情報 プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目 エピローグ 終了
― 壊れかけた ビル街 ―
[地盤ごと歪む舗装に、積もる瓦礫とガラス片。
中ほどの数階層が剥き出しの鉄骨のみとなって、
悩ましく地上へ項垂れる態のファッションビル。]
[かつては威容を誇ったビル街も、
いまでは常に崩落の危険を伴う。
災厄を僅かにも逞しく生き延びた人々でさえ、
物資を漁ろうとした先人たちが建物の倒壊に
巻き込まれるのを幾度か目の当たりにした後は
――繁栄の記憶もいろ濃いその地を捨てた。]
[未だ若者と見える後ろ姿は、やがて去り――
見送る視線の主は過ぎった影を目で追った。
あやうくぶら下がる看板の上、立ち上がるのは
長身の…道化た服装(なり)に馬銜(はみ)噛む男。]
ん
[黒い棒状の銜枝をくっと深く噛み込みながら
片手で翻す身は、配線の絡む梁へと跳躍する。
足下では 僅かばかり看板が――ゆら、ゆら。]
[白い翼の其のひとが旋回するさまを暫し観て。
やかてふと――彼女の意識が落ちる先に気づく]
…
目をつけられたんじゃないか?
[銜の片側へ指をかけながら其の翼人へ言うと、
ざらついた声と共に黒い煤煙が幾らか漏れた。]
ふうん
[聞こえよがしの蔑みが降ってくる。
軽業を為す男は銜へかけた指を一度戻す。
其のひとが羽ばたく風が、道化た帽子の
尾を揺らし…男は首を傾げてみせる。]
したよ、心配
…もうあんまりいないからね、「ただの人間」
[口を開けばまた煤煙の黒が宙へ流れる。]
汚れるの、嫌かい?
[煤を厭う素振りに、ざらついた声がわらう。
捻れた梁を蹴り上がると、その上を歩き
軽業師は見目よき翼人のほうへ歩を寄せる。]
わざわざ、こんなところまで降りてきて
『あーあ、こうはなりたくないわよねー。』
[銜へかけた指を戻す。とん、とん、とん
片手の指を動かしながら片掌へ打ちつける。
――わざわざ、一文字ずつに区切った手話は]
[互いに芽生えぬ殺気の故か、
読ませる態な指動きの故か。
銜噛む男は、其の人の留まる高みへ僅かに至る。
振り返る動作は男も同じこと――視線は交錯し]
…
[有翼人を観る目元は、眩しげに細められる。]
うん
[跳び移るさきは、向かいのひしゃげた窓。
割れた硝子を儘に掴めば、じわり滲む黒。
険しい視線が刺さるかの如き、益体もない傷]
うん 違うらしいか
[背に叩きつけられた台詞を、暫し咀嚼して]
[曰く、]
違ってもいいから、
汚されてみたくなったら 俺と遊んで
[真白い羽を抜き取り損ねた空き手を、
ふらり揺らして 暗い窓へと姿を消した*]
[亀裂の端へ片掌を置く仕草は無造作のようでも、
指先を吸い付かせ、見えない罅を宥める手つき。
階段の途切れる下階から体を引き上げながら
男が空き手で放るのは、封切らぬ酒瓶が一本。]
( ― 2012年 ― )
[ラベルに書かれた年代を、相手に確かめて。]
( ― それ なにがあった年? ― )
[尋ねたいような空惚けたような面持ちで紡ぐと、
暫し執行人の横顔を眺め…ふしと煤煙を漏らす。]
[幾らかの沈黙――
応えは待たず、長居せぬ態で片手を振ると]
( ― せっかくの品 ― )
( ― 割っちまうのも、なんだし ― )
( ― お代は、またね ― )
[崩落寸前の危険な廃墟に取り残された物資を
身ひとつで運び出す「引揚げ屋」を営む奇人は、
今度こそ無造作に、窓から外へ飛び降りた。]
[ナイフを血に染めたカウコの戻り道には、
今度は煤煙の匂いも件の視線もありはせず。
姿見せずの当人は、かつてのランドマークを
後にしてひとり。砂塵の街で傷の黒を舐める。]
… しろい 翼の――
