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[車椅子の青年の、やわらかな声を肯定する態で
双眸を細めたとき――村の中をその風は吹いた。
その頃には、いまひとり疑いをかけられた者…
イェンニも長老のテントへと姿を見せていたろう。
長老が自ら告げる言葉を、暫し傾聴するひととき。]
大きな、力。それが。
未熟なまじない、か…
[ヘイノの視線から大蛇を庇った手が、すこし浮く]
…
[蛇使いの眼には、お守りと称して渡された菓子に
被りを振ったドロテアの仕草が「不必要」を告げた
のではなく、――自分が皆をひととき守るから、と
そう告げたように見えた。
しかし、ヘイノを野暮呼ばわりもする気になれず]
預かりものか。
…きさまの分も、残るといいな。
[そう、素っ気なく言葉を添えた。]
ああ、繰り言のような問いをかける、
そんな時間は過去のものとなったのだな。
[互いが、互いを見る眼が変わる。
痛ましくとも、嘆かわしくとも、先を繋ぐため。
漸くこの地に根づいた流浪の蛇遣いは、焔の裡を
覗くように俯いていた顎をようやく持ち上げる。]
討つべき輩は、ふたり。
抗する力は、さんにん。
…それ以外の者は…
それと知られず盾になる、ということだろうかな。
あたしも暫し、考えるときをいただこう。
…白髪頭。
合議のしきたりが必要なら、教えてくれ。
[見交わす面々を自らは見ぬよう、天を仰いだ。
見れば見知る人々の姿に、惑わされそうになる。
皆の気配を、戸惑いを、決意を感じながら――
常から見ぬマティアスは、もっとより多くを
感じているのだろうかと、束の間意識に*上らせた*]
…
ああ。戻って――
調べられることがあるなら、頼む。
あんたが狼使いでも、記述は違えないだろうと…
そうあってほしいと想ってみよう。詮無いがな。
[凍える風吹き抜けたあとの外へと赴くビャルネへ、
蛇遣いは告げる。希望へは、小さな賭を積む如く。]
あんたの"わからない"を埋めるためではないが、
では少し話してみるかね――歩まぬレイヨ。
[火の傍から離れるのを億劫そうに、腰を上げる。
車椅子へ掛けたままのレイヨへといくつか歩を寄せ]
小屋か… あんたの。
思えばあたしは――あんたがこの村で、
どんな責を担っているのか、
いかに暮らしを立てているのか、知らないな。
[齧られた眼鏡の蔓は、耳裏を刺さぬのだろうかと
束の間追った。硝子越しのレイヨの瞳と交わし…]
気が向かねば火の傍で座っているよ。
――お招きに預かろう、有難く。
…ひとは、こわいな。
為すことも齎すこともあまりにおそろしい。
[蛇遣いは青年の車椅子を殊更押すことはしない。
ただ彼が通る間、入口の幕を持ち上げていただけ。
そして、その幕で皆の視界から遮られる間際に、]
…
聴くのも、説得するのも己のみではないよ。
[語尾を持ち上げず、レイヨの膝元へ軽く触れた。]
案じてくれるなら…
[去り際、マティアスの辿々しい懸念に振り返る。]
――黙って見送って、盗み聞きするくらいの
機転はきかせてくれないと困るな、"49"。
我々のどちらもが…危険を冒す意味がない。
[少しだけ、唇の端が下方へ曲がる気配は
見ぬ彼には拗ねめく声の響きで伝わるだろう。]
それとも、お前。…勝手に
疑い合えばいいとでも考えているかね?
[己は動かぬも測る、と告げる代わりに投げかけた。]
…ならば、あたしと同じだ。
出来ないことまでしたがる、なんてことは
無論あんたにはないのだろうが。
[レイヨが、そして己も、マティアスへと答えて
やがて、些細な会話と道行の続きは再開される。]
この地で、ひとも群れて暮らすのだと――
担うべき責があるのだと教えて貰いながら、
数年間、…つたないながら過ごしてきたな。
[夏のベリー摘みや銀鎖編み、裏返した毛皮を縫う
防寒着仕立て――蛇遣いはまだ熟練には至らない。
今でなくとも、時は惜しむと添える唇がつぶやく。]
…茶なら、何でもうれしいさ。
あの、皆が好んで飲む、
血粉を湯で練った珈琲もどきだけは堪忍だ。
[表情が和らがぬのは詮無いが曖昧を容れ頷く。
ドロテアの想いが、いまひとしずくの時を産む。
言及はせずとも蛇遣いは答え、また応えるべく。
テントに残る者たちへは向かう余韻のみ残して、
雪の重みに耐えられるか否かの、青年の小屋へ]
…まずひとつ、尋ねてみるのだが…レイヨ。
まじないをする者には、助言が必要だと思うか?
