― とある大樹の下 ―
[無言のまま、腰を下ろす。
村のはずれの大樹の下。村を見下ろせるなんて気の利いた場所じゃない。ただ、静かな場所だ]
……賭の代金受け取らずにいくなんてな。
[余裕のあることだ。と、わざと呆れたように言って、肩をすくめる。どうせ聞いちゃいないだろうと思うから、悪態も、付き放題だ]
樽って、お前が勝手に言ったんだからな。少ないとか文句言うなよ。
[男は持ってきた瓶の栓を抜くと、中身を地面にこぼした。
半分ほどそうして、残った中身を一口含んだら、残りは栓をして木の根本に置く。
裁判所での短いやりとり。
思い出せば、なぜだか微笑んでしまう]
[確かに人は死んだのに。
死んだ人間さえ見たのに。
まるで現実味がないのだ。
あれが間違いなく事実であったと教えてくれるのは、村人の、自分への視線。耳に届く囁き。それから、仕事量の減少]
[この村で生きていくのは難しくなるだろう。
それはそれで構わないと、男は思う。今後どうするか、どうなるかは、これからのことだから]
あの女さ……
[顰めた顔を思い出しながら言う。
ポケットに両手を突っ込む。
指先に触れた物を指で転がした]
……やっぱいいや。
[言いかけた言葉を濁して、男は笑った**]
-酒場-
[酒場の後片付けを終えて、あたりを見回す。
先ほどまで客で賑わっていたのが嘘のように静かだ。
母親は先に休んで貰った。
片付けも掃除も終わり、あとは少し仕込みを終えて寝るだけだ。
いつもと同じ日常。
あの、魔女裁判の前と変わらぬ日常。]
[多少の変化はある。
酒場に来る客たちは魔女裁判の事を聞きたがる者もいれば、あからさまにその話題を避ける者もいた。
買出しに出た…を見、何か言いたげな者もいた。
人殺しと真っ向から叫ぶ人間は、いない。
…は何も言わない。
何も、言えなかった。]
[母も、少し変わった。
帰って来た…を見て、母親は安堵のあまり泣き崩れた。
あれ以来、今まで以上に息子を心配する母となった。
特に、“勘”に関しては。
隠し通していくつもりだが、いつかまた呼び出される可能性は十分にある。
その時処刑される“魔女”が自分ではない、と、…は言い切れない。
可能ならば、母を哀しませなければいいと思うばかりだ。]
…………。
[カウンターの陰からとあるモノを取り出し、近くの椅子を引いて腰掛ける。
取り出したのは、一冊の本。
ユノラフがクレストへと届けた本だ。
頼み込んで譲って貰った一冊。
普段は本を読まない…だ。家族や知り合いに気付かれる場所で読むのが気まずく、こうやって閉店した店で少しずつ読み進める。
本はまだ始まりの部分。
酷くゆっくり、ゆっくり、読み進める。
この本が読み終わる頃、自分は、周囲はどうなっているだろうか、と。
ふと、考えた。]
― とある大樹の下 ―
―――あァ、賭けたな。
…そんで、何でその酒が俺んとこに来る。
[ごく当たり前のように、生きていた頃と同じように大樹に凭れた姿勢のまま、配達屋が足元に注ぐ酒を見ていた。]
ま、悪くない酒だがな。
[地に出来た沁みが広がる。
酒を口に含んだ男のその表情で、その味を知る。
常の半目がより細まる。微かな笑みの仕草。]
ああ? 何だよ。
[なにか言いかけて止める男に、唸る。]
……つうか。
お前、聴こえてねェと思ってるだろ。
[聴こえているのだ。
だから、中途半端に口にされると困る。
問い返すことはもう、出来ぬのだから。]
…ち。
なら、「あいつ」に聞く。
[大人げなく舌打ちして。
変わらず樹に凭れたまま、遠くに見える死者のひとりへと視線を投げる。
そうして、再び友人を見据えた。]