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[ドクリ]
[不意に跳ねた心臓の音がやけに大きく響いた]
[何故なのか未だ、解らない]
[それは目覚め始める獣の血]
[供儀とされた愛しい妹の喉元が
酷く酷く柔らかそうに見えて
そんな自分の意識に驚いて頭を振る]
[咥内で赤い舌が上顎を舐めた]
[未だ、気付かない 気付けない]
[人の子は気付かない。
供儀となった彼女の味などに興味は無いから、それがうまそうだとか、そんな感情は持たない。
このまま何もなく終わればいい。
それは本当に思っていることだったのにと、心の奥で少し笑う。
距離を感じる父、村の人々。
この平穏な日々の脱却を、望んでいた。秘めた、厳重に隠し続けた本当の願い。
ほしいと思ったものは、平穏な毎日ではなく――**]
[満月が 近づいてくる]
[身体がひどく熱く寝苦しい。
隣で規則正しい寝息を立てる妹の
シロイ肌が、白い、白くて、]
[ぐるぐると目が回る]
[目を閉じても眩暈が脳を揺らす]
…嗚呼、
[制御しきれぬ血の目覚めに
声にならぬ吐息が漏れた**]
[声を発するにはどうすればいいのか、
そう考えたけれど、思いついても今はやめた。
ただ、人のものではないと感じる。
だからその声を、静かに聞くだけにした。
幻聴ならばそれでもかまわないと、彼は思ってもいたから。
盗み聞きをしているつもりは、レイヨにはなかった。
人狼の感覚がどういうものなのか、彼は知る由もないし、潜んでいるつもりもなかったから。
いつもとは違う、そして自分が聞く声が特別なように思えたから。
心が確かに弾むのを、こらえることは出来なかった**]
…いけません。
私は…――なんて、ことを
[裡で想う言葉が他に伝播しているとはまだ気付かない。
眠る妹へと伸ばしかけた手を、
逆の手で ぎゅ、と握る。
そのまま、自身の身を抱き締めて小さく震えた]
[喉が 乾いてていく]
[満月が――どこかの何かを狂わせる]
[寝台の上で俯いた顔を上げると
いつも眩しげに細められた眸は真っ赤に染まっていた]
― 昨夜の事 ―
[ぞわり]
[全身の毛が逆立つのが判る
それは月の重力に惹かれているかのように
赤い眸の下、赤い舌で一度くちびるを湿らせて
見下ろした手の爪は伸び、鋭く光る]
[どうすれば今魔物となれるのか
血が 教えてくれる――…]
嗚呼、ドロテア、………
[小さく落とす呟きは震え掠れ 怯えるよう]
[夜のうち、届く声をただ聞いていた。
口元が笑みを作っているのに、本人は気付かない。
満ちた月は、目覚めたばかりの人狼を唆す。
それは、"食べ物"だと。
人狼に奉げられた、供物なのだと。
食べられる為にそこに居るのだと。
――何がいけないのか。
人間の子には、わからなかった。
満ちた月が狂わせたのか、もともとおかしかったのか。
それを、本人が理解することはないけれど。
人狼の声を聴きながら、その苦悩をも、彼は愉しんでいた]
[ぐ と 自身の肩に爪を減り込ませた
痛みに顔を歪めるのはひとときのこと
全身を覆う獣の欲望が薄れて行くのを感じ
ほうぅ、と、長く長く息を吐いた]
いや、だわ…
[それからずっと 一瞬も眠る事無く
寝台の脇で 眠る供儀を横目に見た侭]
[湧き上がる血の欲望を抑えるように
自身の身体を両手で、抱きしめていた]
[行動を見ることは出来ないのに、
その情景が浮かぶよう。
笑う気配は、赤い色にも紛れる。
でも、声は出さない。
声の主が誰か把握もしていなかったし、聞いているだけで十分楽しかったから]
[ぞわりと背を這いあがる衝動に身を捩りつつ
丸くなって耐えている時 笑む気配を感じた
だがそれが何であるか女に知れる由は無く。
きっと血が 抗う自身を笑って居るのだと
そう思うと――また、欲望は膨れ上がって]
…っふ……、
[まるで泣き声のような哀れな声を漏らす直後
獣の唸り声のような低いそれが重なった]
[泣く様子を面白いと感じる自分に、違和感を覚える事はない。
満ちた月が見下す世界で、彼女の抑える衝動はどれほどのものなのだろう。
――柔らかい声に混じった、低い、声。
それは、何か。
彼はすぐにわかった。
"人狼"だ。伝承は、事実だったのだ、と]
――死んだら、ダメだよ。
[悟った瞬間、自分の望みを、赤い声に乗せた。
そうするのが自然のように、彼には伝える方法が、わかっていた]
[深夜、ざわざわとした衝動は感じていた。
この身に流れる血がうずく。
声が聞こえた。
知っている。
衝動をこらえる響き。
ゆるりと笑んだ]
…し、ぬ?