―― レイヨの小屋 ――
否… お招き感謝だ。
そう、群れのひとり。同じ群れだといいと思う。
[何もかも凍りつく季節に嗅ぐ、あおくまるい香り。蛇遣いは、レイヨが煎れる茶の蒸気を吸い込む。
毛皮の下では和らいだのは…寒さに縮む大蛇の胴で]
相棒は、相棒だよ。
名乗らないから、名前は知らんのだ。
[大蛇の名を問う眼鏡の曇る青年に、さして冗談でもなさそうに言う。少し思案して、顎を引いて見遣る]
あんたにとって、こいつが何と定まるなら
――そう呼んでみるといいのではないかね。
[渡されたカップを、両手に包む。血が温まる。]
…助言は、ほしい。あたしなら。
まじないは自らを強くしない。たぶんな。
[冷たい洟でなく温い茶を啜るに、音は立てない。
湯気越しに見ているのは、青年の裸眼、そのいろ。]
…む。そうだな。あたしには、あんたが。
まじないをするようには…実は、今は見えん。
まじない師というよりは、学究の徒に見える。
なので、もし予想に反して"出来る"のなら――
その調子で密かにことを進めてくれ… だろう。
見立て通り"出来ない"のなら――
[ゆらり、首元で眠る大蛇の膚が波をうつ。
言いかけた言葉は止めたか、そこで元より終いか。]
……否、それは問われてはいないな。
[笑みはつくるにも気が進まぬ態で、息を吐く。
歪んだ卓を鳴らさぬように、静かに器を*置いた*。]
―― レイヨの小屋 ――
[求道家と幾らかの言葉を交わした蛇遣いは、
温もりを気遣われてか二度ばかり煎れ足された茶を
飲み干して――謝意を表すとやがて立ち上がる。]
得られたものが、あるといい。
…なに、あたしは勝手に得ているとも。
[辞する挨拶とか、右腕をレイヨの肩へと伸ばす。
僅か身を寄せる仕草は、北では日常的な軽い抱擁。
そして離れ際――指先は、青年の緩い巻毛を一筋。
ぷつり 得るのは彼の淡いストロベリーブロンド。]
――こんなふうに。
―― 橇置き場 ――
[――坂の上には、木の橇が並んでいる。
ゆるやかな傾斜は、初速をつけるに適したそれ。
人探しの態で戻り来た蛇遣いは、帽子の男を見る。]
…また、外へ出たのか。
[長くテントの前へ佇んでいた、かの時を思う。
ほうとしろく漏れる吐息は、早や鬢の毛を凍らせて]
唄とでも聴くかね。幻燈とでも見遣るか。
[遠吠えと、極光。――今は嫌でも注意引くもの。]
…空気か。
確かこの地に住まいする、
大気の精霊はイルマタルと教わったが…
空気に毒を漏られて、難儀なことだろう。
言葉も情けも、今は時を奪うよ。煩うな。
[ラウリの自嘲を慰めもせぬ薄情は、先刻と同じ。
彼の口から、"支配"なる言葉を聞くと眉を顰めて]
それでも、みじかい夏の歓びに惹かれて
あたしはこの土地に居るよ。長い冬と闇の地に。
――なあ、ラウリ。
思い起こさせられたなら、お前は…
…否。そんなことが聞きたいのではないのだ…
[尋ねかけ、寒がりの蛇遣いは彼が辿る
顎の曲線と、帽子の鍔のそれとを重ね想う。]
そんな小洒落た帽子を年中着けているお前がな。
街へ住まずにどうしてこの地へ留まり続けるのか。
おそらくは、あたしが訊かずとも
誰かが訊くのだろうがね。…うむ。
今さらに、尋ねてみたく*なったのだよ*。
皆と過ごす、夏がな。
[補足して、一度口を噤む。
ごまかす、はぐらかす――
然し隠さぬ素振りは確かに返答で。
異質な音ごとに、蛇遣いは眼差しにやや険しさを
混ぜて影引く男を見詰めていた。離れゆく*背も*]
[小高い丘の上から、雪原を眺める。
――獣達の包囲は相変わらず。腹に据えかねるのか、
トナカイ追いの犬たちが時折控えめにも吠え返す。
飼い主が慌てて静かにさせるのは、恐れのためか。
蛇遣いは、身体の前で毛皮をかき寄せ眉を寄せた。]
『出来ぬこととて、想いは』――
[…ほう。レイヨの言をなぞる呟きにつれ、吐息。
極夜の日々の「朝」は、総てが蒼く、蒼く染まる。]
想うと焦がれるは、似ていて違う…と言っても。
嗚呼。果たして面白がってくれるのだろうかね?
