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―朝―
[起きて外を眺めると、青い空に虹が架かっているのが見えた。]
わあ、綺麗
[こんなにはっきりとした虹を見るのは初めてかもしれない。
私が見た虹は架かってるのか架かっていないのかよく分からないレベルで、申し訳程度に七色だった気がする。]
よーし、頑張るぞー
[昨日会ったおばあちゃんに沢山元気と勇気をもらった。
早く治して、またバレーボールを始めたい。]
[割れた文字盤、其処に生じた皹に、表面が剥げた部分に、細筆でそっと色を乗せていく。そうして乾かせば、瑕疵はほとんど目立たなくなった。
それからピンセットと接着剤とで、一つ一つ、砕けた硝子の欠片を嵌め合わせていく。パズルを解くかのように、少しずつ。
硝子は色で補うというわけにはいかず、そもそも失われてしまっていた欠片もあり、小さな穴や皹がはっきりと残る事になったが、ともあれ形にはなった]
……
[作業を終えた頃には、昼下がりになっていた。おやつどき程の時間だったが、特別菓子などを食べたい気分ではなく。男はキャンバスに向かった]
[男はキャンバスに色を乗せていった。
幾つも幾つも、いつものように極彩色に。
これもいつものように、目のない笑った人間を、白の絵の具で中央に描き――]
[――黒色で、塗り潰した]
[人型の内を埋めるわけでもなく。筆記具でそのの書き損じを葬るように、ぐしゃぐしゃと]
…… もう、 好きにはさせない。
消して、……
消えて、やる。
[その残骸たる黒を睨み付けるように見据え、呟いた。筆を水入れに付け、そのまま手を離す。筆は一度僅かに沈んでから其処に浮いた。筆先から滲み出す黒が、水の色彩を呑み込んでいき]
[そのキャンバスとイーゼルを中央に配置してから、男は窓際に寄った。珍しくカーテンを開き放していた、その窓をがらりといっぱいに開く。
吹き込んできたそよ風が、壁に貼られた絵の端をひらひらと揺らした。
それから、男は修理した時計を手に取った。ベッドのサイドテーブルに丁寧に畳んだハンカチと並べてそれを置き、一枚のメモを書いて脇に添えた]
[そのメモには、
――「誰か」に渡して下さい――
そう一文だけが書かれていて]
[その後、男は部屋を後にした]
[かつり。ぺたり。
松葉杖を伴う足音を響かせながら、男は廊下を歩いていった。そして、廊下の端、周囲に部屋もない行き止まりで、人通りの少ない場所で足を止め]
……、
[窓際に立ち、硝子の向こうに広がる空を、橙が混じりつつある、鮮やかな、綺麗な空を、*眺めた*]
午後:五階廊下
[ぼんやりとした僅かな時間を屋上で過ごした後、午後は入院患者の治療処置を行った。
前回よりも目に見えて回復している患者もいれば、治療自体が無意味なレベルまで進行している患者も存在する。常であればその結果に一喜一憂し、励ましの言葉を送るところであったけれど。
言葉はただ、機械的に音と成していくだけだった。
その後、5階のナースセンターへ足を運び、看護師へ担当患者の指示を行った。
散々思案した挙句、やはり柏木に声を掛けていこうと、531号室へ向かう途中、窓辺にて彼の姿を捉えた。]
[青と白と橙のグラデーション。柏木の描く絵よりも明度が暗いかもしれないけれど、何処か似ているその風景。その中心に佇む柏木の姿は翳りを帯びて、浮世離れした荘厳さが滲んでいる。
掛ける言葉を見失い、離れた位置から動けなかった**]
ー回想ー
何かを探し出すこと。
それは、楽しいこと。
数学と音楽...音楽の中にだって、数学は隠れているから。
そういうのを考えてみるのもいいと思うよ。
誰だってやれば、まだ世界で誰も見つけていないことも見つけられる。
それも、とってもすごいことでもあるんだと思うんだ。
夜・303号室
...思っていたよりも色々話したな。
まぁ、そんなに普段話さないからなのかもしれないけど。
...楽しかった。
明日はお父さんが来るんだろ...いいな...。