わたくしが?
[不意に聞こえた声に赤い眸を開く
喉が乾きすぎて カラカラの掠れた声は
高い声と低い声 二重のユニゾンのようだった]
[問いかけには答えない。
人ならぬ声に、ゾクゾクと喜びが湧き上がった]
そう、死なせない。
[退治させない。
愉しませてほしいのだと、嗤う色が、わずかに混じった]
死ぬのは、いやですわ。
[二重の声が 喉を震わさず出ている事に気付く
そして相手の声がまた鼓膜震わせて無い事にも]
死なない――死なない。
生きたい………
[零すのは 血と自分どちらもの本能の欲]
…――、っっ
[聞こえた言葉に、はっと顔を上げる]
[守ってあげる]
[なんと甘美な響きかと うっとりと表情を溶かす]
――わたくし、は、
人にとって良くない存在かも、しれませんわ?
[それ、でも?
低い声重ならず 高い声だけが問うのは
細い細い糸のような 告白にも似て]
良くない存在でも、守ってあげるよ。
僕は、君の、味方だ。
[言葉はゆっくりと、文節ごとに区切って。
そうやって囁いて、笑う]
生きていて欲しいんだ。
君に。
[聞こえる言葉が じんわりと染み込んでいく
自分の肩につきたてた長く硬い爪が
薄く開いたくちびるの内側で長く伸びた牙が
鏡に映る自分の赤い赤い眸が
気を抜けば熱で弾けとびそうな身体が
喉が渇いたと
空腹だと 訴えるのに]
わたくし、を?
嗚呼、それは――とても、
[うれしい。]
[言葉は 音無く心の裡で 広がった]
僕は、
[名前を言うか、言わないか。
悩んだ間は、少し長かった]
――君は?
[答えの代わりに、問いを返す]
思い当たる節はあるけど。
君から、直接聞きたいな。
間違っていたら、嫌だから。
[夜のあいだ、老いた狼が声を出すことはなかった。
もう一人の嘆きと葛藤を聞いていただけ。
日が登った後もまだ、静かなまま――けれど、聞こえてくるやりとりに、小さな笑いがこぼれおちた]
――くくっ
貴方の言葉を…しんじます。
わたくしは――人として頂いた名は。
イェンニですわ。
神の子、…――ええ。
皮肉なものですわ…
[告げる言葉は凪のように静かな、
それでいて高い声と低い声の二重(ふたえ)。
自身の奥に渦巻く黒いどろどろとしたものは
いつ噴きだすか判らず まだ声は震えた]
[苦しむ声を聴きながら、そうだと思っていた人の名。
それを聞いて、彼も声を投げた]
――僕は、レイヨ。わかる?
君とは違って、人間だよ。
でも、君を守る。
[彼女からは見えない彼は、確かに笑っていた]
何があっても、助けてあげる。
[夜はおわり、朝になる。
月の狂気も少しは落ち着いたか。
だけれども、笑い声が聞こえる。
誰かが、多分人狼が、まだいるんだろう]
――おはようございます、人狼さん?
