(うんと、サービス……)
[漏れ聞こえてくる、「イケメンさん」と「お色気さん」の大人の会話。ナオは顔を真っ赤にしてしまう。
それでも、目を離せなくて。文庫本の隙間からそっと2人の様子を窺う]
(飽きさせたりしないって、どゆこと)
[目がぐるぐると回り出す。ナオにはまだ早すぎる、大人の世界が広がっていたのでした]
ひょえっ。
[ナオの思わず漏れた呻き声は。
小さな車内に、存外大きく響いたように思う]
……あ。ごめんなさ、い。
[顔を真っ赤にして、「イケメンさん」と「お色気さん」にぺこりと頭を下げていた。なにをやっているんだ自分は。でも、こんな公衆の面前で身体をくっつけるなんて]
(し、刺激が強すぎます)
[ぷすぷす、と頭から湯気が出そうだった**]
[視線がそれらふたつだけでなく、
楽器ケースの脇にちょこんと置いた学生鞄もうかがい見るようになるまで、
そう時間はかからなかった。
――が、鞄の方は数秒で見るのをやめた。
再度少女に向き直り、飴玉を指差しながら、]
………、綺麗な色ね。
[そんなことを呟いた。
そんなことしか呟けなかったともいう。
お行儀がいいか悪いかなんて、そんなこと気にしていられる余裕はなかった。
この場に親がいればこの子にいい顔はしなかっただろう、とは、
頭の隅で思考が働いたが。
車内を見回しても、この子の親らしき姿を見つけることはできなかった]
[自分の知ったことではないと分かっていたが、
車内をもう一度見回した。
ほとんどが学生で、
会社員と自分は社会人。
あのおっさん(?)は職業不明だが、
恐らく独立しているだろう。
ひとりでいたとしても何の不都合も不自然もない。]
[ルリは自分の心臓がどっくんどっくん鳴るのを聞いていました。徒競走のときよりもドキドキして、顔も熱いくらいなのに、そのくせ飴玉を握った手は少し冷めているようでした。
だからでしょうか、お姉さんがもらってもいいの、と聞いた時に、ルリはうまく答えることが出来ません。耳の中でドキドキしている心臓がうるさくて、なんて言えばいいのかルリには分からなかったのです。
お姉さんは驚いた顔をしていました。もしかして、もしかしてやっぱり、ご挨拶としては飴玉はダメなのでしょうか。でもルリは果物は持っていないのです。]
[お姉さんの視線がいったりきたりする間に、ルリの目線も少しずつ下がってきてしまいました。あらやだ、鼻がツンとします。お寿司を食べた時のようです。
けれど、しぱっと、ルリが瞬きしたら、眼の中の海は薄れました。
綺麗 ですって?]
[ルリはきちんと目を上げます。そうして、指さされた飴玉とお姉さんとを見て――さっきのお姉さんの真似っこみたいでした――、それから、ウン、と頷きました。]
あの あのね、これ、
ルリのお気に入りのアメ、です、ドウゾ!
[やった。やりました。
今度は言えました。ドウゾ。たった三文字です。なんでこれがさっき出てこなかったのでしょう。勢い込んで言ったせいか、少し早口でしたけれど、とにかくルリは言えたのです。御挨拶を言えたのです。]
[ルリはあんまりにも一生懸命でした。御挨拶をする使命に突き動かされていたものですから、参考にした『果物の大人』の正体に、気づけていませんでした。よくよくその人を見ていたら、きっとルリは今度こそ完璧に動きを止めてしまっていたでしょう。
けれどルリは、一つ御挨拶ができたものですから、あの怖い人にもご挨拶だって出来るかもしれないわ、とむくっと自信を育てたものですから。正体に気付く機会をひとつ、逃してしまっていました。]
[彼女は己が放った問いに少女からの答えが返るのを待っていた。
待てる限り待つつもりでいた。
途中で電車が駅に止まったとしてもそこは降りるべき駅ではない。
彼女の方に時間はまだあるのだから]
ありがとう。
リンゴ味は好きだよ。
[はしっこをつまんで飴玉(リンゴ味)の入った袋を受け取る]
でも、えぇと……、私。
お返しにあげられるものを持ってなくて。
[それでもいいのという言葉は、少女の様子を見ていれば消えた。
心情は想像するしかなく、当たってるとも限らないが、
ともかく少女がいっしょうけんめいに差し出してくれたのがこの飴玉なのだから]
[ガタン、と大きく車体が揺れた。
向井はもぞりと肩を動かし、ややあって丸めた背中をゆっくり伸ばして身を起こした]
ね、み
[すぐ横にある、ボックス席の背もたれ、の反対。
頬を預けるにちょうどいい場所は、車内の冷房によりひんやりしている。
鞄は空いた隣に滑らせる。
勢いあまってコン、と頭が音を立てる]
[横に置いた鞄に添えられた指は、右の人差し指にタコがあった。親指も少し、赤くなっていて。そして左手の人差し指がうっすら黒くなっている。
夏。
机に向かい続ける学生。
夢の中でも、数字に追われているのだろうか。
それとも、顔の見えない家族か、教師か]
とま と
[寝言からは、そんなことちっとも、窺い知れないのだけれど**]
[まだ顔が火照っている。電車で素っ頓狂な声を上げてしまった。恥ずかしい。しかも「イケメンさん」の前で]
(……読書の続き、しよ)
[ページをめくる。“竜岡町から池の端へ出て、上野の公園の中へ――”。駄目だ。文字が頭の中に入らない。
ナオは空想が得意だった。ひとたびページを捲るだけで、明治時代の東京の様子がまざまざと頭に浮かんでくる。はずなのに]
(ああ、もう)
[今日は超ラッキーなはずだったのに。おかしい]
残念。
あたし、降りなくちゃ。
じゃ…待ってるわ。イケメンさん。
その時はお名前、教えてね?