[舌に粘つく苦さと呟きを、口腔へねとり玩ぶ。]
供儀がアレなら、面白かったかも な
[ざらついた声と共に漏れるどす黒い煤煙は、
砂塵混じりの渇いた風に細く流されていった。]
[真黒いコークスをスナック菓子めいて幾つか
口へ放り込んだあとは、またきつく銜を噛む。
行き交う人は疎らにも、軽業師の男が地上を
歩いている珍しさに軽く冗談など投げてくる。
それらへ道化た黙礼で応えつつ、男は何件かの
―宿には客から娼婦宛ての― 配達を済ませた。]
[優れた感覚で安全な路を選っていた実験体と、
常には建物の屋根伝いが道代わりの軽業師が
つむじ風吹く辻に行き会ったのは――稀な偶然。]
……、っ
[男が咥える銜は、黒い煙の何割かを無害なものと
変えるが、その携帯性ゆえに効果は高くない。
異常な芯熱を抱く男が、驚愕する態で立ち止まり
目を瞠ると…漏れた呼気にクレオソートが*香った*]
― 砂塵の街 ―
[赤い空が、執行人が感傷馳せた
其れよりもいろを深く沈めた頃合。
摺足めいた足跡を連れた人影に立ち尽くす儘、
軽業師は相手の仕草にじわり表情を歪ませる。]
[実験体の彼を目にして――浮かぶ感情は苦い。
奥歯が馬銜を噛み込んで、かりと音を立てた。]
…
[『押し潰す圧……』届く声に躊躇う間を置いて、
遣り切れぬ態で緩く頭を振り…彼へ歩を寄せる。]
[トン、トン …トン
ひとつずつ、文字をわからせる緩慢さで
相手のてのひらへ手話綴るを指を触れさせた。]
( ― "それ"は、だれだった? ― )
[あたたかく][おしつぶす…]
[変わらない評に苦り切った面持ちを浮かべて。]
( ― マティウス ― )
[「檻」の底に見知る相手が呼び返すのは、
「番号」かそうでないものか――――
反応と同時、軽業師は鋭く長身を屈めながら、
労いさえ籠めて触れ合わせた旧友の手を弾く*]
―砂塵の街―
[舞い上がる砂埃に、廃墟の壁土の色が混ざる。
ざ、と尖った靴先を踏み出す軽業師は、石塊の
落ちる音の合間にマティウスの呟きを拾って…]
…違うのか?
[常より乱暴な手つきで、銜の片側を引き下げる]
…そうかもな?
"檻"を黒く沈めたのは…俺だもんな?
[僅かに犬歯が覗く。見えずともざらついた笑み]
お前は――
俺の「炉」を 起こしただけ
[肩ごと身をひくつかせる態のマティウスへと
顔を近づけて屈み――囁きながら覗き込む。]
…あのあと、何人死んだ?
なあ、
( ― マ・ティ・ウ・ス ― )
[痩せた頬へやさしく打ちつける文字のかたち]
―砂塵の街―
…ああ、
[喩えた『檻』にか呼ばれた名にか、
旧友の頬へ触れたままに浅く応える。
彼へ俯く軽業師は、
尖らせた舌先を僅か覗かせて…どろり。
黒く灼けた、コールタールのひと雫を
マティウスの頬へ向けて垂らす―――*]
―砂塵の街―
[粘りつく黒の雫は、
マティウスの頬の上から容易に垂れ落ちず。
拭いもしない彼の様子に、男は憮然として]
お前が生きてる ッてことは うん
あれもまだ… か
[実験体たる彼の首へ二重に残る吊縄の痕に
五指の爪を立て――みちりと喰い込ませた。]
…切るんじゃなかった、
お前の縄を
[軽業師の指下で、マティアスの動脈が蠢く。
爪の間へ血が染むほどに掴めば鼓動が混ざる。
己が指の骨が軋む。彼我の境が曖昧になる。]
いつから、彷徨ってた…?
[抵抗の無さは男の意に介するところでなく。
やがて――其処からみじかく濡れた音がして、
軽業師の五指が、旧友の首の皮膚を破り
第一関節までぐじゅりと深く潜り込む。]
情報 プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目 エピローグ 終了