[そんなことを言いつつ寝る準備を済ませていき。
夕食を食べて程なく眠ってしまった]
[よその病棟に入って怒られないのだろうか、と思ったが、お婆さんは師長や医師たちよりもずっと年上なのだから、怒られないのかもしれない、と思った。]
えへへ。お誕生日に、もらったんです。
おばあちゃんのお人形さんも、かわいい。
[羊を口元に掲げて、笑う。
それから、人形に羊の鼻先を近づけて]
「こんにちは。おなまえはなんていうの?」
おやまァ、それならさぞかし大事なお人形さんだァ
その子もお嬢ちゃんのこと大分好きなんだろうねェ
[誕生日にもらったと紹介される羊は掲げられ、姿勢が伸び、心なしか胸を張っているかのようだった。老婆の腕に抱かれた人形は、その鼻先に自身の鼻を触れ合わせるように――そう、老婆の腕が動いた。セルロイドの顔面に描かれた瞳に白がいっぱいに映る。]
ンフフ、この子ァね。
ずぅいぶん長く眠ってたから自分の名前も忘れっちまってェ……
御船での旅はネェ 昔ァそれはそれは長かったから……笑わないでやっておくれよぅ
もしかしたァら、
羊さんの名前をきけりゃあ思い出すかも
[くしゃくしゃと顔を縮めるようにしながら笑い、言葉にするのは相手の見た目の年齢よりも聊か下の子を相手にするような人形遊び。]
朝・303号室
...虹か。
[翌朝、起きてカーテンを開けたところ、窓からは虹が見えていた。
その色は...には7色には見えるが。
それは日本人が色に対する造形が民族的に深いからなのだろうか。
5色だったり、2色と言われているところもあるのだから。
でも、それを7色と思えることを。
ありがたいと感じた。]
[ふと、老婆は談話室の窓から外を見た。そこにはもう、虹の欠片さえもない青空が広がるばかりだった。]
奈緒ちゃんやァ、小春ちゃんも、
見たのかねェ……
そうそ、お嬢ちゃん、小春ちゃんってェ知ってるかい。
お嬢ちゃんよりかァちょいと御嬢さんだけどね、
その子ァ病院で退屈してそうなのさ
[皺の中にある黒目はゆっくり戻り、羊と、それから持ち主の女の子を見る。彼女が小春のことを知っているならばそれ以上言及はせずににこりと笑うくらいなのだが、もし、知らなかったとしたら。お友達誘っていってみるといいよ などと唇をすぼませながら言った。]
3階・談話室
あ、ボタンさん。
[相変わらず今日も暇だったので談話室に来てみると、ボタンさんと、千夏乃がいた。
ボタンさんとは今までも何度も話したこともあってか、少し嬉しそうである。]
[それは田中老人特有のお節介でしかなかった。
小春が同年代ほどの女学生が見舞いに訪れて喜ぶか――というのは、まだ数十分しか過ごしていない彼女には計り知れるところではなく。]
御嬢さんよりかぁ、御嬢さん ……ありゃァ何か違う……?
お姉さんよりか御嬢さん これでもなくて、えェとぅ――
あらァ。孝治くんじゃないの。
こんにちは。……あら、もしかして。二人はお友達?
[現れた後藤と、羊連れた女の子との間で視線は泳ぐ。
彼と話したことは幾度もあった。彼の話ぶりにも、また、彼の読む本にも、頭が良いんだねェと孫に向けるような視線と共に褒め言葉を向けることも。]
[5階を抜け、ぺたりぺたりと靴音を鳴らしながら検査に向かった。眼鏡を外して台の上に横になり、目を閉じた。
一つ検査を終え、次の部屋へ向かう。
途中技師の都合や、再検査などもあり、全ての検査が終わったのは、予定の時刻を越えた、夕食寸前の時間だった]
[己が見えるところまで来た結城の存在に、すぐに気が付く事はなく。僅かにふら付きながらも、男は松葉杖を持った片手で窓を開け放った。夕方の冷えた風が吹き込み、帽子から漏れた髪を揺らす]
……
[落ちるような青。焼けるような橙。散りばめられた白。重なって浮かぶのは、淡い緑に、銀混じりの紫に。奈落のような、暗い藍に]
……、
[あの時とは違う、と思った。
此処に入院する要因が作られた、時。
あの日は、空は暗く曇っていた。
冷たい雨が降っていた]
僕がそう思われているなら、ね。
5階の...無菌室の人かな?
