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[男が指先で掴んだ白墨が、桃色に染まり、そのまま沈むように赤色になる。一瞬の事で、最初から赤いものだったようにも思えるかもしれない]
……
[それを無言で黒板に走らせていき]
リ 消え し た
帽 屋に ても
見 な よ、 ア
[小さめの、下手ではないがやや右斜めに傾いた文字で、黒板の左下辺りに何行かの文を連ねる。しかし一部を覗いては読もうとするとぼやけて読めないだろう]
リウは「消えて」しまったから。
帽子屋に聞いても
見つからないよ、 アリス。
見つからないのかな。会えない。
私はアリスではないけれど。
[血の色で書いた黒板の文字を、遠目に見]
それでも、不確定だ。
リ――消え、し――
帽――
――な、――
[赤く染まった白墨を置き、書いた文字を読み上げるが、そのほとんどは葉擦れのようなざわめきとして聞こえるだろうか。ソラとレンの言葉には、それぞれ頷いて]
家まで。送ってくれるかな。
迎えにきてくれるだろうか。
[犬のおまわりさん、というのに、ぽつりと。つられて窓外を、煙を上げる木を見やった]
帰りたい。どうだろう。
どこかへ行こうとはしていた筈なんだよ。
どこへ行こうとしていたのか、思い出せなくてね。
帰ろうとしていた、のかな?
[ソラの問いに、取りこぼされたチョークを目で追いつつ、疑問形で返し]
ああ。わかるといい、のかな。
[レンの弱い言葉に、こちらも曖昧に答え。ソラに見つめられると少し黙り――口角に押し当て引かれた指先に、幾分驚いたように瞬く]
……
[その跡に、軽く指先で触れ]
……どこに?
[空に問いかけるように独りごち。
卓の傍に正座して、束からノートと筆入れを、筆入れから一本の鉛筆を取り出し]
蝋燭を消したら……
その分暗くなるんじゃないかな?
[顔を上げる。ルリの疑問に、当たり前とも聞こえる言葉を。羊羹の切れ端を一つ摘み]
駿河、か。
羊羹は美味しいね。
魚も美味しいかな。
肉はどうだろう。
蝋燭の火は消えるものだからね。
消えてもたいした事にはならないのかも
しれない かな。
[男の言葉は、独り言のように、単語の羅列のように、何かの切れ端のように。どこか、曖昧で]
ないね。何も。
私はどこに行こうとしていたんだったかな。
私は何を目的としていたのだろう。
私は何がわからないのだろう。
わからなすぎてわからないね。
ただ私が私だろうという事はわかるんだよ。
それさえも、不確かだけれど。
ああ、でも、一つ確かなのは――
[どこを見るでもなく、ぼんやりと。
眼鏡のブリッジを指先で押さえ]
私はフユキだっただろう?
私はフユキだ。
その筈だ。
ただ同時に異形であると、いうだけで。
蝋燭を不吉と思った事も
おじさんと呼ばれてショックを受けた事も
先月見合いを断った事も
幾つもの違和感を覚えた事も
私がタクミでもあるという事も
覚えて、いる。
私が不確かなのは。
不確かになってしまったのは。
此処が不確かだから、なのかな。
此処が分岐点だから。
そうなのかい?
[問いかけに答える相手は、いない]
まあ、魚でもいいね。
醒める。
醒めてしまう、か。醒められる、か。
[開いたままのノートの頁に、視線を下ろす。
先刻書き入れた何らかは、一つ残らず消えていた]
[地面を掘る音をしばらく聞いていたが、やがておもむろに立ち上がると窓の方に向かい。庭の様子を見、見下ろして]
……ああ。
[小さく、息を吐く]
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