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さっきから コハルちゃんに遭遇していいかで悩んでいる
や、やりたいことがあるんじゃないかしらん
それと、ばあちゃんこっから クレープどうすっか……
クレープ屋さんて都会とかショッピングモールにあるよなぁ
1F 廊下
[彼女は上着もはおらず、手にもの持たず、歩いた。
建物内をうろりと歩き回り、何かを必死に探すような眼差しで周囲を見渡す。
そこにちらりとでも、無菌室にいるべき姿を見つけたら、
もしくは中庭に向かう姿を見つけたら、動きは止まったことだろう。
けれど今の彼女に何か建設的なことが言えたのかは別の話だ。]
建物外
[ようやく、目当ての場所が見つかった彼女はそこから建物外へ出た。
老婆の日課であった散歩を知っているものならば、
病院の敷地内を歩む彼女を止めることはなかった。
老婆は、時折、意図の不明な駄々をこねたが
おおむね大人しかった。
老婆の我儘が増えたのはここ数日のことだった。]
寒い……。
……、……おうち、帰らないとォ
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なんとびっくりなことに
願いをまだ考え付いていない……
人形動かして お化けみたいなーとか考えたんだけど
願いのかけ方が難しいし、なにより発展しようはないかな……って思って。
いやでも、いいかしらん。いいかな。いっか。
人形が動くかどうか はまた別の話 だけど も
[柔らかく皺の寄っていた彼女の顔は、いまや風の寒さにゆがみ、暗がりでがさつく森の茂みに怯え、紙をまるめたかのように皺くちゃになっていた。
よろめく彼女の足取りを支えていたのはなんだったのか、知ることは難しい。けれど、彼女はただ必死に、その足を動かしていたことは事実だった。転び、衣服に泥をつけ、それでも立ち上がった彼女の歩みは、森が開けたころに、止まった]
海
[田中ぼたんは、海辺にいた。
明かりは遠く。病院の上階の、カーテン越しの明かりや談話室から漏れた光が、おぼろげながらに見えた。彼女はそれを遠く仰ぐようにしながら、波打ち際近くまで進み、しゃがみ込んだ。
皺だらけの手を二つ、ぎゅっと握りしめる。寒さのせいか、その手はかすかに震え、関節は真白に染まっていた。]
……おっとさん……ルリちゃァん……
あたし、来たよォ……!
一緒に帰れるよう。出といで ……
おっとさァん――――
海の人でね、そりゃもう、すぐには会えないのさ。
あたしと結婚した月だってェ、もう、半分以上は海の上だったねェ
その上ね、 無口な上に女心の判らん人でェ
好きの一言も言わないくらいなんだよう。
記念日だってなんにもなしさ……まったく、嫌になるでしょ。
おっとさァん……
[声は小さく、潮風にかき消される。
彼女は立ち上がり、波打ち際をゆっくり歩いた。
その横には誰もいない。
彼女の後ろに続くのは一人分の足跡のみ、それもすぐ波が消した。
黒く色づく海に反射するのは、微かな、遠くの病院の明かりだった。]
あぁ、そっかァ――夢かァ
ありゃァ……そうだよねェ、お布団の上で見た夢だねェ
おっとさんは、お仕事だから。
あんたの発表会いかれないって。
泣ァかない、泣かない。
ほゥら、スカート新調してやっから。
立派な布使ってさ。
あたしがあんたのピアノ聞きに行くよ。
あっ こら、待ちなさい――
なんだか、……いるような気がしたんだけどォ
……――夢ならしょうがないねェ
[暗い波は老婆の足元をはるか通り過ぎ、老人の衣服を濡らした。
老人は重たげな足取りのまま進んでいく。
彼女の足跡はもう、砂地につかなかった。
岩場を見つけると、服をもう濡らさないようにとそこに上りこんだ。]
もォお、あの子らァ、一緒に海で泳ごうなんて約束
守るのァ無理だろうしよォ……
あたしの家族ァ、もう、
お人形さんだけかねェ――
お見舞いに来なくとも、いっつも一緒にいてくれるのァ
あの子らだけなのかいねェ
……家族じゃなくとも、傍にいたいと思ったのは
駄目だったのかねェ……
家族じゃなけりゃ、駄目だったの、かねェ
あたしにゃ元気づけることも無理だったし、
むしろォ、元気をもらってばかりだったけどよう。
そんでもぉ……居たいって思っちゃいけなかったんかねィ
……はぁ、やだやだ、クサクサしちまって。
顔までしょっぱくなったら、婆ちゃんどうすりゃいいんだい。
奈緒ちゃんの検査終わって、元気になったら
くれぇぷ食べに行くって約束したじゃないかい。
しょっぱい顔で甘いもん食べても幸せになれないよォ!
[ぱしん、と乾いた音を立て、老婆は両頬を叩いた。]
よっし、あたしァあたしなんだからしょうがないじゃない。
奈緒ちゃんもご家族の方と一緒の方が
検査怖くなくなってたのさ、うん。
……孝治くんや、あの羊の子も、
ご家族と会いたいんだろうねェ。
羊の子……千夏乃ちゃん……だっけかね、
会えてたみたいだけど……
孝治くんは、どうなんだろうね。
うん、明日ァ 奈緒ちゃんの体調聞きに言ったら
二人のところォ行ってみようねェ
小春ちゃんの所行ったか聞いてみたり、 ああ、またお菓子広げたり……
今度ォ、中庭とかでピクニックするのも楽しいだろうねェ
体が足りないね……あたしがもう二人でもいたら完璧なんだけどさ……
あんたもお話しするだけじゃなくて――――あら?
[腕の中にあるはずの人形がない。
そう思った時には、足を滑らせて彼女は水の中だった。夜の海は暗く、冷たい。
けれど、彼女が滑り落ちたのは岩場であり、浅瀬の方だった。助かる可能性はまだあった。岩場の隙間に、足を挟まなければ、助かる可能性の方が高かった。]
[彼女が感じるままに口にしていた思いや考えは、いまや水に阻まれ、何一つ言葉になることはない。
皺だらけの、水分を失い干からびた手が何度も、黒の海を突き破り海面を掻いたが、それが意味をなすことはなかった。その手に、彼女の家族である人形が触れることもなかった。
「あんたもお話だけじゃなく、動けたらいいのにね」
老婆が言いかけた言葉が現実になったとしても、家族と老婆の距離は縮まることがないゆえに、老女の死は依然として孤独なものだっただろう。けれど言いかけた言葉は、言いかけのまま。言わない言葉は無いも同然のものだ。]
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