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[…キィ―――来訪を告げる声に、間を置き響く音。報せを運ぶアルマウェルの言葉に耳を傾け、パチと薪の爆ぜる音に連動する間合いで眼鏡の奥で瞳を瞬かせた。
遊牧の民でありながらいつからか歩くのを止め車椅子に座す求道者は、彼を見上げ暫くの間は口を開く事も無く思案するらしき面持ち。やがて訥々とした口調で幾つか確認をして、納得がいけば肯定を示す沈黙を置いた]
………
支度して向かいます。
[言葉を探すらしき物言いたげな間を自ら打ち切り、示すともなく燃える焔へ視線を向ける。キィ…キィキィキィ―――車椅子に座すも淀みない動きは、長年の生活で培った慣れを感じさせるもの。
アルマウェルの去って後も暫くは、火の傍で揺らめく焔を見つめていた。遠吠えは今も聴こえているというのに、早急に長老のテントへも向かわず。此処には過ごす時を咎める誰も居はしないけれど、居たとしてもそんなひと時も当人にしてみれば支度の一環と嘯くだろう]
[空に靡く不吉な紅いカーテンと、地を這う狼の遠吠えはどちらがどちらに呼応するとも知れず。キィキィキィキィ―――聴こえる声に応えずも、重なる車輪の音は車椅子に座す当人よりは雄弁。
膝掛けの下に仕舞う足の代わり、明けぬ夜に溶かされぬ雪の上に続く二本の足跡。キィキィキィ…―――ォオーン―――深と冷たい大気を震わせる幾度目かの遠吠えに車椅子の音はやみ、冷えた手を擦り合わせ息を吐きかける]
……きこえる。
こえが、きこえる…
[悴む手へ繰り返す呟きの篭る呼気に眼鏡は曇り、視界は白く染まる。役目を果たさぬ眼鏡をはずし見遣る、明けぬ夜の世界―――滲む視界の向こうに靡く紅は、返すべき言葉を見つけられず碌な労いもせず見送ったアルマウェルの後姿も想わせる。
思い返すまでもなく彼の来訪があったからこそ、支度を済ませた今こうして彼の後を追うように、外出をしている。目的地はまだ見えず、狼の姿もまだ見えない]
おおかみ…
[感覚を確かめるべく握る手に掠れた呟きを落とすも、震える理由は決して寒さだけではない。冷えた眼鏡のつるにいつもの癖でカリと歯を立てるも、膝掛けの端で曇った眼鏡を拭いかけ直した。
再び明瞭な輪郭を持つ紅いカーテンに彩られた明けぬ夜を前に、眼鏡の奥で眼差しを細める。キィキィキィキィ―――車椅子は、また軋んだ音を立て動き出した]
[キィキィキィキィ―――テントに着く頃には、もう随分と人が集まっていた。テントの入り口付近で止まり誰と目を合わせるより先に眼鏡の奥の瞳は、供儀の娘を捉える。
彼女が先に>>43零した言葉も、折に浮かべた口元の描くかたちも知りはしない。ただ娘の手は長老の衣の裾を握っているのは見えたらしく、眼差しを細めた]
…………
[目深にかぶられた娘の帽子に視線は交わらず、決して短くはない間に言葉はなく、薄く曇る眼鏡を再びはずす折に視線はそれる。眼鏡のつるをカリと齧りながら、遅くなった事を詫びるでもなく集まる面々を見回し―――眼鏡のない霞んだ視界に瞬いた。
曇る眼鏡を再び膝掛けの端で拭いてかけ直し、長老へ顔を向ける。説明は繰り返されずも報せを受けたと示すようにか、遅くなった事への苦言を零させぬためにか、添える浅い頷きは座す車椅子でなく当人が軋む音を立てそうな所作]
…申し出る者はありましたか?
いえ、先導している者ではなくて。
贄ならば疑わしき者ではいけないのですか。
彼女も疑わしいと仰るなら、別でしょうけど…
[悴む手の強張る理由は肌の感じる温度にでなく、無意識に膝掛けを握る。長老の決定に声高に反対するような力強さもなければ大きくもない声で訥々と語りながらも、輪郭を取り戻した視線は長老を見て、集まる者たちを順に見て、長老の傍らの供犠を見た。
明けぬ夜に冷えすぎた眼鏡はまた薄らと曇るけれど、供犠の娘と交わされる事のない視線を今度はそらさない。娘が口元に幽かな弧を浮かべたなら、前髪に隠れる眉を潜め瞬きには長い瞑目の間に深い*溜息を零した*]
[視線こそなくとも向けられるマティアスの顔と、低い声。疑わしき者の所在―――彼の言葉に彷徨いそうになる視線を留め、声の主さえ見ずにじっと燃える焔を見る]
…そうですね。
僕たちの中にいるなら…―――
[…ィ―――含む意ごと語尾を消すマティアスへ顔を向けると、身動ぎに軋む車椅子。じゃらり、会釈をくれたビャルネの杖の音が、一際大きく聴こえた気がして言葉の半ばで*口を噤んだ*]
…………
―――…、本当にいいのですか?
[膝掛けを握り周囲の言葉を聴きながらどれくらい沈黙してからか、長老へ向き直る。そうして苦渋の決断をした長老にではなく、孫娘の祖母へ向ける態で静かに問うた。
―――沈黙。
トゥーリッキの問いにも返答をせぬ老いた長老の瞳に何を聴いてか、前髪に隠れた眉根を三度顰める。けれどもう供犠の娘の事に触れはせず、現れたウルスラの手を振る姿に目礼した]
……
[止まぬ遠吠えと、集められた者たちの会話。キィキィ――…纏う香りにヘイノの現れるたのを知れば彼の言葉に、ずっと入り口付近から動かずにいた事に気づき端へ寄る。
群れて村を囲むも襲って来ない狼、騒がない臆病なはずのトナカイ、集められた理由―――…ビャルネの言葉に改めて人の多さを確認するように、順に人の顔を見ていく]
………ありがとう、外よりは温かいですから。
トゥーリッキのお連れさんも温かいといいです。
[周囲の会話には耳を傾けども思案に沈んでいたから、ヘイノの言葉に反応するのには間を要した。この状況で軽口を叩き合う二人にか、僅かにだが面持ちを和らげる。
マティアスの言葉が集まる疑わしき者を指すのか、狼を指すのかは判らなかったけれど、意識は外へ向く。ウルスラがヘイノに問いかける声に、村を囲む狼を想い眼差しを細めた]
本当に。
わからないことばかりですね。
[トゥーリッキの言葉に同意して、先とは別の意味で多くを語らない長老をちらりと見た。アルマウェルの声に、下がる眉は前髪に隠れども情けなさまでは隠せない面持ち向けた]
見据えられるといいですけど。
正直なところ僕はとてもこわいです。
[トゥーリッキの連れる蛇は白く、別物とは知りながらも長く見続ける雪を想わせもする。幾分か柔い声と膚に触れる鱗に、眼鏡の奥で瞳を瞬かせた]
…寝返りですかね。
[的外れな呟きは凍えぬ蛇を知れば、トゥーリッキとは違えども声音は幽かに柔らか。こんな状況でなければ、穏やかな微笑みも浮かんだかも知れない。
人も操作できると言うヘイノの言葉にまた思案するも、遅れて返される自分宛らしき声。首を傾げる彼につられて、同じ方向に少しばかり首が傾いた]
どうでしょうね…
ただ人も多いですし、僕は大丈夫です。
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