会ったことはまだないな。でも、僕達とは同年代なんですね。知らなかった。
...僕は時間があるので大丈夫ですけど...千夏乃はお父さんが来るのだったよね、今日。
時間とかが大丈夫ならいいけど。
ところで、最近は体調大丈夫ですか?
あ...この娘、スカート変えました?
前は黒かったっけ...?
[男は高所からの落下事故により此処に入院する事になった。そうして生じた複雑骨折は片足を失わせるまでのものだったが、それ以外に重大な怪我はなかった。落下した箇所が自転車置き場のテントの上だったのが良かったのだという話だった。
落下事故。割合と知られた画家である男の不幸は、けして大きな扱われ方ではなかったが、メディアにも取り上げられた]
[事故。
それは、本当は事故などではなかった。
男は、その日――自殺を試みた、のだった]
[うんうん、と首の皺を深めたり薄めたりしながら頷いた。
話題の転換のように人形に話が及ぶと、ンフフ、ともったいぶったような、娘のような声色で笑い]
あらま、流石の孝治くんだ。
女の子の服装変わってるのに気づくたァ粋な男だねぇ。
そうなんだよ、今日の朝、びろうどのスカート縫い上げてね
さっそく新調してきたのさァ……
ふふ、ほォら、気づいてもらって嬉しそうだこった
[脇の椅子を指示されたのでお言葉に甘えて座らせて貰い。
何やら自分の言葉に微妙な表情をされてしまったのではて、と思い、自分なりの答えに至る]
僕は...昨日初めて話したから。
だからまだそんなに...って感じでっ。
いや僕は楽しかったし友達でありたいと思ったし。
[5階の無菌室の患者さん、については少し落ち着いた感じで]
高校生なんだ...。
中学生とは少し違うけど...行っても大丈夫かな?
[暫く動かぬままに、柏木の姿を見つめていた。
様子を窺っていた訳でもなく、風景に溶け込んだ柏木の姿が現実なのか夢なのか、その判断さえも出来ぬほどに見惚れていた、のかもしれない。]
――柏木さん……!
[自分の上げた声に驚いて目を瞠る。色の洪水に柏木が吸い込まれてしまうような錯覚を覚えた所為だった。
あの色の洪水こそが、『柏木を追うもの』なのでは、などと妄想が、過ぎった瞬間だった。
彼が気づいてくれたなら、「何でもないです」と片手を左右へ振りながら数歩、彼へと近づき]
明日も、いい天気になると思いますよ。
明日、散歩に行きませんか?
>>110
[内心を悟ったか、言葉にし直されたものに大げさに胸をなでおろした。
化学繊維の金色が巻き込まれ、微かに広がる。]
――あァ……そうだったのかい。
ちょいと驚いちまったよぅ……
もしかするとォ、――嬢ちゃんと孝治くんの間にねェ……
青春の一ページみたいなものが繰り広げられ、破り取られた後だったかしらん
だなんて。ふふ、婆ちゃん一人でドびっくりしちまった。
[質問にふむぅと唸るような言葉を喉奥から零し、
ふと思い出したように売店で購入した菓子を広げだす。]
そうさねェ、大丈夫だと思うよう。
でも、入る前に看護士さんにでも声かけて、
お見舞いしていいか聞くと尚、いいかもねえ。
ほォら、無菌室っつうと……あれだろう。なんか大変な病気が多いんだろう。
[男は幼い頃から絵を描く事が好きだった。本来色のない物に色を、あるいは物に本来とは違った色を見る――共感覚と呼ばれる能力の一種を、男は生まれながらにして具えていた。男の瞳に移る世界はとても鮮やかで綺麗で素晴らしかった。だが周囲の人間に幾らそれを伝えようとしても、同じ感覚を持たない者達には、正しくは伝わってくれなかった。故に、その世界を、出来る限り伝えたいと、男は絵に熱を注ぎ出したのだった。
そして二十代の始め、前衛寄りの風景画家として世に出た。その色彩感覚は。鮮やか過ぎる程の色彩と対照的な精密な描写は、それが合わさった独特の画風は、相応の評価を受けた。