面白かったとしても、あたしは――
[毛皮の下のしろい大蛇を、片腕は庇い、抱く。
無意識にも恐らく相棒が蒼く染まらぬようにと。]
…そう、わらえないな。
[さくり。足は雪を踏み分けて丘を下りだす。
背後に並び在るのは、よく手入れのされた橇。
曳くトナカイも犬も、今は狼に怯え繋がれず。]
―― カウコの小屋 ――
[――招かれる。
二軒目は、目の合ったカウコの小屋。
少し迷うように視線を動かすと、胸裡に探していた
イェンニは、ビャルネの後ろを歩いていくようす。
蛇遣いは後ほどと自らに頷きカウコの小屋を訪ねた。]
とりあえず、戻った。
…レイヨは性格がわるいらしい。
[畏まらぬ間柄。戸口で霜を払いながらの報告。]
うむ。
せっかく珍しくお前が茶を出してくれたのに、
入りそうにないほど茶を振舞われてしまった。
[勧められる椅子へは、目礼と共に腰を下ろす。
人相のあまりよろしくない男の手から、茶を貰い
温もりばかりはいただく態で両手で緩く包んだ。]
告白と言えば、告白かもしれん。
…普段は吐いてくれなさそうだ。
[指先を唇の端へあて…真横へと滑らせる仕草。]
迂闊をすれば、ドロテアを出し抜けるかと
思ったのだがね。うまくいかんらしいよ。
そいつは、どうもね。
[蛇使いは、自ら唇へ触れた後は決まって舐める。
大蛇を踊らせる笛を吹くための唇を確かめる癖。
カウコの悪めかす笑みには、酒がいい、と真顔。]
誰にでも実のある話かというと、そうでもない。
…レイヨも言っていたよ。
あたしに『奪わせてしまわないといい』、とね。
[外気に冷えたこわばりを解すように瞬きは遅い。
笑みを使い分ける知己の曖昧を聴いて、容れはせず]
――ドロテアは、ドロテアの出来ることをする。
…そうして、あの娘を
我々が無力にするのではないか?
密かにでも奪わぬなら、それしか出来ないと
突きつけるようなものじゃないかと―――否、
[激さずとも豊かな感情は、他者へ伝わるに易い。
声音の芯へ籠る力をふっと抜き、蛇遣いは詫びた。]
すまんな、やつあたりだ。
…うむ。次に貰うとする。
[示された棚、酒瓶の位置を覚えると確とうなずく。
何しろ今はレイヨの茶で腹が膨れていると素振りして手にしたあたたかなカップで寛いで暖を取っている]
そんなところだな。
因みに、今は"危険"を冒してるつもりはない。
[歓談には遠い状況下、過ごすひとときは静か。
ドロテアについて想うことをカウコが語る声へと
蛇遣いは耳を傾けひとつふたつ相槌を挟みもする。]
ちから、か。
…… ああ。気持ちは無力ではないはずだな。
ドロテアのも…お前のそれも。
もしも、だな。
もしも袂を分かつことがあるなら、カウコ。
[やがて彼のもとを辞する折には、
ひとときの暖と時とに礼を伝えて。]
先に一発入れさせてくれる
くらいのサービスは、――あるんだろう?
[戸口で少し押し黙ると…笑まず軽口を*叩いた*。]
[ 『 そりゃ"どっち"の前提だ? 』…
別れ際、カウコの応じめく問いに、蛇遣いは
「あとで鏡を見るとわかるんじゃないか?」と
悪人顔で損をする性質の相手へ添えておいた。
ぐず、と歩むまま鼻先に音を立てて眼差しを上げる。
――双列を為した灯りが、ゆっくりと動いていく。
凍る湖上、冬だけの雪原を目指して…ゆらゆらと。]
祭壇を、つくる…のか。
[或いはあの列の中へ、既にドロテアが居るのか。
蛇遣いはじわり、嘆きを押し殺し双眸を細める。]
[蒼い極夜。
寒風が粉雪をさらう凍った湖面に、紅い極光が映る]
紅い輝きは常に惨事とともにある、…か。
[呟く。思い出したのは、先のビャルネの台詞。
先刻見かけた彼は、確か自身の小屋へ戻った筈。]
けれど、止まぬ験しもなかったろう…
夜も世も、在るばかり――だな。
[さくり。往来に踏み固められた道に沿って、
蛇遣いは歩をビャルネの住まいへと向けた。]
――ウルスラ先生。戻ってたのか。
[ビャルネの小屋を訪ねる扉前…獣医たるウルスラと
行き会い声をかける。軽く足踏みして待ち歩を揃え]
お疲れさまだ。
晴れるは気でなく赤の空ばかりだが…
ただ、ひとを感じてまわっているよ。
…先生は、トナカイたちを?
