― 村の外れ ―
[家屋は途切れ、田も畑もなく、それ故に人通りも少ない、村の片隅。虫の声や葉擦れの音しかしない其処に、男が一人佇んでいた]
……
[地味な紫の着物を纏った男は、山の木々を、空を見つめ、そっと目を閉じる]
……嗚呼。今日も、空が綺麗ですね。
[再び目を開き、呟く。向ける相手もなく、しかし語りかけるような丁寧な口調で。
語り。男は「語り部」だった。己が記憶する様々な話を、子供に語って聞かせたり、儀式などの際に演じ語ったりするのが男の村での仕事だった。
そして、村の時を――幾つも生み出されてきた虚偽や錯誤も含めて――語り継ぐのが]
……、
[熱を孕んだ風が吹く。男の髪が、着物の裾が、微かに揺れる。左の袖だけが大きくはためいた。右手でついと押さえるその下に、左手はない]
[男には先天的に左手が存在しなかった。左腕の肘から先がない状態で生まれたのだった。その特徴から子供の頃に儀式の対象に選ばれかけた事もあったが、結局男が神に奉げられる事はなかった]
高きにおわす 天の御神よ
迷える我等を 導き賜わん
[小さく祈りの歌を口ずさむ。歌声は柔らかくも凡庸なもの。ゆるりと踵を返すと、草履の軽やかな足音を響かせながら、村の何処かへと*歩いていった*]
[からり、からり。男はいつものように村の中を歩いていく。緩慢な歩調で、時折景色を眺めながら。人に会えば微笑んで挨拶をしつつ]
……ふう。
[降り注ぐ日光、熱を蓄えた空気。額に滲んだ汗を手の甲で拭った。日陰になっているところで少し休んでいてから、また歩き出し]
ダンケさん。
おはようございます。
[畑に作業をする姿が見えれば、そう声をかけた]
ええ、今日も暑いですね。
こう毎日暑いと、体調を崩される方も多いでしょうから……少し心配です。
ダンケさんもお気を付けて。
[青く眩しい空を仰いでから、ダンケに向き直って言い]
そうですね、もうそろそろで……
直に準備も始まるでしょうね。
有難う御座います。へまをしないように頑張りますよ。
[儀式の話に、静かに笑んで頷いた。最後は冗談のように言って小さく首を傾け]
そうですか、ポルテさんが。
もう幾らか涼しくなれば楽なのですけれどね。
ふふ。今日もお元気そうで何よりです。
今回もそうであれば良いのですけれど。
今から緊張していますよ。
[笑いつつダンケと言葉を交わしていて。ふと声をかけられれば其方に顔を向け]
今日は、セイジさん。
[軽く辞儀をしてから挨拶を返した]
ええ、もう少しで……浮き足立ってくる頃ですね。
[そのうちに村は儀式の準備に追われ出すだろうと。準備に関しては、男自身は片手しか持たない故に、あまり力添えができないのが常だったが]
有難う御座います。
セイジさんの笛、楽しみにしていますよ。
[音楽を得意とする相手を見、目を細めて笑んだ]
[それからも幾らか言葉を交わしていたか。そのうちに別れる段になれば、会釈をし]
では、また。
[裾と片袖とを翻して、歩き去っていった*だろう*]
[村の片隅。木陰にある岩に腰掛け、疎らな人通りを眺めていた。話しかけられれば挨拶を返し、時には世間話をしつつ、時を過ごす。平時、男の仕事は少ない。欠損を持つが故にだろう、子供を望まれる事も、同年代の者と比べれば多くない]
……
[ただ静かに、流れる雲を仰いでいて]