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- 回想・割り当てられた家屋 -
〔自然は人の思惑の範疇など軽々と超える。
其れは杏奈にとって大きな誤算となり襲った。
頭の中に浮かぶ二つの壁の前に〕
―― … ふざけてる。
〔口癖の様な言葉と舌打ちという、悪態をついた。
一つの壁は、彼女の前に立つ家屋。
手持ちランプの灯りを受け
ぼんやりと佇む家屋は、異形。
常であれば然程恐ろしさも無いものの、
暗がりであれば余計であった。〕
……。
〔ごくり、と息を呑む杏奈。
そして、襲い掛かる二つ目の、壁。
其れは何よりも高く、険しい。簡単な事だ。
この家屋に、一人で入らねばならない、事。〕
だいたい、何。
電気まで止めちゃうなんて時代遅れもいい所。
いいじゃない、電気ぐらい。
良い場所なんだもの、タダで寄越しなさいよ。
〔そして、恐れが伝わるのは言の葉。
無茶な要求を、受け取る事の無い夜空へ。〕
〔杏奈自身が選んだ道なれど、
立ち塞がる現実は一匹狼を好む彼女すら、
戸惑いと恐怖でその足を竦ませた。〕
……ッ
〔ゆっくりとランプの電源スイッチに
伸びる手は、寒さからか微かな震え。
そして震えはその灯りを闇に帰した。〕
…すぅ、…はぁ、…すぅ
〔杏奈を包む、闇。
しかし、杏奈は既に瞳を閉じた後だ。
助走の様な深呼吸を繰り返す。〕
〔暫しの間を経て、意を決した瞳が強く開く。
つかつか、と歩み寄ると手の中の鍵を、
必要とする家屋の其れへ差し込んだ。
そして、乱暴に回す、回す。〕
…っ、このッ
さっさと開きなさいよ、オンボロっ!
〔別に其れがボロであったかどうかより。
ただ単に杏奈自身の焦りがそうさせたのか。
中々に鍵は上手く開いては呉れなかったが〕
あっ…!
〔かちりと音を立てて開いた其れに、雪へ溶けて、消えてしまいそうな程の、笑顔を見せる。〕
〔きっと杏奈が此処へ訪れて初めてみせた喜色。
心から湧き出る、純粋な笑顔だった。
当の本人はというと、数秒も経たぬ内に、
目の前の扉をこれまた乱暴に開け放ち、
笑顔など、とうの昔に忘れましたという顔で〕
……手入れは、されてるみたい
〔ぽつりと零す。
だというのに、靴を脱ごうとしない。
はいたまま、奥へ入ろうと〕
あ
〔5歩。通り過ぎた箇所で靴を脱ぐのだと気付き。戻っては、のんびりと靴を脱いだ。〕
〔靴を脱げば、灯りを点ける。
不機嫌そうに家屋内を照らし、
恐る恐る、という体で中へ踏み入る。〕
……誰か、居る?
〔居る筈も、無い。〕
居たら、返事して。
〔返事をしたらどうするつもりなのか。〕
――、居ないみたい。
〔そして得る、当たり前の結論。〕
〔出掛かった言葉が詰まる。
代わりに奥から飛び出そうになる心臓。
まんまるに開いた瞳で扉を見つめ〕
―――。
〔息を、殺す。
何か、よくわからない言葉を紡いで
かつこつと扉をノックし続けるのは、
男性……の様だ。〕
〔軽い、パニックに陥る杏奈。
後退り、呼吸を忘れて居た事を思い出す。〕
〔再開する呼吸は震えていた。
何故此処に来訪者が?
フーユキせんせー?
……隠れても、無駄?
………年貢の納めどき?
……一つも理解できない単語が続く。〕
……ぅ
〔じくり、と胸が痛む。
緩い動作で抑えてはその場に屈み込んだ。
極度の緊張のせい、なのだろうか?〕
〔そもそも、人、なのだろうか。
人なら何故こんな場所に?
わざわざ此処へ訪れる理由がわからない。
……そんな思考が、杏奈を埋め尽くす。
編集者の思惑など、知ろう筈も無く。〕
……神様っ…
〔知るのは、恐怖。
人ではない、という仮の結論か。
普段の彼女から想像も出来ないほどの
震えと胸を押さえたまま紡ぐ祈り。〕
- 早朝・割り当てられた家屋内 -
〔瞳は虚ろ。
捉えるのは朝の光を受けて舞う、塵。
結局、杏奈は眠りに落ちる事が無かった。
押入れからシーツを引き出すと、
身体にきつく巻きつけて部屋の隅に埋まり。
そのまま朝を迎えた、という具合。〕
―― … 。
〔勿論、あらゆる事に手がついてない。
逃げる様にこの場所へ来て朝を迎えたのだから。〕
- →割り当てられた家屋前 -
〔丸まったシーツがちょこちょこと。
家屋の前へ踊り出ると見上げ、立ち止まり。〕
……。
〔言葉無く、望み続けるのは
世界を覆い溶け出しそうな、ハナミズキ。〕
―――、え?
〔遅れて出た、感嘆は疑問に近い。
寒さでかたかたと小さく震える白いシーツ。〕
〔恐らくの高さは10m程度。
ハナミズキの中でも大型なのだろう。
その真下、白のシーツが黒の真ん丸を揺らした。〕
――、あれ?
〔黒の真ん丸がはらり、散らす言の葉。
シーツから伸びた手が頬をなぞる。〕
え、え?……え?
〔其処には確かに頬を伝う、温もり。
流す本人すらその理由がわからない。
ただ、見上げていた。それだけなのに。〕
〔杏奈の胸が、きゅうと音を立てる。
雑巾をきつく絞る様な、あの感覚。
無理に言葉にすれば、其れが一番近い。〕
――。
〔指先に残る温もりを見つめ、逡巡。
ほぅ、と息を吐き唇をきつく噛み。
ハナミズキをもう一度見上げると〕
……御腹、すいた。
〔ぽつり、と呟いた。
白のシーツはそのまま管理棟方面へ向かう。〕
- 管理棟・玄関 コルクボード前 -
〔結局、一言で言えば世間ズレしているのだ。
杏奈はシーツを纏ったまま此処まで歩いた。
目撃した者が在れば不思議に思うだろうか。〕
えぇ、と
〔辿り着いたボードの前で、
文具を持参していない事に気付くが、
周囲を見渡せば用紙とペンは備えられていた。〕
〔一枚の紙とペンを手に取り。
ペンでこつこつと顎を叩いて逡巡。〕
よし。
〔貼り付けたメモを見つめ、真顔で頷いて。
白のシーツをふわり、と翻すと
何食わぬ顔で表へと歩き出す。〕
……、
〔辿り着いたのは、
管理棟近くのハナミズキの真下。
微かな風に揺れるシーツを纏ったまま、
潤んだ瞳は暫くの間、見上げ続けていた*〕
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