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「そういや先輩、どこ受けるんスか?」
ひょろりと背の高い図書委員の男子生徒が、カウンターごしに尋ねた。「桜明の教育」僕は返却済みの本をまとめながら、答えた。そろそろ本腰を入れないといけない時期ではあるのだが、僕はやっぱり図書室に入り浸りだった。自分の部屋より、ここの方が落ち着くのだ。「へえ、先生スか…なんか、それっぽいスね」「なんだよ、ぽいって」「似合うってことっスよ」
外はもう夕方の気配、下校時刻も近い。「あ、まーたアイツだよ…ったく、寝ンなら帰れっての」ぶつくさ言いながら彼はカウンターに積まれた本を抱え、書架へと向かった。作業を終えた僕は鞄から読みさしのハードカバーを取り出して、カウンターの奥の椅子に掛けた。作業のあと、下校の放送がかかるまでここで本を読むのが僕の日課だった。
今読んでいるのは昨日入ったばかりの、とある数学者の伝記。300年来の未解決問題をいかにして解き明かしたかを綴ったノンフィクションだ。最近はこういうサイエンス本ばかり読んでいる。マイブームというやつだ。まだ途中だが、読み終えたらコウサカ先生にもすすめようと思う。近頃は僕の方から面白かった本を紹介することも多い。
不意にどさりと音がして、僕は反射的に顔を上げた。 が、音の出処はここからは見当たらない。一度、ぐるりとあたりを見回した。丁度、一年生だか二年生だかの車椅子の子が図書室から出て行くのが見えた。それ以上は特に何の音もしないのを確認して、視線を活字に戻す。下校時刻までにあと1セクションくらいは読めるだろう。この調子なら今夜じゅうには読み終えられそうだ。
高校生活も残りあと一年を切った。かなりの時間をこの図書室で過ごしたし、それは卒業まで続くだろう。部活もアルバイトもせず、ライブにもカラオケにも行かないしプリクラなんてものにも縁のない、人から見たらつまらない時間だったかもしれない。それでも僕はこういう毎日が結構、気に入っていたりする。代わり映えしない、なんでもない日々だ。
下校時刻の放送が鳴る。僕は本を閉じて、立ち上がった。こうして、僕のなんでもない一日は今日も何事もなく、過ぎていくのだった。
[言うつもりはないことだけれど。
思っていたら、荒らげられたその子の声が悲しく、つーんと胸の奥まで響いた。耳が痛い。大声でこそなかったけど、トーンが悲壮だった。
でも、何か返す前に飛んできたのは、声でも平手でもなくって。ぶつかるのでもなくて。
思ったより頼りない、白い手紙だった。]
[ボールを投げる、特に真っ直ぐ投げることは
案外難しいんだ。
ずって突き刺すように、
相手のミットをぶち抜くように投げなきゃいけなくて
ソフトボールで使う球って案外大きくて、
つまりわたしは、
それを投げるためにずっと練習してきてる。
つまりわたしは、
大きな球を投げるのに慣れていて
吹けば飛んじゃう小さなゴミみたいなものを
狙い通りに投げられるわけじゃないってこと。]
[勢いと力だけが空回りした結果の白封筒は
案外簡単に掌から飛び出して
間抜けなカサカサ音を立てて床に転がった、ん、だろう。
本当にそうなのか、わたしは知らない。
あの子の顔に向かってぶん投げたけど、
振りぬいた瞬間、背を向けて、
自分の鞄の場所まで戻り
一切合財詰め込んで図書室を出たからだ。
せめて顔に当てられたかどうか見ればよかった
――――だなんて、帰り道でも思う余裕はない。
だって、あの手紙を置いてきてしまったんだ。]
[せっかく回収した手紙。
見られるわけにはいかないって
嫌な噂がたつのも我慢して取り返したのに
取り返したのに、この結果ってなに?
なんだか無性に、むしゃくしゃして
喉の奥でぐしゃぐしゃして
アレが読まれてしまうのかと思うと吐き気がした。
じぐじぐになった目頭に夕焼けが痛い。
あんなもの書かなきゃよかった。
あんなもの、書かなきゃよかったんだ。]
いつも手紙、読んでくれてありがとう。
こういう話できる友達いないから、
話が出来て嬉しいって本当に思ってます。
この間手紙で教えてもらった通り、
ためしに一枚、書いてみました。
直接渡すわけじゃないって分かっててもすごい緊張するね。
あと恥ずかしい。
多分、返事の手紙が貰えるまで
私は死刑前日のような気持でいるとおもう。
読んでみて、直したらいいところ教えてね
『アンへ
いきなりこんな手紙を渡されても
気持ち悪いし戸惑うと思うんだけど、
私はあなたが好きです。
吹奏楽部で練習してるところ、
部活中にグラウンドから見惚れていました。
細い指が自在に音を生み出すのも
アンの横顔が夕焼けのオレンジ色になっているのも
すごく素敵で、ドキドキしました。
ここから何を書いたらいいか解らない ! 』
[ぐちゃぐちゃに丸くなった
『吹けば飛んじゃう小さなゴミ』は
確かにわたしの手の中から飛んで行ってしまった。
だけど、無くなったけど、
苦しい気持ちの滲みだすようなぐしゃぐしゃの封筒は
私の手の中から消えたけど、でも、
突き刺す夕日がすごく痛くて
どうにも耐えられそうになくて、
わたしは、できるだけ顔を上げないようにして
帰り道を進んでいった**]
[運動部だったみたいだけど、あんまり投げるのはうまくないな。そう思いながら、くしゃくしゃになってしまった白い紙を手で拾い上げる。
どうしよう。
奪い取っちゃおうとか捨てちゃえとか散々適当言ったけれど、本当に投げ付けてどっかに行っちゃうだなんて思ってなくて。
勢いはあった。あったけど、あの子、]
……捨てたくなかったのかなあ。
[理由もないのに、そんな台詞が漏れた。]
[迷っていたら、閉館10分前のアナウンスが鳴り響いた。
もうこんな時間になってたんだ。
私、今日は全然本を読まなかったな。
何だか、うろうろしたり、
ぐるぐるしたり、
話したことない人と話したり。
「書き直さないんだったら、捨てたら?」
私は確かにそう言った。
「……そんなの、
あんたに関係ないじゃん」
記憶が正しければ、彼女はそう言った。]
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