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[背に受けるアイノの声は、
軽業師の耳へ入らなかった。
胎へ命を運ぶ蛇がひとつ減った――
たったひとつかもしれない。
父親になるかもしれない等考えてもいない男は、
然し逆落しにひとつ、壁を蹴り、身を弾く。
殆ど真正面から、瓦礫に凭れる旧友の首へ、
両腕巻こうと組みつく態で飛び掛った*]
[総身を打つ火花の極彩色は、
原色を失ったこの世界、この歓ばぬひとときに
異様に咲き誇る ―――― 【 grotesque 】.
いちど拒まれたかたちの抱擁は、
マティウスの言葉の意味が沁みる頃に――――
旧き友が、
その胸に、外側へ裏返る肋骨の華を咲かせ
心臓残す四臓六腑を、背の生皮透けるまで
灼ける手指で執拗に掘り尽くしたその*頃に*。]
[ぐらり]
[マティウスに圧しかかっていた軽業師の
上体が一度大きくのけぞって…天を仰ぐ。
胸に抉れた傷へ沿うていた
旧友の手はぱたりと落ちる。]
[燃料が尽きかけていた炉は火が落ちて。
身の裡に融けた、かの執行人の片手剣が
冷えゆくまでがいま暫くの熱源となる。
身を浸す喪失感が、熱さと痛さの境を儘に教える。]
…
( ― 死んではいないよ ― )
[鮮紅色の動脈血に両肘までぬめる手が、
アイノの視界でふら ふらと揺れて語る。]
( ― 生きてもいないが ― )
[――その間にも、実験体"0331"の細胞は震え
崩したジュレのようだった胴が再生をはじめ]
( ― 時間は あんまりないよ ― )
( ― …アイノ ― )
[男が有翼人に差し出させたのは"堕天"の実。
ふらと身を起こして其の人へ場を譲り――甘く唆す。]
[子守唄で胎児を抱き揺らす
かの娼婦の元へは行かない。
――――しとり
しと、
しとり…
錆びたクレーンの先端にぶらさがる何か。
其処此処から滴る血。
吊るされているのは白目を剥いた運転手。
軽業師は仰向き、暖かい滴りを身に受ける。]
( ― …痛い? ― )
[奪ったナイフはちゃちなもの。
小さな刃を際どく寝かせて滑らせる。
既に生皮を剥がれた太腿を、薄うくに削ぐ。]
[暴れて助けを求める犠牲者は、然し己が
切れた腱の断面をひくつかせているだけな
ことを理解できない。己の姿を見られない。
――喉へ突っ込まれた鉄パイプが、
声帯を震わせることのないように
そう配慮されたものとはわかるのだけれど。]
[割れ曇ったロードミラーの首が皿代わり。
向こうが透けて見えそうな薄肉が、ひたり
また一枚薄造りめいて並び、運転手の膝は
削り取られた軟骨の故にかたかたと震える。
脂を浮かせるナイフを丁寧に拭き、男は笑む。
――――熱源に寄生するいきものの両腕は、
旧友たるマティウスの血に肘まで濡れた後、
ひとときもその色艶の乾くいとまがない。]
[尋ねたいことを聴くのは一度だけ。
それから先は――声も出させぬ地獄。
ぴく、ぴくと蠢く運転手の首が、揺れる。]
……
……
[逆さ吊りにされた格好で身動きも出来ず、
喉から鉄パイプを生やした瀕死の運転手は
鉄パイプの先から垂れる胃液で、
何度目かの「ころして」を書いた後――
軽業師が撒き直した砂の上に何かを書く。]
…
( ― ありがと ― )
[知覚されるか解らぬ手話を運転手の腹へ
軽く綴って。脾臓へ触れるだけの状態で
刺しておいたクレーン車のエンジンキーを
――――押し込んで、捻った。――――]
[ずしゃり、
銃痕刻まれた壁に片手をついて、身を支える。
男の片足は、引き摺るほどの長さもない。
息は上がるが、熱を極力逃すまいと馬銜を噛む。
炉の火が落ちたはさいわいで、
傷口のコールタールは固まりだし…
大規模な追跡を受けずに済んでいる。
――相手取るのは、]
( ― 『カレワラ』… ― )
[静かな場にこそ伏せられた、罠と其の*仕手*。]
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