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[冬のはじめ、午前6時。風は今日も強い。
ガタゴトと鳴る窓の外には低い雲が垂れ込め、海の色はわずかに深く。
カーテンの中、千夏乃は夢うつつでどこかから聞こえる歌を聞いていた。透き通った、どこか懐かしい歌声。あれは誰の声であったか。思い出せない。
不意にがたん、と一際大きく窓が鳴って、千夏乃の意識は急速に微睡みから引き戻される。
辺りは白、白、白。
ここはどこだっけ、と、一瞬*考えて*]
…そっか、わたし、入院したんだっけ。
朝
[眠りに落ちる刹那、ああ、オトハの声だ、と気づいた。病院で聞いたよりも、CDで聞いたよりも。ずっと美しい妙なる調べ―――]
ん、………ふぁああ
おあようございます…
[朝。大きな口をあけて看護師に挨拶をした。何度目でも、入院最初の朝は慣れない。家にいる時の生活リズムが抜けきらない。
熱を測って、血を調べて。今日の検査予定をぼんやりと聞いて。朝食までの空いた時間、ベッドに横になってうとうとしていた、が]
………ん?
結城せんせ…、ちょぉぉっと待って!!
[飛び上がるようにして靴を履き、ベッドを適当に誤魔化した。髪を撫で付けて、入室を促す。さっきは寝ぼけ眼で顔を洗ったから、後ろ髪がハネているが気づいていない]
3階・314号室→談話室へ
[なんだか喉がかわく。辺りはもう、冬の空気だ。
千夏乃はそっとベッドを抜けて、羊を抱えて忙しそうなナースステーションを横目に見ながら談話室へと向かう。見咎めた看護師には、お水飲むだけ、と答え。]
3階・談話室
[誰もいない談話室。誰かが消し忘れたのか、薄暗い部屋の中、テレビだけがチカチカ光っていた。
千夏乃は明かりを点けてマグカップに湯を注ぎ、いつもの窓際の席に座る。]
[ミュートされたテレビの音量を少し上げる。
流れていたのは全国チェーンのスーパーのコマーシャル。もうずっと前に亡くなった歌手の、オーボエの音色のような耳に残る歌声。
夢の中で聞いた歌を思い出そうとしてみたが、なんだか頭にもやがかかったようで、思い出せなかった。冬の朝の空気のような透明度だけが記憶に残っている。]
"ききたいな あなたのうたを"
"冷え切った心 あたためるミルク"
[口ずさむのは、母の大好きな歌の一節。
そうしながら、羊の縫いぐるみを抱きしめて、顔を*うずめた*。]
[午前の院内は人々の活気を肌で感じ取れる。
カルテを手にした左手の手首を一度軽く握り、603号室へノックと挨拶を送った。
聞こえてきた元気な少女の声、慌てふためいた様子は扉を開く前から目に浮かぶようで、沈んだ心に生気を与えてくれるようだった。]
もういいかな、入るよ。
[促され、静かに扉を開いて「おはよう」と微笑んだ。少女の顔色は悪くない、後ろ髪がはねているなんて、患者ならば常の事、寧ろかわいいアクセントに映った。
もしかすると少女は出迎えてくれたのだろうか。寝台近くに佇んでいるのなら、そっと肩へ触れて寝台を示し]
横になってて良いんだよ?
それとも、寝てるのももう、飽きたのかな?
―朝―
[気が付けば朝だ。外から歌が聞こえてきた気がした。
一人の部屋は寂しい。無菌室という場所だから、仕方がないのだけど。]
誰かお見舞いとか来てくれるといいんだけどなあ
[窓の外の海を見ながら、そう呟いた。5階の窓から見える景色はなかなか綺麗なのだけど。]
明るいうちに寝ちゃうと後が大変だもん
[肩に触れた手を、まだ目覚めきっていない瞳でぼんやりと見て呟き、慌てたように一歩後ろに下がった。
扉の前まで来ていたから、ベッドに足がぶつかることもなく]
あ、えぇと…
座ったほうがいい?
[軽く診察されるのか、と窺うように見上げた]
[回診が終われば、カーテンの開け放たれた窓の向こうを見やった。中庭は反対側。そこからの音は、きっとあまり届かない]
オトハ…さん、今日も来るかな?
[結城も確か好きだったはず。世間話のひとつみたいに軽く、口に出した]
そりゃごもっとも、だ。
昨日はどう、よく眠れたかな?
[そっと寝台へ導き、自分はその前へと立つ。
手許のファイルの内容を確認した。ざっと目で追うが、朝の検温等では別段変化は見受けられなかった、かもしれない。]
うん、そうだね。
どうかな、体調は。
[簡単な診察を行うだけなので、緊張しないように会話を続ける。
黒枝が寝台に腰を下ろせば、指先を頬へと滑らせ顎をほんの少し上向かせて喉奥を確認しようと。
心音や脈拍を測り終える頃、何気なく呟いた彼女のひとことに、ぴく、と動きが停止した]
―――…、……。
[無垢な瞳を、凝視する。
伝えるべきか、否かを計算していた。少なくともオトハに何かがあった事は、伝わってしまうか。]
なに …どうしたの、先生?
[とくん、と努めて平静を保っていた鼓動が大きく跳ねた気がした。嫌な予感がする。嫌な、空気が
穏やかだった朝の病室を一瞬にして塗り替えてしまった]
オトハさん、どうかしたの?
[視線を逸らすように伏せられた睫毛は僅かに震え、問いが終わると同時に持ち上げられ
偽りを許さない、というように結城の瞳をひたと見据える]
[追われている。あれらが、追ってくる。追ってくる。追ってくるそれらから、自分はひたすらに逃げる。逃げても、逃げても、距離は変わらず、それらは消えず]
……っ、……
…… あ、
[飛び起きた男の顔には、薄らと汗が滲んでいた。サイドテーブルのサングラスを取ってかけ、深呼吸をして、ようやく落ち着きを得る。
肩に届くか届かないか程度の白髪混じりの髪を指で梳き]
[身体が凍りついたように動かない。
残像が、フラッシュバックのように視界で跳ねた。
これまで目の当たりにしてきたいくつもの死が、その冷たさが背後から迫ってくるようで]
……オトハさんは、……
オトハさんは、亡くなったよ、昨日。
[無垢な瞳の前で、上手に嘘をつくなんて出来なかった。真実を告げる事で彼女を傷付けることになると、解ってはいたけれど。
責められているような錯覚を覚えてしまい、斜め下方へと緩く視線を落とした姿で、簡潔に告げる]
―――――…そ、っか
[なんで、とか。どうして、とか。
ぽつりぽつりと胸にはてなは浮かんできたけれど、結城の表情から予想していたことだったから。驚きはなかった。
昨日は元気だった。
けれど――死はいつだって突然だ。
そしてもう、終わったことなのだ]
……先生、ありがと
教えてくれて
[逸らされた視線に、薄く微笑む。パジャマのボタンを閉じて、ゆっくりと立ち上がった]
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