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>>110
[内心を悟ったか、言葉にし直されたものに大げさに胸をなでおろした。
化学繊維の金色が巻き込まれ、微かに広がる。]
――あァ……そうだったのかい。
ちょいと驚いちまったよぅ……
もしかするとォ、――嬢ちゃんと孝治くんの間にねェ……
青春の一ページみたいなものが繰り広げられ、破り取られた後だったかしらん
だなんて。ふふ、婆ちゃん一人でドびっくりしちまった。
[質問にふむぅと唸るような言葉を喉奥から零し、
ふと思い出したように売店で購入した菓子を広げだす。]
そうさねェ、大丈夫だと思うよう。
でも、入る前に看護士さんにでも声かけて、
お見舞いしていいか聞くと尚、いいかもねえ。
ほォら、無菌室っつうと……あれだろう。なんか大変な病気が多いんだろう。
[男は幼い頃から絵を描く事が好きだった。本来色のない物に色を、あるいは物に本来とは違った色を見る――共感覚と呼ばれる能力の一種を、男は生まれながらにして具えていた。男の瞳に移る世界はとても鮮やかで綺麗で素晴らしかった。だが周囲の人間に幾らそれを伝えようとしても、同じ感覚を持たない者達には、正しくは伝わってくれなかった。故に、その世界を、出来る限り伝えたいと、男は絵に熱を注ぎ出したのだった。
そして二十代の始め、前衛寄りの風景画家として世に出た。その色彩感覚は。鮮やか過ぎる程の色彩と対照的な精密な描写は、それが合わさった独特の画風は、相応の評価を受けた。
一部には、過去の天才達の再来だとまで、言われた。男は、満足していた。誉めそやされる事ではなく、己の世界が伝わった事に。
評価する人々はその世界に魅せられてくれたのだと。信じていた]
[――柏木さん。
そう呼ぶ声が聞こえて、男ははっと其方を見た。其処には、目がない笑った人間が――否。結城、が、立っていた]
…… 結城、先生。
[散歩に、という誘いには答えず、ただその名前を口にした。結城は、笑っていた。笑っているように、男には見えた。それも、嘲笑うそれを、浮かべているように。
――全ては、妄想だった]
[世に出てから数年経って、男はより人気を得た。それから更に数年経って、男は、――落ちた。
何も描けなくなったというわけではない。絵自体が変わったわけでもない。人気が全てなくなったわけでもない。だが、少なからず、評されるようになった。画家「レン」は、終わったと。所詮インパクトだけに過ぎないような、流行のような、天才もどき、凡庸な創作者に過ぎなかったのだと]
[男は、思った。
何故なのか、と。
自分は名誉など欲しいわけではないのに。自分に才能があるとすら思っていないのに。自分は、ただ、この素晴らしい世界を、他の人にもわかって欲しかった、見て欲しかった、だけなのに。
その想いは果たされたと、思っていたのに]
このこ?このこはね。ぽーちゃん。
まっしろふわふわの、ひつじだよう。
[お人形のほおを撫でて、千夏乃は答えた。]
お人形さんは外国からきたの?長旅だったのね?
――もしかして、おばあちゃんが子供の頃のお話、だったりするんですか?
[目をまるく見開いて、問う。]
[叫ぶように呼んでしまった所為か、柏木は驚いて振り返ったように、見えた。
己は、笑っていた。
勿論、嘲笑の類ではない。
微笑んで、いた。
『何か』に怯える柏木を無意識にも同志のように感じていた。
覇気の感じられぬ柏木の声が鼓膜へ伝う。
まだ、自分が『あいつら』に見えているのかもしれないと、朧げに悟り。
明日、明るい陽光の下、会話をすれば…、彼の心に巣食うもののかたちを教えて貰えるかもしれない、などと思考を巡らせ。]
じゃあ、また明日。
[一方的に約束を取り付けて手を振り、柏木に背を向け階下へ向かうべくエレベーターへと消える。
それが、最期に見た柏木の姿、だった*]
[そうして、男は病んでいった。男の描く絵は、段々と暗い物になっていった。
男は少しずつ思うようになった。周囲の人間は、自分の世界を本当に見ても、素晴らしいなどとは思わないのではないか。綺麗だ、などとは。もしかしたら、鮮やかだ、とすらも。だから彼らは自分をくだらないとわらう]
[笑う。わらう。わらう、……]
[皆、笑っている。
皆、自分を笑っている。
皆、自分の世界を、笑っている]
[男は、そう考えるようになった]
[男は、妄想に、狂気に、取り憑かれた。その頃から、男の描く絵は変わった。男はサングラスと帽子とマフラーを欠かさないようになった。
笑う目を見ないように。笑うあいつらは色に閉じ込めて。笑わない、恐れる目を、見られないように。口を見られないように。笑わない、それすらも、笑われる、それを、避けるように]
[妄想を恐れ続け、
妄想に追われ続け、
男は、その日、己の住むマンションのベランダから、飛び降りた。あいつらが、消せないのなら。自分が、消えてしまえば。助かるのではないかと。もう苦しむ必要もないのではないかと]
[だが、それで男が死ぬ事はなかった]
[打った体、砕けた左足、それらの痛みは、感じもしなかった。雨に濡れながら、男は暗い空を仰いだ。刹那、唯一愛し続けていた色彩にすら、見放されたかのような気持ちになった]
……こはるちゃん?