一部には、過去の天才達の再来だとまで、言われた。男は、満足していた。誉めそやされる事ではなく、己の世界が伝わった事に。
評価する人々はその世界に魅せられてくれたのだと。信じていた]
[――柏木さん。
そう呼ぶ声が聞こえて、男ははっと其方を見た。其処には、目がない笑った人間が――否。結城、が、立っていた]
…… 結城、先生。
[散歩に、という誘いには答えず、ただその名前を口にした。結城は、笑っていた。笑っているように、男には見えた。それも、嘲笑うそれを、浮かべているように。
――全ては、妄想だった]
[世に出てから数年経って、男はより人気を得た。それから更に数年経って、男は、――落ちた。
何も描けなくなったというわけではない。絵自体が変わったわけでもない。人気が全てなくなったわけでもない。だが、少なからず、評されるようになった。画家「レン」は、終わったと。所詮インパクトだけに過ぎないような、流行のような、天才もどき、凡庸な創作者に過ぎなかったのだと]
[男は、思った。
何故なのか、と。
自分は名誉など欲しいわけではないのに。自分に才能があるとすら思っていないのに。自分は、ただ、この素晴らしい世界を、他の人にもわかって欲しかった、見て欲しかった、だけなのに。
その想いは果たされたと、思っていたのに]
このこ?このこはね。ぽーちゃん。
まっしろふわふわの、ひつじだよう。
[お人形のほおを撫でて、千夏乃は答えた。]
お人形さんは外国からきたの?長旅だったのね?
――もしかして、おばあちゃんが子供の頃のお話、だったりするんですか?
[目をまるく見開いて、問う。]
[叫ぶように呼んでしまった所為か、柏木は驚いて振り返ったように、見えた。
己は、笑っていた。
勿論、嘲笑の類ではない。
微笑んで、いた。
『何か』に怯える柏木を無意識にも同志のように感じていた。
覇気の感じられぬ柏木の声が鼓膜へ伝う。
まだ、自分が『あいつら』に見えているのかもしれないと、朧げに悟り。
明日、明るい陽光の下、会話をすれば…、彼の心に巣食うもののかたちを教えて貰えるかもしれない、などと思考を巡らせ。]
じゃあ、また明日。
[一方的に約束を取り付けて手を振り、柏木に背を向け階下へ向かうべくエレベーターへと消える。
それが、最期に見た柏木の姿、だった*]
[そうして、男は病んでいった。男の描く絵は、段々と暗い物になっていった。
男は少しずつ思うようになった。周囲の人間は、自分の世界を本当に見ても、素晴らしいなどとは思わないのではないか。綺麗だ、などとは。もしかしたら、鮮やかだ、とすらも。だから彼らは自分をくだらないとわらう]
[笑う。わらう。わらう、……]
[皆、笑っている。
皆、自分を笑っている。
皆、自分の世界を、笑っている]
[男は、そう考えるようになった]
[男は、妄想に、狂気に、取り憑かれた。その頃から、男の描く絵は変わった。男はサングラスと帽子とマフラーを欠かさないようになった。
笑う目を見ないように。笑うあいつらは色に閉じ込めて。笑わない、恐れる目を、見られないように。口を見られないように。笑わない、それすらも、笑われる、それを、避けるように]
[妄想を恐れ続け、
妄想に追われ続け、
男は、その日、己の住むマンションのベランダから、飛び降りた。あいつらが、消せないのなら。自分が、消えてしまえば。助かるのではないかと。もう苦しむ必要もないのではないかと]
[だが、それで男が死ぬ事はなかった]
[打った体、砕けた左足、それらの痛みは、感じもしなかった。雨に濡れながら、男は暗い空を仰いだ。刹那、唯一愛し続けていた色彩にすら、見放されたかのような気持ちになった]
……こはるちゃん?