[夜のうち、声のなかった存在に、笑い混じりの声を投げかけた。
目覚めたものは、消えることがなかった]
レイヨ様。
嗚呼…ありがとうございます。
わたくしも…応えられますよう。
抗えなくなったとしても…
貴方だけは、歯牙にかけぬよう。
[本当に、嬉しかったから。
そして握る手に力を籠めて、
夜通し血の目覚めに呻いたのだった。
告げる言葉に、最早抗えぬと知る事混じるとは
まだ気付かぬままに*]
[そして 鳥の鳴き声や村のざわめきで朝を知る。
薄い隈を作った顔は少しの疲弊を示していたが
朝が来れば 血が騒ぐこともなく――]
…え、
まだ他に、どなたかが…
[聞こえた「声」に 戸惑いがちに声を投げた]
[ニルスの言葉にカップを持つ手が小さく震える。
その言葉が真実だろうと、奥の方で知っている。
夜でないと、自分は血が目覚めている事は無い]
…でも、死なないわ。
[100年前に死んだという人狼へと想いを馳せて
それでも自分はと くちびるを噛む]
…見極める者、は、怖いですわ。
だから名乗り出てくれれば――
[随分昔のその懺悔の内容を
覚えていたのもまた――眠る血の為す事か
名乗り出られての先に想いを馳せて
伏せた眸の奥に 赤い血の色を隠す]
― 夜 ―
様、は、いらない。
僕はそんな立派な人じゃないし。
君を守りたいだけだよ。
せめてこうやって話してる時は、様なんて呼ばないでほしい。
[そんな願いを一つ、伝えた。
うめく声を聴きながら、大丈夫だよ、なんて囁いて、そうして月は沈んでいき*]
― 現在 ―
殺させない。
死なせない。
[子供のように、皆の無事を祈る言葉は、簡単に作れた。
人狼がいない、ということが嘘だと、彼は既に知っているのだから、茶番も良い所だ。
ただ、知る人はこの囁く声を聞ける人しかいないのだ。
何の問題もあるはずがなかった]
怖いね。
殺してしまえば、良い。ちょどよく、名乗ってくれた。
でも、護る…っていうのが。
――誰、だろうね。
[聞く言葉を整理しながら、視線をめぐらせる。今は別に、なんの違和感もなかったことだろう]
[死なせない]
[力強い言葉に、嬉しそうに笑む。
視線を投げる事は無く ただ繋がりの気配を離さない]
あの、…どうして。
殺させないように、して下さるのですか?
レイヨ…さん、は。
人間ですのに。
[ふと 昨晩から浮かんでいた疑問を投げた]
[昨夜、恥ずかしげな様子に首を捻ったりもした。
彼女がどう過ごしていたのかは知らず、そしてそれゆえに、まさかさん付けがほとんどないなんて思いもよらず。
不思議そうにしながらも、うん、それでなんて返した。
今、問われた言葉に、彼の声が少し笑う]
なんだろう、生きていてほしかったから、じゃダメ?
[特別な理由は必要だろうか、と。
言葉に悩んで]
人間でも、こうやって君の声を聴けるんだから、
厳密には違うのかもね。
食べたいとは思わないけど。
いえ、必要tという訳ではありませんわ。
ただその…
…人に害成す存在な訳ですから
不思議に思ってしまいました。
[釘打ちつけられてこうして閉じ込められる程。
目覚めてすぐにそれを考えて、
あまりに酷ければ自殺でも考え兼ねない、
それほどのものだと思うのに――
レイヨの言葉は甘く優しく、ひどく嬉しい]
わたくしが、怖くはないのですか?
[自分はまだ今 じぶんが、怖い]
[遊牧民として放浪しているのは、人狼の血が流れているからだ。
普段は眠っている。
めざめる事はなく、ただ人として在れる。
けれど、不意に目覚めるときがあるから、一箇所に定住するのをよしとしない一族だった。
前回、この村で目覚めてしまった者が居たから、すこし距離を置いた時期があったのだ。
けれどここ数十年、目覚めるものはなく。
大丈夫かもしれないと。
年老いたものから、ためしに定住し始めてみたが――]
[こうして、星読みに見破られ。
そして若き狼もまた、目覚めたのを知って。
年老いた狼もまた、ゆっくりと目を覚ましていた。
目覚めたばかりの狼と人の子の話は、聞かずとも聞こえていた。
そして、朝日が昇ったあと、笑い声に反応した二人からの問いをきく]
――さてさて、無防備な、子らだ。
[問いには答えぬまま。
見破れる者だと、居間で交わされるやり取りを見ながら、小さく呟く]
…ヴァルテリ、様……?
[聞こえた小さな呟きに思わず視線を向けた。
そうだ。思いだした。
懺悔にきた男は確か
遊牧の隊が来た少し後にきたのだと]
ヴァルテリ様も、でございますか?
[声帯震わさず コエを想う]
[首飾りを眺めながら、応える。
かざしてみるときに、ちらりと彼女の方も見たのは、偶然ではない]
怖くないよ。
[甘い言葉を、選ぶ。もとより本心ではある]
そういう生き物なんだから、仕方ない。
そうでしょう?