[電車の行き足に少しブレーキがかかる。
それでも、名残惜し気、というには少し意地悪い表情でズイハラ見つめている。やがて、やおら立ち上がると踵を返した。ちょうど目のあったナオに、ぱちこーんと、音のしそうなウィンクを贈った。]
とても好きだけど…お別れよ…サヨナラ…
鳥のさえずりに…送られて出て行こう……
んぁー! パパァラパ……ゲフッッゲフンッ
[相変わらず図太い。そして声高に過ぎる鼻歌。]
嫌ねぇ。
ほんとに夏風邪かしら。
…また鼻から何か出た気がするわ。
[そうして、遠目美人との言葉そのままに、すらりとした歩き姿を見せつけて、独りドアの前に立つ。**]
[電車の速度が急速に緩やかになって行く。次第に頭上から降車駅のアナウンスが流れ始める
眼の前の者は尚も意地悪げな表情で見つめる>>19が、立ち上がって踵を返した。
途中、女学生の方を向いて何事かしたようだった。動き方からするとウィンクだろうか]
‥‥‥‥‥。
[ちらと傍らの八朔を見やる。そして思い立ったように鞄の中に手を入れて、何かを探す
見つけたと見るやそれを持って立ち上がり、図太い鼻歌と咳払いを発する者>>20の所へ向かう]
………ん。
[ドアの前に立つポルテの後ろから、営業に使われるポケットティッシュを差し出す
そこには数駅先のソフトウェア開発会社の名前。その横に担当者の名前を書き込む欄がある
そこには"須井原"とペンで書かれていた
相手は受け取ったかどうか]
[昔を振り返りつつ、
弓道部男子は車内を歩いた。
小さな少女が何かを差し出してるらしきを横目に、
なにやら怪しい雰囲気の大人から意識的に目を逸らし、
進行方向へ足を向け]
[ルリが成功体験にひとつ気分が大きくなっていました、が、やはりお姉さんが綺麗に笑うと、少しどぎまぎしました。にっこり。花がひらくみたいに、お姉さんは笑います。ルリの知ってるお友達とは、少し笑い方が違うのです。なんて言えばいいのでしょうか、きっと、お姉さんはこういうふうに笑うことに馴れているんじゃないかな、なんてルリが思うほど、自然にきれいに、ルリを安心させるみたいに笑うのです。]
[お姉さんが「お返し」と言うと、ルリは瞬きしました。
ルリは用意のいい子ですが、「お返し」に関してなにも考えてはいませんでした。そう言えばそうですね、御挨拶というのは相手からも返してもらえるものでした。おはようと言ったらおはようって、ありがとうって言ったらどういたしましてって。ルリはそういうところは思い当たらなかったのです。]
[なので、ルリは勢いよく、首を左右にふりました。結んだ髪の毛がぴょんぴょん跳ねて、くっついたリボンがふわふわ踊ります。
これで「お返し」はいいのだと、お姉さんにも伝わるでしょう。]
[でもその代り、ルリの目はお姉さんの隣に向かいます。
大きなケース。いったいなんなのでしょう。ランドセル? ルリの知らないものです。
ルリは差出していた手を体の前で揃えて、それからお辞儀しました。『引っ越しのご挨拶』の最後とおんなじです。
そうして、少し慌てて、パタパタと。あっ車内は走っちゃいけませんでした。早足で自分のリュックサックのところへ戻ると、椅子には座らずにリュックサックに抱き着きました。やったよお婆ちゃん、ルリひとりでもあいさつできたよ――お婆ちゃんには届かない、ルリの無言の祝杯です**]
[屈んだ姿勢のまま、視線を上へ。
女子が座っていたんだっけ……? と思った通り、
捉えたのは眠りこける男子学生だった。
しかも寝言付きの男子学生だ。
手の中に携帯を収めながら、
弓道男子は少しだけ、
不自然でないくらいに、その姿勢のまま。]