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あ、待って!
[目の前に白い猫が飛び出す。
と、同時に左手に持っていたケージがふわっと浮いた。
どうやら蝶番が緩んでいたらしい。
自由を得た猫は、一直線にとある場所へと走り出す。]
[近所の動物病院だからと、つい履き慣れたサンダルで出掛けたのが仇となる。
縺れる足で見失わない程度に追う飼い猫は、
雑貨屋と駐在所の間にある空き地へと、
するりと身を滑り込ませた。]
も、もうっ…ミヤったら…、
そこは立ち入り禁止の場所でしょう?
[立ち入り禁止の看板。有刺鉄線。
古ぼけたそれらに、牽制の意味は無いに等しい。
まして文字の読めない猫などに――。
役割を果たさないそれらにため息をひとつ吐くと、
日差しでやわらかくなった土地へ足を踏み入れた。]
――あら? アンちゃん?
何をしているの? こんな所で…
[空き地には先客が居た。しかも字の読める「ひと」の。
しかし、ルールを破ったからといって、頭ごなしに咎める「おとな」ではない。
現にいま、自分だって同じ侵入者なのだから。]
何か落し物でもしたの?
それとも学校に必要なものでも探してたのかしら?
[アンの足許に擦りつく猫を抱き上げ、尋ねる。
しばらくして返って来た答えは――]
[その後、アンとふた言三言言葉を交わすと、
何事も無かったかのように猫をケージへと入れ、
つかの間の侵入者は、春まだ遠い空き地から
立ち去った。
後に残るは、意味有り気に佇む少女と、
微かに落ちた消毒液。
そしてすみれの香水に潜む、春のさくらの*練り香水*]
[人通りの多い道路を右折すると、
古びた看板が目に入る。
「槻花寫眞館」。
レトロスタジオと言えば聞こえは良いが、
ただ単に昔から店を構えているというだけで、
店の作りも古めかしく、まるで時代に取り残された
骨董品のようだと思う。]
ただいまぁ。
[サンダルの土を落とし、表玄関から家の中へ。
音なくして出迎えるのは、*ショーウィンドウの花嫁姿*]
ミヤは何でもないそうよ?
お父さんでも変なもの、食べさせたんじゃない?
[中に上がると同時に蝶番を外す。
白猫は、一目散に母の許へ駆けて行った。
ケージを所定の場所に戻し、台帳を開く。
カメラは両親が握るため、顧客管理に徹する。]
あれ?
ねぇ、おかあさん。ペケレさんってまだ見えてないの?
[新しいサービスを始めるスタジオも多い中、
お得意様と呼ぶ客は、まだまだ多い。
七五三の記念写真の引渡も終え、
入園、卒園、入学、卒業の記念写真の予約が
ぽつぽつと飛び込む今の時期、
直接尋ねてくるお客の顔触れは、大体決まっている。]
お忙しいのかしら?
[何気なく視線を向けたカレンダー。
そこには一月二十三日の日付。]
あ、そうだ。節分で使うお豆の注文!
雑貨屋のお婆ちゃんにお願いするのを
すっかり忘れてた。
[思い出したその足で、再び真冬の外へと
足を踏み出そうとする。]
[今度はサンダルではなく、ブーツに足を通して、
ふと佇む。]
ねぇ、おかあさん。
雑貨屋さんと駐在さんの間にある、
あの空き地って――
ううん、なんでもない。
じゃぁ、お客さんが来たらよろしくね?
撮影の予約、メモ書きでもいいから。
[白猫の足を丁寧に拭いている母と、
カメラの手入れをする父を残して
雑貨屋への道を歩き出した*]
[風に混じって、子供達のはしゃぐ声が聞こえる。]
いつの時代も、こどもって元気ね。
こどもは風の子元気な子、だっけ?
[頬を撫ぜる風に肩を竦め、
雑貨屋の引き戸を開ける。]
こんにちは。お婆ちゃんいますか?
[「すみれちゃんかい?」
耳慣れた声と共に、奥に見え隠れする姿に、
頷き、かるく会釈する。
昔はよく通っていた店も、
いまではあまり訪れる機会がなくなっていた。]
節分に使うお豆の注文、お願いしたいの。
*子供会用の*
[皺む手で書き留められる注文書は、
老いた歳など感じさせない。]
まだはっきりした量は判らないから、
大まかな数でお願いしていくわね。
はっきりした数は明後日か…、
遅くても二十六日には判ると思うから。
[次の来店する予定日を告げ、
来たついでにとジャムパンをみっつ、購入する。]
[お釣りと手提げ袋を受け取りながら、
年寄りお決まりの質問には、軽くくちびるをゆるめ]
そうねぇ。でもわたしの場合、
相手を探す所からはじめないと。
[紡ぐのは、思ってもいない、やさしい常套句。]
あ、そうそう。
おばあちゃんなら憶えてるかしら?
[かわす言葉も常套句なら、
否定する言葉も常套句。
慣れるやりとりを、軽く抑えて尋ねる。]
駐在さんとの間にある空き地。
あそこって昔、何か建っていたかしら?
[取り敢えずの注文を済ませ、
再び、真冬の道へと歩き出す。
時折強く吹く風に混じり、
何処からとも無く薫る、紫煙の残り香。
鼻先をくすぐられ、思わず身を竦めた。]
さむいなぁ…。
[悴む手でマフラーを引き上げて。
家までの道を、ゆっくりと辿った*]
[慣れた道。角を曲がると見える店構え。
店前に飾られた年季の入った蓄音機は、
代々継ぐものではなく、
以前、近くの骨董品店から購入したものらしい。]
ただいま、"わたし"。
[初めて紅を差した、在りし日の。
少女の花嫁姿に声を掛け、表玄関から中へ。]
お婆ちゃんの所から、ジャムパン買ってきたの。
スカシカシパンの方が良かったかしら?
[コートを脱ぎ、小さな手提げ袋をテーブルへと載せる。
甘いものの誘惑に、二人と一匹がひと所へ集まる。]
ねぇ、おかあさん。
あのね、雑貨屋と駐在さんの間にある空き地にね、
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