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ラウンジ
[ラウンジまで来た時、見つけたのは人形を抱いた老女の姿。
小さい頃あんなお人形を持っていたような記憶がある所為か、眼鏡の奥の目元が柔らかくなった。]
こんにちは。
おかげんはいかがですか?
[口元を動かし、笑顔を浮かべる。
もし具合が悪ければ看護師に伝える筈なので、これは質問としては意味が無い。
だから、やはり返事はあってもなくても気にする事無く、また歩き始める。]
[ふと窓の外を見れば、中庭には車椅子の患者とそれを押す医者の姿。
先ほどあちらに居た時は見かけなかった筈だから、入れ違いになったのだろうか。
何と無く立ち止まってじっと視線を向けてしまい。
相手がこちらに気付けば、軽く手を振り。
そうでなければ、やがてまたその場を離れる。
わざわざ中庭まで出てきちんと挨拶をする、という事は無い。
後で会えたらその時でいい。
今日縁が無かったら明日、明日も会えなかったら明後日。
時間はまだまだ、いくらでもあるのだから。]
[柏木の呟きは肯定とも否定ともつかぬ、確認のような響きだったけれど、「ええ」と深く頷いた。自分に無いものを持っている彼に対し「羨ましい」と、そう感じたのは嘘偽りの無い素直な感想で。
病室で描かれているというその絵画に対しても、仄かな興味があった。
「是非に」と、微かな喜色を滲ませる様子へ返答を送る。]
どうしようもない、……か。
[「時が解決してくれるかもしれない」期待を込めてそう告げようかと開いた唇を、引き結ぶ。柏木にとっても自分にとってもそれは、気休めでしかない言葉なのだと感じていた。
持ち上げた視線の先、傾きかけた陽光が空を橙色に染め始める。
今、何時なのだろうと腕時計を確認すると、時計は止まっていた。父の遺品だった。]
…と、すみません。時計止まってました。
そろそろ、戻りましょうか。
[長話に付き合わせてしまった事を詫び、制止されねばそのまま、来た道を辿り柏木を病室へ送り届ける。
引き返す途中、院内の窓辺に佇む女性の姿を見止める。歌い手の女性だ。
ファン、という程でも無いのだけれど、彼女の歌声が好きでCDを入手した事もある。
柏木へ「歌手さんいますよ」と上階を示し、その姿へ手を振った。
部屋にあるという絵画を見せて貰いたかったけれど、診察に戻らねばならない己は「また、顔出しますね」と残し、空の車椅子と共に慌しく*去った*]
[中庭を見た後、アナウンスに呼ばれた少女へ、そうとは知らずすれ違いざまに挨拶をして。
その後も忙しそうなスタッフ、売店へ移動中の患者、見舞い帰りの人、様々な人と会い。
時に筆談をしてもらい、時にこっそり小さな声で歌ったりしながら時間は過ぎて行く。
ぐるりと院内をめぐってしまって再び3階へ戻った時、談話室で退屈そうにしている少女の姿が見えた。
それは小児科にかかる子供たちが良く浮かべている表情だと、彼女は知っていた。
大人にとっての入院と、子供にとっての入院は、その意味合いが異なる事も、知っていた。
だから少女の近くに行き、挨拶と共にこんな言葉を述べる。]
こんにちは。
…お歌はいかが?
小さめの声でないと怒られてしまうけど。
[そして、自分では小声のつもりだったのに怒られる事もしょっちゅうだけど。
とも付け加える。
もし少女が望むのであれば、アヴェマリアでも歌おうか。
それとも、流行の歌の方がいいのか…最近の曲は、聞いていないから分からないけれど。
なんて事を考えながら、微笑んで唇に人差し指を当てた。]
[そんな日常が、これからも続くものだと思っていた。
けれどその日の夕方。
彼女は、病院を出て家へと帰る途中、彼女は人生二回目の交通事故に遭うこととなる。]
や、く、そ、く
ま、た…ね
[階段を下りながら、一段ごとに確認するように呟く。病院だからエレベーターはたくさんあるけれど、"病院の匂い"が篭りそうであんまり好きじゃなかった]
あのお店最後に行ったのいつだっけ…
[堂々と友達と買い食いできるようになったのは高校生になってから。長期休みにしかなかった入院が頻繁になったのも、それくらいだ。
一人で食べるのは、楽しくないから]
おばあちゃんと、約束っ
[とん、と一段飛び越して目的の階にたどり着いた]
今度は りくえすとしたら
歌ってくれるのかね
童謡なんぞォ、あの小っちゃい子たちも交えて歌えたら楽しいだろうにねえ
[人形に語りかけるように 一人ごち]
病院からの帰り・事故現場
(私…今度こそ死んじゃうのかな…)
[痛みらしい痛みは感じていなかった。
ただ、ひどく寒いくて、目を開ける事が出来ない。
ざらざらとノイズのような音が聞こえる。
その正体が人の声なのか、サイレンなのか、あるいは耳が更に壊れてしまっただけなのか、彼女には判別がつかなかった。
自分がどうなってるのかも分からないまま唇を開く。
しかしどうやら息を吸い込むという行為すら、今の彼女には難しいらしかった。]
――… …
[彼女の声は、果たして誰かに聞こえているのか。
それすらも分からぬまま、彼女は途切れながら、途切れながら、口を動かす。
内容は、誰かに助けを呼ぶ為の言葉ではない。
まして遺言などでもない。
それは子供の頃から身体に染み込んでいるもの。
主に捧げる為の聖歌。
神の御許に行く者の為の、鎮魂歌。]
(ああ、せめて…せめて…)
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