと擦れる紙の音だけが、暗闇に響いては雪に存在を*奪われていた*]
……寒いな。
[ふと、目を開けた。
ベッドから身を起こし。窓辺に向かう。
夜は更け、煌々と輝く月。
──月を掠める影が見えたような気がして、思わず窓を開けた。寒気も気にせず身を乗り出す。]
しかしなんで僕はこんなところで立ち止まっているんだろうね。
[自らを追うものが厄介であることは見当が付いているにも拘らず、彼は冬の夜に佇む。
そもそも厄を齎す存在とは自分等のような立場からは邪魔以外何物でもないが、相手からは異端審問に係らない限り脅かす存在でもないだろうに。]
――気まぐれとか。
それとも…喰った相手に特別な情があった、とか?
[嘲笑のように口許をゆるく歪めて、ふと思い止まる。
特別な情とまではいかないが、自らもまた、聲の届く少女へと興味本位で問いかけていた。]
「わからない」か。
[同じ人間(なかま)が命を奪われる事について。少女は「わからない」と答えていた。両親が死した時は悲しかったがと付け加えて。]
時が許したなら、もう少し話してみるのも良かったかもしれないね。
でも――…
[体温を奪われつつも感興に熱のこもる唇を、指でなぞる。
紡ぎかけた言葉は、浚うように吹いた一筋の風によって意味を失った*]
[宵の窓辺、女学生が見た月過ぎる陰は、
一見して、細長い首持つ大鳥のようで。
然し、飛翔の軌跡が
降下に転じて身を翻すと――
輪郭を歪め、ふたつの人影にわかれた。
降りゆくさきは、村外れ。]
―― 村と外の境目 ――
ラッセル、待て、忘れ物だ!
[まだ暗いうち。近くの木々から聞こえてくるのは梟の鳴き声くらいのもので、多少の距離があろうがローズマリーの声はいくらか届いただろう。
掲げた右手には細い紙切れが揺れる]
栞がないと困るんじゃないか?
あーあ、ベッドで愛を囁いていてくれたら良かったのに。
それとも、デートの途中だったとか?
[風が、変わる。頬を撫でる感触に目を細めて、彼は空を見上げた。
ため息交じりの冗談は軽く、一度宙に舞い足許に転がる。]
なら、僕は邪魔ものだよねぇ。
ねぇ、そろそろ帰ってもいいかな? 僕、君らに追われる必要が無いと思わない?
[しかし、忘れ物と声を掛けられると訝しげにも声の方へ振り向く。]
栞?
べつにいらな――…
[言いかけて、口を噤む。思惑があるのなら乗ってみるのも一興かと思い、気まぐれに相手の出方を窺う。]
ベベベベベッドとか誤解もはなはだしい!
[通常比1.5倍のスピードでラッセルへ近づいていく。
差し出したのは一見すると普通の栞だが、年季だけはやけに経っていた]
人狼というのは、逃がしたら、またどこかで喰うんだろう?
次に会ったら、絶対に逃がさないと決めていたんだ。
[手を離すと栞は風に乗る。
代わりに手にした銃を向けるが、どうしても震えてしまう]
別に照れる歳でもないでしょう? お姉さん?
[予測より速いスピードで近づく姿に瞬きはしても、口許を歪めた表情は変えず。]
そうだね。だってそれが僕らの生きる糧だから。
人が家畜を殺し、植物を刈り、血肉へと変えるように。
[ローズマリーの手から離れた栞は、夜風に舞う。
ひらひらとあてもなく彷徨う姿は、まるで彼自身のようで。]
つかまえた。
――で、僕じゃない誰かの恨みを、僕で晴らすつもり?
[向けられた銃口に、彼は鮮やかな微笑みを向けた。]