ねえ、グリタさん。
[彼はまだ、聞いていただろうか]
もし、俺が……「そう」だったら。
[人狼、だったら]
俺の荷物の中に猟銃があるから。それで――
[言いかけた言葉は、グリタの表情を見直すと、かき消えた]
ごめん、変なこと、頼もうとした。
じゃあ俺、行くね。
[にー、と笑うと踵を返して部屋を出た*]
[二度目の処刑が行われた頃]
お化粧なんて、七五三以来かしら。
[齢十かそこらに見えるツキハナに、内掛けを羽織らせた。
右手の薬指で、妹の頬をなぞる。
目元のほくろを基点として、口角のところまで]
[腕から滴る赤いものは、袖にしみてゲッカの死に装束をまばらに染める]
ツキハナはお肌が白いから、赤が映えると思っていたのよ。
[妹の頬についた赤い線を眺めて、顔を*ほころばせた*]
― とりあえず、後日 ―
[目印にと置かれた石に向かって手を合わせる。
お供えしたのはお線香と、あの日飲んでもらえなかった、蕎麦茶。
あの、人狼騒動のから開放されたあと、ゲッカの遺骸をどうしたのか散々問いつめたが自警団長はついに口を割らなかった]
まあ先にぶん殴っちゃったからなー
[危うく流血沙汰にしそうだった自分を止めたのは、祖父の一言。
それでこうして、お墓とも呼べないこの場所で、手を合わせることが出来ている]
それじゃちょっと、行ってきます。
[立ち上がると土埃を払う。
普段と変わらぬ格好だが、行き先は違う。
帝都――
最初グリタの後をこっそり付けて行こうとしたその目的地は、迷子になったときにたどり着ける気がしなかったので、念のため行き方を教えて貰った]
おっと。
[覚え書きを取り出そうとして、別の紙に触れる。
人狼騒動の始まりを告げた、封書と紙ぺら。
それを、睨むように眺めた後。
くしゃりとして背後に投げ捨てた**]
[チカノが連れてゆかれる後姿を見ながら、ぽつり。]
これがほんまに正しいんかは、分からへん。
そやけど……こうするほか、あらへんのや。
[もし明朝も死人が出れば、粛々ともう一人。
既に死を悼む感覚は、どこか麻痺していた。]
[翌朝。
自警団の者が来て、晴れての解放を伝えた。
各々が身支度をする中、玄関でぼそりと]
あのな……。
僕、ゲッカ姉が化けもんやった夢を、見たんです。
もちろん普通の状況やったら信じるわけあらへんよ、そんなん。けど、こんな状況やし、うちはあれやろ。
[栂村の家のことを指して。]
[はぐれないように、姉の手をしっかりと握って。
また一つ夜を迎えると、吸い寄せられる魂があるのだろうか。]
七五三以来?
そっかもうそんな前になっちゃうのね。
[日ごと美しさを増す姉。化粧を施してもおぼこな自分。
大人になりたくても近づけないもどかしさが、胸の中でちりりと熱を上げる。
嗚呼、自分も姉のようにおとなだったら。あの人は振り向いてくれるだろうかと。]
でも、お姉ちゃまには敵わないもの…。
[「赤が映える」
微笑みで更に美しさが増す、姉に懐く思いは嫉妬。
指先でなぞる軌跡に戸惑いが零れ落ちる。
滴る深紅は、それさえも姉の美しさを引き立てるかのようで。]
――ねぇ、お姉ちゃま。
おとこのひとは、赤い色が似あうおんなのひとが、好きになるの?
わたしも、お姉ちゃまみたいに赤い色を流したら。
あの人が振り向いてくれる?
[悔し紛れに訪ねる問いとて、やはりおぼこさは*拭い去れず*]
[死化粧を施された姿を、どれくらいの時間眺めていたのだろう。
彼が化粧の職を生業としていると聞いた頃から、わたしには胸に小さな夢が広がった。
――彼に紅をひいて欲しい。
たとえ生業の延長でもいい。
ひとときだけ、彼の意識を一身に受けられるのなら。
彼の瞳に見つめられるのなら。
この後どんなことが訪れようとも。
その想い出だけを胸に生きて行けるだろうと。]
──そう言えば、あの時バク君は……。
[帝都に帰るための汽車を待ちながら思い返すのは、自警団にもう一人の人狼だったらしい少女が連れて行かれる前に、少年が言いかけた言葉。]
あの子は、人狼ではなかったのだろうけれど、「何か」が出来る子だったのかもしれないな。
[詳細な事情はわからぬが、自分の何かに不安を抱いたのかもしれぬ、そんな気がした。]
[彼を初めて意識をしたのは、まだ齢6つも行かぬ頃。
姉の後ろに隠れてばかりのわたしに、柔らかく微笑む姿に幼いながらも心惹かれた。
足許もまだおぼつかないわたしに、いつも歩調をあわせてくれた。あやとり、おはじき、紙手鞠。外で遊びたい盛りだろうに、いつもわたしのわがままを優先してくれた。
ままごとで差し出したとても食すものとは思えない草花だって、きちんと食事に見立てて美味しいと頷いてくれた。]
[後に耳にした大人の話で、
当時は相当大変な時期にもかかわらず、
そんな素振りも見せず、
わたしに気を使ってくれていたと知った時。
なん馬鹿なことを強要したのだろうと、とても恥ずかしくなった。
それでも彼は変わらず、駆け寄るわたしを見ては、柔い声で呼んでくれた。
「ツキハナちゃん」と。]
[妹のように思われていたことは、
早くから知っていた。
だけど彼を思えば思うほど、
揺らぐ気持ちは溢れ出しそうで。
村から出て行った後も何度も手紙を出そうと筆を取り、
ため息交じりに置いた。
もう、彼だって大人。
素敵な女性を見つけているだろう。そう思って。]
[あの日、自警団に呼び止められた日。
わたしは密かに人狼へこの身を捧げようと森へ向かっていた。
彼らの噂はかねてから聞いていた。
それならば。
自ら生贄になろうとて悪くはないだろう。
あとひと月かそこらで、わたしの生きる意味は終わる。
ならこの気持ちを懐いたままで。
誰にも穢されぬことなく死しても変わりないと思うから。]