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[血の気の薄い彼女の顔は、脳裏にこびりついたあの、眼下に広がる、鮮やかな色を内包しているはずであった。生きるものなら必ず、どれほど肌が白くとも、その下には血潮があると認識していた。
けれど、田中老人には、そうは思えなかった。単なる――単なる、予感だ。それに過ぎない。
老婆は指を震わせながら、奈緒の腕に伸ばした。叶うなら衣服を掴もうとし、出来るなら奈緒の存在がそこにあることを確かめようとし。]
――……奈緒ちゃん――
明日ァ、ただの検査、なんだよねェ
本当、それだけ……だよねェ…………
検査ならすぐ終わるかんね、危ないこともないさね。ね。
[口端が下がっていく。老婆の声音は、急いで流れ落ちていくかのように連続して]
ごめん、ねえ。ごめんねえ。
婆ちゃん、…………あたしァ不安にさせちゃいけねェってのに
でも、ごめんよう。なんだか……なんだか……
―― ………。
……ごめんよォ**
『…うん、大丈夫。検査の結果も、数値は悪くないよ。急に冷え込んだせいじゃないかな。』
[黒ぶち眼鏡がトレードマークの主治医が言う。
長身ときっちりオールバックにまとめた長めの髪は、なんだか父を思い出させて、ほんの少しだけ寂しくなった。]
『散歩くらいならしても良いけど、あまり身体を冷やさないようにね。このまま調子が良かったら、お正月には外泊できるかもしれない。頑張ろうね』
[その言葉に、千夏乃は目を輝かせた。]
ほんと?お家に帰れるの!?
[この半年、一度も家には帰っていない。
それどころか、この病院から外に出たこともないのだ。]
『無茶して体調崩したらだめだよ。
ちゃんと薬も飲んで、好き嫌いもしないこと。いいね?』
[主治医の目をまっすぐに見上げて、ぶんぶんと首を縦にに振った。]
昼過ぎ、3階→中庭
[お昼すぎ。いつものように赤いオーバーを羽織って、大事な縫いぐるみの羊を連れて、中庭へ散歩に出ることにした。
千夏乃は知らないことだったが、前日、この病院では悲しい出来事があった。しかしそれは、巧妙に大人たちの手によって隠されていた。
特に3階の病棟には、多感な年頃の子供たちばかりだ。だから、その事件に関してはとても注意深く取り扱われていた。そのことも、千夏乃が感じた違和感と無関係ではなかったかもしれない。
ともかく、今朝感じた違和感はまだほんのりと続いてはいたが、主治医の言うように、急な冷え込みのせいなのだろう、と、気にしないことにした。]
寒いねえ。
[やはり返事はなかったが、羊をオーバーの胸元に挟み込むと、心なしか温かくなったような気持ちになった。
小さな中庭を、ゆっくりと横切って歩く。
中央の大きな桜の下のベンチに腰掛けて、ぼんやりと人々が行き交うのを眺めるのが、千夏乃は好きだ。
夏には何時間も、このベンチで過ごしていた。そう、この桜の下で。]
[ポケットから懐炉代わりのミルクティーの缶を取り出して、両手に包み込む。まだ熱いその缶も、マフラーのすき間に埋めてみた。
首元が温かいと、身体全体が温まるような気がする。それから、温まった手袋を頬にあて、白い息を吐きながら、通り過ぎる人々をただ、*眺めていた*。]
午後:屋上
[後藤の回診を終えた後、午後は非番となっていた。
自宅での静養を勧められたけれど、部屋でひとりになる方が余計に考え込んでしまいそうだった。
溜まりに溜まった書類整理を言い訳に、病院へ残る事にした。]
―――…、……さて、と、
[ここで良く、平家が煙草を吸っていた事を思い出し今日は一箱、煙草を購入していた。
大学の頃、父に見つからぬよう吸っていた煙草は、この病院に赴任してからきっぱりと止めた。
数年振りに吸ってみようと思ったのは……、止められても尚、止めなかったあの女性の姿を思い出したからだった。]
[一本唇へと食み、先端に火を点ける。
ゆっくりと煙を吸い込み、空へと薄煙を吐き出した。
決して、美味しいものではない。
幸福感を得られる時なんて、ほんの僅かな筈だ。
それでも。
それでも。
止められない者も居る。]
……はは、苦いや。
[ふと視線を落とした先、階下にお茶を楽しむ少女の姿を見つけた。
視線が合えば煙草を挟んだ手を隠し、空き手で手を振った事だろう。
暫しそうして、紫煙を*纏う*]
やだな、謝らないでよ
ほんとにただの検査だからさ……
だから…今度こそ、また
[視線を反らす。次の言葉まで間があいた]
……また明日ね
[唇を引き結び、白い頬は強張ったまま。
立ち上がると点滴装置を握り、右手はひらりと振って]
603号室
[病室に戻った少女は荷物の整理を始めた。未だ半分以上は未読の本の山を鞄に詰め、洗濯して感想させた着替えをその上に重ねた。
昼食が今日最後の食事となる。売店で買ったプリンをデザートにして、歯磨きを終えれば歯ブラシセットも鞄に詰め]
個室はやっぱり…広いよ
[片付いた病室に背を向け、再び入院棟内を歩き始めた]
え…?
[復帰は難しいかもしれない、と言う結城の言葉を聞いた途端。]
な、なにを言っているんですか、先生…
[頭が真っ白になっていく。その後の話は全く頭に入らず、
結城が去っていった後、看護師が何か慰めだったりをしてくれても、全然何も分からない。
頭にあるのはただ一つ
『復帰は難しいかもしれない』
心の拠り所が無くなっていくのを感じた。**]
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