[突然飛び出した名前に、首を傾げる。
千夏乃は個室だし、あまり他の子供と面識はない。]
わかりません。わたしが知ってるのは、三つ隣の部屋の、あっこちゃんくらい。でも、あっこちゃんはまだちいさいんです。わたしより大きいひとは、えっと
[そういえば昨日の、と、彼の名を思い出そうとした時、談話室に当の本人が、現れた。]
>>116
[老婆は頬を緩ませた。
孫のような年齢の子供に囲まれて午後の一瞬を過ごすことに、幸福を見出して。けれど、人形を抱える腕に力がこもる、彼女は知っていた。老婆は、彼らにとっての“家族”ではない。
孝治の言葉に悪戯気に口端を持ち上げる。円らな瞳は半ばほど閉じられた。後藤の内心を察するほどの鋭さが、老婆には圧倒的に足りなかった。後藤も、羊の子も、圧倒的に若く――そして、老婆にとっては孫ほどの、年齢だったから。]
なァにを言ってるのさ。
女の子ってェのはね、細やかな男に弱いんだよう。
さっき服のことにぱっと気づいてた孝治くんはァ、
女の子に見初められる才能があるってェのさ。
顔もカッコいいし、将来引っ張りだこだよう、ねえ嬢ちゃん。
婆ちゃんが太鼓判押しちまう。
……おや。バレーに興味があったのかい?
[「また」など、「明日」など、訪れはしない。訪れてはならない。そう考えながらも声にはせず、男はユウキの姿を見送った]
[そして、窓枠に、両の手をかけた。ぐらつく体に、窓の縁に一旦肩を預ける。窓の外に広がる空を仰ぐ。先よりも橙を増した空は、綺麗だった。何処までも何処までも、綺麗だった]
少し前の話
>>117>>
[ぽーちゃん、と紹介された羊に老婆は軽く頭を下げて見せ、
それから次いだ好奇心をそのまま嵌め込んだような目に、んふふ、と笑った。
もったいぶったように背もたれに背を預け>>101話題の転換をさしはさみつつも
さてどういったように話してみようか と言うことが老婆の内心を占め
かつ、そのことが彼女の心を浮きだたせていたのは傍目にも明確なほどだった。
けれどその話も、彼女の>>103ちょっとした言い間違いの中に霧消してしまった。そうして田中老人は心躍らせていたことをするりと飲み込んでしまって、
今の話をに――主に、孝治がモテるだろうという話に――夢中になっていた。]
>>123
[見初められる才能が、と言われて内心までは悟られてないことに一瞬安堵すると同時に、その言葉に頬を少し赤らめる]
...そんなことないですって。
細やかというよりお節介なんだろうし...。
千夏乃のような人なら、僕も歓迎だと思うけれど。
[少しテンパってはいたもののそんなことを言える程度に余裕はまだあったようだ。
自分の本心には蓋をして。
自分の想いにも蓋をしても。
でも、
自分の願いには蓋をせずにいたいと、そんなことを思いながら。]
いや...そんなことはないけど。
ルールとかはまだ知っているような競技で良かったな、なんて思って。
夜
[今日初めての夕飯を食堂で堪能して、病室に戻る。時計のことが気にかかったが、もう消灯時間まであまり間がない。迷惑だろうと、柏木を訪問するのは明日に回すことにした]
少し、怖いけど……悪い人じゃないよね
[新しいパックに変わった点滴の管をどけながら、看護師によってか、閉じられたカーテンを開いた。
きっと直るはず。直してくれるはず。誰のものかわからないけれど、きっと――]
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