[突然飛び出した名前に、首を傾げる。
千夏乃は個室だし、あまり他の子供と面識はない。]
わかりません。わたしが知ってるのは、三つ隣の部屋の、あっこちゃんくらい。でも、あっこちゃんはまだちいさいんです。わたしより大きいひとは、えっと
[そういえば昨日の、と、彼の名を思い出そうとした時、談話室に当の本人が、現れた。]
>>116
[老婆は頬を緩ませた。
孫のような年齢の子供に囲まれて午後の一瞬を過ごすことに、幸福を見出して。けれど、人形を抱える腕に力がこもる、彼女は知っていた。老婆は、彼らにとっての“家族”ではない。
孝治の言葉に悪戯気に口端を持ち上げる。円らな瞳は半ばほど閉じられた。後藤の内心を察するほどの鋭さが、老婆には圧倒的に足りなかった。後藤も、羊の子も、圧倒的に若く――そして、老婆にとっては孫ほどの、年齢だったから。]
なァにを言ってるのさ。
女の子ってェのはね、細やかな男に弱いんだよう。
さっき服のことにぱっと気づいてた孝治くんはァ、
女の子に見初められる才能があるってェのさ。
顔もカッコいいし、将来引っ張りだこだよう、ねえ嬢ちゃん。
婆ちゃんが太鼓判押しちまう。
……おや。バレーに興味があったのかい?
[「また」など、「明日」など、訪れはしない。訪れてはならない。そう考えながらも声にはせず、男はユウキの姿を見送った]
[そして、窓枠に、両の手をかけた。ぐらつく体に、窓の縁に一旦肩を預ける。窓の外に広がる空を仰ぐ。先よりも橙を増した空は、綺麗だった。何処までも何処までも、綺麗だった]
少し前の話
>>117>>
[ぽーちゃん、と紹介された羊に老婆は軽く頭を下げて見せ、
それから次いだ好奇心をそのまま嵌め込んだような目に、んふふ、と笑った。
もったいぶったように背もたれに背を預け>>101話題の転換をさしはさみつつも
さてどういったように話してみようか と言うことが老婆の内心を占め
かつ、そのことが彼女の心を浮きだたせていたのは傍目にも明確なほどだった。
けれどその話も、彼女の>>103ちょっとした言い間違いの中に霧消してしまった。そうして田中老人は心躍らせていたことをするりと飲み込んでしまって、
今の話をに――主に、孝治がモテるだろうという話に――夢中になっていた。]
>>123
[見初められる才能が、と言われて内心までは悟られてないことに一瞬安堵すると同時に、その言葉に頬を少し赤らめる]
...そんなことないですって。
細やかというよりお節介なんだろうし...。
千夏乃のような人なら、僕も歓迎だと思うけれど。
[少しテンパってはいたもののそんなことを言える程度に余裕はまだあったようだ。
自分の本心には蓋をして。
自分の想いにも蓋をしても。
でも、
自分の願いには蓋をせずにいたいと、そんなことを思いながら。]
いや...そんなことはないけど。
ルールとかはまだ知っているような競技で良かったな、なんて思って。
夜
[今日初めての夕飯を食堂で堪能して、病室に戻る。時計のことが気にかかったが、もう消灯時間まであまり間がない。迷惑だろうと、柏木を訪問するのは明日に回すことにした]
少し、怖いけど……悪い人じゃないよね
[新しいパックに変わった点滴の管をどけながら、看護師によってか、閉じられたカーテンを開いた。
きっと直るはず。直してくれるはず。誰のものかわからないけれど、きっと――]
[――ぐしゃり。
穏やかならざる音が響く]
[かつて落ちた時と違い、痛みを感じた。今度は失敗ではない故なのだろうと、考えた]
[地面に仰向けた男の右腕は左足と共にあらぬ方向に曲がっていた。落ちていた瓦礫の上にあたった左の脇腹は、その先端に抉られ貫かれていた。何より、男の頭は、割れていた]
[傍らに落ちた帽子の濃緑を、首に巻き付いたままのマフラーの薄緑を、地面を、鮮やかな赤が染めていく。広がった黒い髪、そのちらほらと混じった白い部分も、赤く染められ]
――……、
[サングラスはブリッジで二つに割れながら少し離れた場所に飛んだ。切れ長の、黒い瞳が、無彩な代わりに全ての色彩を歪みなく映し出す瞳が、空を、鮮やかな空を、虚ろに見据える。男は薄く唇を開き]
…… ああ。
綺麗、 だ。 ……
[ぽつりと、掠れた声で、満足げに、呟いて。やはり満足げに、男は笑った。
そして、男は目を閉じた。
最後に鮮やかな色を残して。最後に鮮やかな色を見て。色彩の夢に、*沈んでいった*]
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