裏切るわけには――か。
ああ。そんな言葉の端に安心してしまうな。
[まだ芯までは冷えない身。洟を啜る頻度は低い。
蛇遣いはウルスラと、小屋を出てきたビャルネへと
どこか遠い国の香りがする俗な会釈を一つ向けた。]
言っただろう、先生。ひとを感じてまわっていると。
調べるというほどには理詰めの頭をしてないのでね。
…戸口を騒がせてすまんな、白髪頭。
今は寒さより…あの火が気がかりでならんよ。
信頼、か。その言葉は…今でも眩しいな。
あたしが流れきた街では、それさえ打算だったから。
[瞼を伏せて、毛皮に包む大蛇へ片手を添える。]
…ああ。相棒があたしに"従う"のは
笛を吹いてるときだけだ。それ以外は――
すきで傍に居てくれてると、いい。
[く、と柔く抱いて頷く。
次いで、ウルスラの言う"あの事"に顔を上げて促し]
[ビャルネの吐息が、目の前を流れる。
涙に視界が歪んだわけではない、と自らに確かめて
浅く俯き…はじまったのか、との声にたぶんなと添え]
…目をそらすな、と何かが言う。
…他に見るべきがある、と他方で言う。
気がかりなのは、変わらん。
ドロテアの望みを思えば――見送れんよ。
[やがて去り行くヘイノの背には、またなとだけ告げた]
…ああ。有難うだ。
[――相棒の、旨い餌。
夏には事欠かぬものの、冬は覚めれば無く…飢える。
凍えぬよう目覚めぬよう人肌で温め続ける蛇遣いは、
獣医の言葉に感謝しながら、遠い雪解けを想った。]
…この地には、それがある。あたしも知ってる。
利用――ひとの心を?
[ひとつ瞬いて、ウルスラが明かす話を傾聴する]
するものらしい、というのは…誰とした話だろう。
聞かせてくれるといいが――先生。
―― ビャルネの小屋前 ――
[気づけば、いつしか村のほとんどの人々が
外へ出て――葬列めく儀礼へ視線を向けていた。
容疑を向けられる他の者の姿も、そこにはあって。
…逸れかけた意識は、ビャルネの呟きにか戻って]
…?
狼使いに、味方する――…
あんたが、書物へ希望ある知識を求めている
ところだろうと思って訪ねてみたんだが。
ふむ…随分と、剣呑な話を聞いてしまったな…
…カウコと、か。
その類の話は――奴らに知恵を付けてしまいそうで
あたしは確とは誰にも言い出せなかったな。ふむ…
[ウルスラから聞かされる内容を、先のビャルネの
あやふやな話と重ね合わせながら、思案げにする。]
ああ、書物でなく長老さまの仰せか。
…あんたしかテントにいなかったとき、か。
[随分早いうちからテントの中で顔を合わせていた
ビャルネの、手元から杖先へと視線を辿らせ―――]
…ほんとうなら…あぶない橋を、渡るものだな。
[僅かに感想を添えて、身震いの後に小屋へと戻る
ビャルネへとやはり常の如く俗な会釈で見送った。]
ああ。
…書物のほうは、また改めてだろうかな。
――眠れるようなら、少し眠っておけよ。
[小屋の主が戻った後は、ウルスラとふたり。
残されるままに、蛇遣いは彼女と顔を見合わせる。]
…ここでもう、先の"信頼"の話になるわけか。
皆に話すか、自身が信用する者にのみ話すか。
口を噤むにしても、期間を含めまた難しい――
狼使いに加担する者が、いたとして。
それは裏切りだ…我々への。そんなことが…
[険しくする、眼差し。
遠ざかった灯りの列を、ウルスラと共に*見遣った*]
[訪れた静寂が、耳鳴りを呼ぶ。
先の言葉通り雪原の方角を見遣ることはなく、
人知れず奥歯を噛んで…蛇遣いは足を止めた。
別れたばかりのウルスラを振り返ると、彼女の唇が
長老の孫娘たるその人の名を紡ぐかたちが見えた。]
……
こんなふうに、…
また日を違えて違う誰かの名を呼ぶのだな。
…正体の如何に、かかわらず。
[言ちて、さくり。雪に足をとられながらも歩む。]
[失意の長老は、テントへと戻ってくるだろうか。
ビャルネから聞かされた話を思い起こしながら、
蛇遣いはテントへと手足をかじかませ向かった。]
…――
[テントの前に佇む儘のアルマウェルを見つけると、
彼の目前まで歩み寄り――黙して強く*見上げた*。]
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