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……飽和を。終末を。
そのようなものが、なくとも。否。ないとするならば。
私は。どうすれば、良いのだろうか。
[ナイフを持った腕を降ろし、呟きながら歩く。やがて見えてきた姿に、立ち止まった。ウルスラ。抜き身のナイフを手にした男の姿は、彼女の目にはどう映ったか]
……ウルスラ。
[呟くようにその名を呼び、一歩一歩、近付いていく。それに伴い、彼女は離れていこううとしただろう。その距離を詰めていく間は、悩む間のようでもあった]
[突然に一歩、駆け出すように踏み出して、空いている方の手でウルスラの腕を掴んだ。ウルスラは驚いたような表情をしたか。その顔に顔を寄せ、間近に見下ろす。ナイフがなければ、愛の告白をするかのような様]
……すまない。
[だが、囁く言葉は、愛ではなく謝罪で]
あるいは。謝るべきでは、ないのかもしれないが。
それでも……
[見た目は細身気味ながら、充分に力を具えている男は、女である相手を逃す事はない。ウルスラの表情に焦燥や恐怖が浮かんだなら、僅かに眉を下げて]
[ずぶり、と。その胸にナイフを突き立てた。切っ先から沈んでいく刃は、およそ正確に心臓を捉え]
……
[滲み出る血が刃を伝い、白い手袋を赤く染めていく。一度捻るようにしてから、ナイフを抜き取った。掴んだ腕を反対側に押すようにしながら。その反動でウルスラの体は背中から雪の上に倒れ]
……嗚呼。悲しきかな。
[倒れゆく体から勢い良く噴き出す血を、男は浴びた。多量の血によって、紅いコートはただ濡れたように。代わりに、薄い色の髪と顔に飛び散った血が目立ち]
[そして、眼鏡のレンズにもかかった血のせいで、視界のところどころが赤い点で隠されていた]
……刻み込まなければ。
どこまでも……幾つも、幾つも。幾つも……幾つも……
[どこか熱に浮かされたように呟く。その場に既にレイヨがいたか、訪れたならば、そこで気が付いたように其方を見やっただろう。向けるのは虚ろな瞳。血に濡れた姿で、一瞬、仄かに――口元へ、笑みを浮かべて。
普段けして浮かべないそれは、愉しそうでも嬉しそうでもない、形だけをなぞったような物だっただろう]
[見えぬ方が聞こえるものもあろうかと、マティアスの言葉を思い返し曇った眼鏡ははずしたまま。キィキィキィキィ…―――車椅子に座す求道者はウルスラの家を目指して、道中にアルマウェルと探し人の姿を捉える。
滲む視界でなければ逆に彼らは愛を囁きあって見えたのかも知れないが、今はそれがどんない遠くとも仲睦まじい二人でない事を見て取れた。まだ会話は聞こえずも、瞳を凝らすより彼らに近づいていく間に―――アマルウェルの振り下ろすナイフ]
………あ…ぁ―――
[急いで向かうより静止を叫ぶより誰かの名を紡ぐより、ただ掠れたうめきにも似る音が洩れる。ウルスラの倒れていく姿を、血を浴びる紅いアルマウェルの姿を見開いた滲む視界に写して呆然と…]
………アルマウェル…
[眼鏡をかける事もつるに歯を立てる事すら忘れ、血に濡れる彼を見上げる。幾つも幾つも―――繰り返される言葉の意味を汲めず、向けられる感情の読み取れない滲む笑みに眼差しを細め、下がる眉は前髪に隠れど面持ちは隠せず]
どうして…―――
[震える口が掠れた声で問いにならぬ問いを零し、眼鏡をはずそうとしてやっと眼鏡をかけていないのに気づく。眼鏡を取り出しかけなおせば、輪郭を取り戻す夜に眼鏡すら血に濡れる紅いアルマウェルが鮮明に見えた]
…………
[キィ…―――倒れるウルスラの傍へ寄り、身を乗り出し手を伸ばす。瞳が開いていれば眼鏡をずらし光失う瞳を覗き瞼を閉じさせ、額に触れようと]
僕は彼女を殺そうと思いました。
…こわかったから確かめたかったんです。
…―――
[訥々と語るも謝罪を呑み、まだ温かいウルスラに触れる手は、ビャルネに触れた時よりいっそうに躊躇い震える。アルマウェルの存在を気にはするも、胸元から容器を取り出した]
……レイヨ。