[問いかけはもう一人に対しても向ける。
無防備、なんていうのに、確かにと首飾りを見つめて思う]
大丈夫、怖くないよ。
生きるためには仕方ないことなんだから、怖がるなんてしない。
君がもし僕を食べようとしても、僕は君を怖がらないからね。
おお、イェンニ。
[呼びかけに、ようやく応える。
視線が合えば、ゆるりと笑みを浮かべ]
……狼としてあるのが、強いかい。
[穏やかな問いは、コエとして響く。
レイヨの言葉に、小さな笑い声]
そうさな。
しかたのない、ことだ。
ヴァルテリ様。
狼として――はい、わたくしは。
まだ…その、初めてのことで。
喉が渇いてしまいます。
[とても年上の彼の落ち着きが頼もしい。
想う声には、高い声に低い音が同時重なった]
ヴァルテリ、も、なんだね。
何かあるなら手伝うよ。
[そっと伝える言葉。小さく笑って]
こうやって、視線をそらさせたりとか。
他にも出来る事は、あるかもしれないし。
生きるために仕方ないのだから、手はあったほうが、良いでしょう?
のどの渇きは、今宵、癒せばよい。
そのための、娘がいるだろう……
[供えられた娘を思い。
それを可愛がっていた娘を思い。
小さな笑い声が響く。
助けを差し出すコエにもゆるりと笑み]
そうさな。
そうやってくれれば、助かる。
――閉じ込められているのだから、早晩見つかるとはいえ……
少しでも、猶予があればそれだけ、力をつけれるからねぇ。
[人の血肉を食べれば、少しは回復する。
年老いたが故の体力のなさはともかく、人を食べなかったが故の体力の低下は――]
――レイヨさんは、食べませんわ。
受け入れて下さる方を、
食べる理由はありませんもの。
[静かな声で告げる――口許は弧。
夜に現われた爪や牙、そしてきっと耐えなければ
もっと訪れたであろう変化を見ても。
彼なら怖くないと言ってくれそうな気がして
小さくこくりと 頷いた]
はい、その、…ヴァルテリ、様。
わたくし…――
その、ドロテアが…
大事、なのに。
死んでほしくないのに…――
ひどく、その、……
[それはきっと長老が供儀となる少女にかけた、
星詠みを始めとする不思議な力なのだろう。
彼女の白い肌が目に焼き付いて
思い出すのは酩酊そうな程の――甘い匂い]
狼とは、そういうもの――なのでしょうか。
しっかり力、つけて。
僕はそれまで、サポートするから。
[食べないというイェンニに、こちらも小さく微笑みを向けた。
人狼たちの、習性についての会話には、交ざらない。
ただ、しっかりと聞いていた]
[若い狼の、戸惑いを含んだ問いかけに、しばし口を閉ざす。
それから、ゆるりと瞬き一つ]
そうさな――
それは、人それぞれ、だからの……
[星読みの不思議な力はわからない。
ただ、大切な人ほど、食べたくなる。
そんな習性を持つものも、いたのはたしかだ]
大事だからこそ、食べたくなる。
そういうことも、あるのだろうて。
ありがたいが、レイヨも無理をするのではないぞ。
[狂える人はコエを聞く。
それを知っているから、伝わる人の子へと軽い言葉を返す。
狂える人は狂っているからこそ。
どちらへも、天秤の振り子は揺れるのだと、思っている**]
大事だからこそ、食べたい…?
そんな、では。
狼は、狼同士でなくては
生きていけない…という事、に
なってしまいませんか?
[ヴァルテリの言葉に俯いた。
表情を変えてしまうのが気付かれないように]
…大事だから、食べてしまう。
血肉に…――、
[落とす呟きは小さく高く低く 重なる]
そうさね……
人とともに居ても。
目覚めてしまえば食らいたくなるのだから。
そういうことかも、しれないねえ……
[年老いたコエが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
大切なものは、血肉になった。
ずっと、この身とともにある。
けれど、それを目覚めたばかりの若い狼に理解しろとは、言わないまま]
なぁに、手を掛けたくないのなら。
わしが、しよう。
[そう、ささやいた]
[擦れて消えた言葉の先を思う。
若き狼のコエに小さく笑う]
なら、食べると良い……
あの子は、きっとイェンニを満たしてくれるだろう。
[嗾すような、コエが響く**]
ヴァルテリ様。
わたくし、嫌です、
ドロテア、を、傷つけるなんて、
[切羽詰まったような声を上げたあと、
身の内に甘やかな気配が広がるのに身震いをした]
嗚呼。
でも、こんなに…――――
[愛しいものが、甘いのだ]
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