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[長身の男が森の中を歩いている。眼鏡のレンズや服や髪に橙の光が反射していて。片手には本やノートや薄い筆入れを紐で縛ってまとめたもの]
……
[かさり。地面に落ちた葉を革靴の底が踏む音。男は辺りを見回して]
……迷った。
[ぽつりと、呟き]
[男はふと、何かに気付いたように自分の口元を押さえ。親指で口端を軽く拭ったようだったが]
……ん。
[それからまた、歩くのを再開し。前へ前へと、やがて一軒の日本家屋が見えてくれば、やや離れた場所からその様子を窺い]
[男は親指で口端に付着していた血を拭った。葉擦れじみたざわめき。ざわめきのような、「声」]
悪くなかったね。柔らかい味で……
何より、狂っていた。
可哀想な事をしたかな?
なんて、今更だけれど。 はは。
雨は降っていないらしい、ね。
友達……なのかな。
少なくとも知り合いではあるね。
[ルリの問いかけに、頷き。羊羹を構えてやめるレンに]
ノリツッコミというやつかい?
[首を傾げつつも]
ああ。食べようか。
甘いものは好きだからね。
逃亡。
怪しい奴に追われて……
……何か色々と大変そうだね。
[レンの主張に素直な感想を。広間に着くと卓の傍に座りかけ、ソラとレンの言葉に、反射的にか窓の方を見]
……、蝋燭が。
[その後戸棚に歩み寄っていき、中を覗いては呟く]
残念だね。
「今度」の私は、変わっていなかったのに。
前と同じ私だったのに。
君の事も、こうして知っているのに。
残念だよ。
[呟くような言葉。どこか、遠くを見るような]
わからないけれどわかる。
わかるけれどわからない。
そんなものは、この世に幾らでもあるからね。
仕方がない事だ。
[悩むレンに、半ば独り言のように。
減った蝋燭を見たまま、しばらく何か考えていたようだったが、ふと黒板の方に向かい]
[男が指先で掴んだ白墨が、桃色に染まり、そのまま沈むように赤色になる。一瞬の事で、最初から赤いものだったようにも思えるかもしれない]
……
[それを無言で黒板に走らせていき]
リ 消え し た
帽 屋に ても
見 な よ、 ア
[小さめの、下手ではないがやや右斜めに傾いた文字で、黒板の左下辺りに何行かの文を連ねる。しかし一部を覗いては読もうとするとぼやけて読めないだろう]
リウは「消えて」しまったから。
帽子屋に聞いても
見つからないよ、 アリス。
見つからないのかな。会えない。
私はアリスではないけれど。
[血の色で書いた黒板の文字を、遠目に見]
それでも、不確定だ。
リ――消え、し――
帽――
――な、――
[赤く染まった白墨を置き、書いた文字を読み上げるが、そのほとんどは葉擦れのようなざわめきとして聞こえるだろうか。ソラとレンの言葉には、それぞれ頷いて]
家まで。送ってくれるかな。
迎えにきてくれるだろうか。
[犬のおまわりさん、というのに、ぽつりと。つられて窓外を、煙を上げる木を見やった]
帰りたい。どうだろう。
どこかへ行こうとはしていた筈なんだよ。
どこへ行こうとしていたのか、思い出せなくてね。
帰ろうとしていた、のかな?
[ソラの問いに、取りこぼされたチョークを目で追いつつ、疑問形で返し]
ああ。わかるといい、のかな。
[レンの弱い言葉に、こちらも曖昧に答え。ソラに見つめられると少し黙り――口角に押し当て引かれた指先に、幾分驚いたように瞬く]
……
[その跡に、軽く指先で触れ]
……どこに?
[空に問いかけるように独りごち。
卓の傍に正座して、束からノートと筆入れを、筆入れから一本の鉛筆を取り出し]
円を描く。大小様々な円を。
線を引く。真っ直ぐな線を、曲がった線を。
点を描く。幾つも、幾つも。
私。私。私。
繰り返す。円も、線も、点も、私も、かけばかくほど意味のないものに見えてくる。尤も元々たいした意味などないのだが。円も、線も、点も、私も、何なのか、わからなくなってくる。尤も元々たいしてわからないのだが。
/*
そういえばプロ中に
参考にと過去村からフユキを探し
見つからなかったのを思い出した。
独りごちようとしたのを忘れていた。
見落としなかったら初作家?
地味に嬉しい。
*/
蝋燭を消したら……
その分暗くなるんじゃないかな?
[顔を上げる。ルリの疑問に、当たり前とも聞こえる言葉を。羊羹の切れ端を一つ摘み]
駿河、か。
羊羹は美味しいね。
魚も美味しいかな。
肉はどうだろう。
蝋燭の火は消えるものだからね。
消えてもたいした事にはならないのかも
しれない かな。
[男の言葉は、独り言のように、単語の羅列のように、何かの切れ端のように。どこか、曖昧で]
ないね。何も。
私はどこに行こうとしていたんだったかな。
私は何を目的としていたのだろう。
私は何がわからないのだろう。
わからなすぎてわからないね。
ただ私が私だろうという事はわかるんだよ。
それさえも、不確かだけれど。
ああ、でも、一つ確かなのは――
[どこを見るでもなく、ぼんやりと。
眼鏡のブリッジを指先で押さえ]
私はフユキだっただろう?
私はフユキだ。
その筈だ。
ただ同時に異形であると、いうだけで。
蝋燭を不吉と思った事も
おじさんと呼ばれてショックを受けた事も
先月見合いを断った事も
幾つもの違和感を覚えた事も
私がタクミでもあるという事も
覚えて、いる。
私が不確かなのは。
不確かになってしまったのは。
此処が不確かだから、なのかな。
此処が分岐点だから。
そうなのかい?
[問いかけに答える相手は、いない]
まあ、魚でもいいね。
醒める。
醒めてしまう、か。醒められる、か。
[開いたままのノートの頁に、視線を下ろす。
先刻書き入れた何らかは、一つ残らず消えていた]
[地面を掘る音をしばらく聞いていたが、やがておもむろに立ち上がると窓の方に向かい。庭の様子を見、見下ろして]
……ああ。
[小さく、息を吐く]
ただ、醒めるだけなのかもしれない。醒めたら。醒めてしまったら。醒められたら?
私は、どうするのだろう。
すべては、どうなるのだろう。
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