[軋む音。近くまで来た彼の名を呼び]
どうして。何故か。
為さねばならないからだ。血を以て、血を。
早く終結を迎えなければ……終焉が来たるからだ。
[問われる理由に、ぽつりぽつりと口にする。血を浴びた男の姿は、凶兆であるオーロラにより似ていたか]
死を。多く見たくないからこそ、殺した。
しかし。見たいからこそ、殺したのかもしれない。
[ウルスラに寄っていくレイヨを見据えながら返す答えは――疑っていたからだとは、言わないもので]
為さねばならぬ事は…
血を以て血を漱ぐ事なんでしょうか。
貴方の仰る終結は何で終焉がなんなのか…
僕にはわかりません。
貴方は死を見て何を感じられるんでしょう。
[紅いオーロラに似るアルマウェルへ訥々と返す間も、自らも殺そうとしたウルスラから視線をそらさない。飛び散り溢れた血の勢いは失せど、胸元から溢れる血は周囲の雪を赤黒く染めて広がっていく]
―――…ウルスラ…
[どこか正体を失って見えるアルマウェルの傍ら、それでも早く確かめようと丸薬を舌に乗せる―――塞がりきらない指先のカウコへ差し出した血の味が混じる。カクリとすぐに深い深い死の淵へと眠りに落ち、項垂れるように頭もさがった]
―――…、………
…………
[アルマウェルの傍ら車椅子に座すまま、半ば仮死状態で動かぬ時は長くはないが決して短くもない。咳き込み見開いた瞳からはぱたぱた涙が零れ、肩で息をしながらウルスラの遺体を見た]
違う………、…―――
彼女は狼使いじゃなかったんだ…
前に言った通りだ。血を以て、血を制する。
元凶を見付けん。事態を粛正せん。
狼遣いを処刑し切る事が、終結だ。
この村が滅びる事が、終焉だ。
[問い掛けには淡々と。
最後の問いに答える時だけは、少しく目を伏せて]
……悲しみを。寂しさを。苦しさを。
そして、恐れを。
[低くした声は若干震えを含んでいたかもしれない。丸薬を飲んで気を失うレイヨに、瞬き――やがて目覚めた彼の口からウルスラの無実を聞くと]
……そうか。……残念だな。
村の終焉を僕も望みません。
事の終結を願っています。
でも狼使いを殺せばすべて終わるんでしょうか。
狼は村を襲わずかえるんでしょうか。
[明けぬ夜に靡く紅い、禍々しくも美しくも見えるオーロラとよく似たアルマウェルへ、向き直る。伏せられる目、幽かな震えを含む声が語る―――死]
………残念…
きっと狼使いを見つけても残念です。
それで終わらなければ。
終焉から逃れられないというのならば。
その時は、諦めるしかない。
ただ。わからない事だ。
為さなければ……その後が、どうなるかなど。
[暗い空を、紅いオーロラを、仰ぎ見て。見つけても。そのレイヨの言葉には返事をせずに]
……レイヨは。
遠い過去を、覚えているか?
[代わりに、一言、問う]
私は覚えている。全てを。何一つ、忘れる事はない。
私はまじないなどできない。狼も操れない。
唯一、……記憶力だけは、必要以上に、甚だしい。
[オーロラを見ながら語る言葉は、告白のように]
それ故に。
この目に見たものならば、死も、けして忘れない。
[そこでふと、レイヨに向き]
……だからこそ。見たくない。
せめて。飽和させられればと思うからこそ。
見たいとも、思う。
[見たくないから。見たいから。先程そう返した「理由」を補足するように重ねる。暗い瞳に僅かに過ぎった色は、狂気に近かったかもしれない。――狼遣いのそれとも、揺らぐ者のそれとも、違う]
……矛盾。
愚かしいな。
[吐き捨てるよう、独りごちた後]
……。それでも。
村を救いたいと思っているのは。
そのためにこそウルスラを殺したのは。間違いない。
……特別に疑っていたわけでは、なかったが。
……、私はウルスラの件を伝えて来よう。
ウルスラは、誰か他の者に。
必要があれば、後で私が手伝っても良い。
[最後は使者としての表情と言葉に戻り、告げた。それから、血に染まった姿のまま、歩いていき**]
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