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[目を閉じるでもなく、ただ机に伏せってぼーっとした時間を過ごす。
何やら、この静かな部屋には相応しくない、焦るような声が聞こえた気がした。
何か揉め事だろうか。
声からして女だ。
女同士のいざこざならば、男の自分が入っても宥め方がわからない。
ましてや面倒を被りたくない。]
[ここは聞こえなかった振りを決め込むことにして目を閉じる。
どすん。
何かがぶつかるような音。
流石にびっくりして肩が跳ねる。
おいおい、こんなとこで喧嘩じゃないだろうな。
そうでないことだけを祈った。]**
[十本の足指では踏ん張りが足りなかったみたい。
十一本あったら、もしかして、止まれたかも――
なんて考えてみたって、
わたしの足の指が急に増えることはない。
そのまま、どん。
さほど肉付きの良くない胸の部分にも衝撃。
殺せなかった勢いの分だけ、急にかけたブレーキの分だけ、
少しよろめいた。
けど踏ん張った。
ここで尻もちついたらピッチャーの沽券に関わる。]
[おっと、と踏ん張ってる間に掛けられていた声。
十秒くらい……いやいやそんなにじゃない、
二秒くらい遅れて返答する。]
あたしは大丈夫、だけど
ごめん、ぶつかっちゃって
[幸いにもぶつかった先の女の子に怪我はないみたい。
怪我はない、ではなく、倒れもしなかった。
体幹しっかりしてるな。運動部かな。
そんなことを思って顔を上げて――あれ目が合わないな。
視線を辿ってみれば
踏みとどまった拍子に指の合わせがずれたせいか、少し皺の入った封筒。
夕焼け浴びてもまだまだ白い、わたしの、封筒。]
[思わず手紙を握り込んだ。
ぐしゃと悲鳴を上げて皺がいくつも増えて、
封筒が小さくなる。
掌から隠しきれない白色が零れたけど
わたしはそれを見なかった。見れなかった。
隠すように後ろ手にしてみたけど、
逆、効果、なのかな。神様どうなんですか。]
……その、……ごめんね
怪我、ないよね
[誤魔化す言葉を探しても見つからなくて
でも女の子の考え込む様子を邪魔したくて、
なんとか絞り出したのはこれだけ。
わたしきっと、十三階段の
前にいるみたいな顔してるんだ、絶対そうだ。]
[彼女の声は聞こえたけれど、どうしても封筒から目が離せなかった。でも、それはすぐに]
あっ、
[皺が寄ってしまった。しかも、あっという間に後ろに回されてしまったからよく見えない。でもあれは、誰かにもらったものか、誰かに渡すものか。どっちにせよ、自分だけのメモなんかじゃないはずなのに]
怪我はないよ、私、意外と丈夫な方だし。
[貴方の持ってる手紙よりは強いはず。
そう思ったことは言わないし、聞きたくても、聞いちゃいけないと思った。でも、むずむずと聞きたい気持ちは膨らんで。
――何でそんな、悲しそうな顔をしてるの?
私が怖い顔をしているからとか、そんな理由じゃない。私が見たものが、たまたま彼女にとって見られたくないものだったんだろう。例えば、先生からの呼び出しの手紙とか、いじめの手紙だとか、もしかしたら、ラブレターなのかも。ふたつめの可能性を考えると、尋ねないのはあんまりかとも思ったけど。ごめんなさい、私は事なかれ主義を選びたい。]
…………大丈夫?
[さっきとは違った意味の、でも同じような言葉がこぼれ落ちた。
それ以上尋ねるのは他人として失礼な気がしたし、でも、見過ごしてはおけなかったから。それくらいには、私は、人間らしい。*]
[と、ポケットに入れたスマホが震えた。
ロック画面には母親の名前と短いメッセージが表示されている。
『ちょっと遅くなりそう。ごめんね。』]
ちょっとって…もう随分じゃない。
[悪いことは重なるものだと、口を尖らせる。
そろそろ部活動生も練習を終えて、帰宅準備を始める頃だ。]
だから送り迎えはいいって言ってるのに…
[自分のことは自分でしなさいというくせに、変なところは過保護なのだ。]
[わたしはいつの間にか十四段目の階段にでも
足をかけていたんだろうか。
だって助かったはずなのに。
握った掌のなかで
慣れた皮革の柔らかい感触とも違う、
紙の尖った部分が堅い皮膚を刺した。
ちくりとした。
ちくりとしてた。
壁や本棚が遮った夕焼け色がなんでか
封筒の中から滲み出てきてるみたいに、
掌の中でじくりとしてた。]
[「あたしは大丈夫」
さっき答えた言葉をもう一度言うのは簡単だ。
だってあたしは本当に大丈夫だから。
ソフトボール部で、ピッチャーで、
もしかしたら次期主将かもしれなくて、
名前の割に男らしいあたしは大丈夫だ。
だって手紙は読まれる前に取り返した。
クラスでちょっとくらい、
性格悪いって言われるかもしれないけど、
そんなのやっぱり些細だ。
でも、じゃあ、なんで
正十五角形のような、丸のようでまるでない、
すこし歪な気持ちにわたしがなってるのか、、
なんでぎゅっと眉が寄ってるのかは、わからないもんなのだ。]
――……、うん
[十六夜の月は遅いって言うけど、
わたしの返事も似たようなものかもしれない。
ぶつかってしまった子は、
そんなトロイ返事を
待ってくれるのかもわからないけど。
後ろに回した手を前に持ってきた。
指の隙間から見えるのは、やっぱり……というか
当然なんだけど、真っ白のままで、
でも、それでもちくちくしてるのは変わりなかった。
そういう意味では夕焼けだった。]
手紙、書いたんだけど
……駄目にしちゃって
ううん、ぶつかる前から
多分だめ、だったんだけど
それで、ちょっと、……前、見てらんなくて
[これじゃあ、あたしもダメなのかも。
だってソフトボール部のあたしは、
こんなトロい話し方しないし、
こんな、初めての人が困る様なことも話さないし
眉を寄せたら顰め面になるはずなのに、]
でももう渡さないから、別にいいんだ
[たぶんきっと今の表情は
微妙に微妙な困り顔の笑い顔。
自分でも馬鹿みたいって思ってる。
十七ってもっと大人なんじゃない?]
[十八になったら、もうちょっと大人になれるかな。
なけなしの大人っぽさをかき集めて、
わたしは如何にも苦笑って感じに口端を上げた。
大人のよくやる、子供への呆れってものを滲ませて]
だから、ごめんね
[ぶつかっちゃったのも、
こんな話を聞かせちゃったのも、ごめんね。
歪な気持ちごと潰すように
もう一度掌の手紙を握りこんだ**]
[思っていたよりも返ってきた答えは意気地がなくて、何なのあんたと友達相手になら言ってしまったかも。でも、私とこの子は友達なんかじゃない。名前さえもおぼつかない。だから黙っていた。別に答える必要も、待つ必要もないのだけど。
でも、その意気地のなさはある種の魅力のようにも、私の目には見えた。
迷っている人の不安さというか、きらめきのようなものが見えたんだと思う。
迷う前から何も考えない私にはないものが、あったんだと思う。]
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