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[目が覚めて彼女が一番にしたことと言えば、深くため息をついた事だった。カーテン越しの虹を見ていたならば、それはきっと異なる意味合いの吐息となったことだろう。]
あァ――……、いいえェ、おはようね
ちょっと、……何でもなかったんだよぅ。
ほんと、何でもなかったんだよう。
[そういって彼女は看護士がカーテンを開くを見守った。]
……ううん、でも。そうだねェ実ァ
ちょっと気分がふさいじまってねえ
けども、まァた あの子の歌でも聞けりゃア元気になるさね。
そうそ、あたしね、今度あの子に会えたら
みんなで童謡歌わないかって声をかけてみるつもりなんだよ
あんまり話したことォないのに、不作法かもしンないけど
わざわざ病院に来てくれるくらいだ
もしかしたら――って。ねェ。
どうだろうね、あの子ァまた今日も中庭に来るだろうかいねェ
――――おンや?
[唇を尖がらしつつも滑らかに回っていた口は止まった。カーテンを開けたまま、握りしめ、反応のなかった看護士に視線を向ける。
窓の向こうは、晴天だった。夜明け前に流した涙が曇りを解け流したような青空の、そこに掛かっていたらしきを思わせる虹色。薄れいく存在は、かつてあった大きさを今は青色に溶け込ませている。
老婆はそっと人形をゆすりあげた。その描かれた平面的な眼にも空が映る。]
…………、
――……いィい 天気だねェ
[朝食から少々の時が経って。男は徐にカーテンを開いた。男が自ずからこの部屋のカーテンを開くのは、初めてと言ってもいい程、珍しい事だった。その時には、虹はもう浮かんでいなかったが]
……
[青い、何処までも青く澄み渡った空に。
男はサングラスの下で目を細めた]
正午 ラウンジ
[彼女がのそりと動き出したのは、虹が消えて暫くが過ぎ、もう暫くが経った後だった。右足を引きずり、のんびりと歩いて向かったのは彼女の定位置となっていたラウンジだった。もうその扉はとっくに黒枝奈緒によって開かれていたとは知らず、また彼女がそのとき一角にいたとしても狭い視界の中には見えず、歩き、定位置を通りすぎ売店まで向かった。]
……ううん、そうさねェ――何がいいかねえェ
あんただった何を持ってく?
いやいや、馬鹿言っちゃいけないよォ、
こういうのは向いてないってェの。
緑茶とかに合うやつにしておくれよ。頼むから。
[一人と一体の会話はしばし続き。]
[少女の家族は、呼び出されでもしない限り病院に顔を見せることはなかった。入院も退院も、荷物を抱えて、バスに乗って、全部一人だ。
何かあったら連絡するように。
そういって渡されたテレホンカードは、まだひとつも穴が開いていない]
…よし、行くか
[気合をいれて立ち上がる。エレベーターを使って向かうは5階。散歩の途中、その前を通り過ぎることで存在を知ったあの鮮やかな部屋と――その主に会いに]
531号室
[部屋番号は覚えていなかった。
ひとつずつ名札を見て、確認していく。あの時、看護師が名前を呼んで扉を開けて……通り過ぎるはずだったのに、思わず足を留めたのだった。
その時言葉は交わしたか。
ともかく、少女はカシワギさん…柏木が画家であることは知っていた。見方を変えればそれしか知らなかったが、病院に長くいる者を深く詮索する気はない。少しばかりの興味はあっても、風に吹かれてとぶような、小ささであり]
柏木さん…いますか
[コン、とひとつ扉を叩く。
瞳が見えないからだろうか、好奇心とは裏腹に、彼と話すことは少し、苦手だった]
朝・314号室
うわあ……!
[朝。何気なくカーテンを開けて、千夏乃は感嘆の溜息をついた。
青空に架かる、連続的なスペクトルのアーチ。その外側には、うっすらと二つ目の虹が見える。]
よかった、晴れた。
[せっかく、家族に会える日なのだ。曇り空じゃ、つまらない。]
『虹が出たなら きみの家まで
なないろのままで 届けよう』
[両親の好きな昔の歌を口ずさみながら、身支度を始める。
とはいえ、長い髪をきれいに編み直すくらいのものではあるが。]
……?
[ふと聞こえたノックの音と声に、扉の方に顔を向けた]
どうぞ。
[そして室内へ誘う言葉をかけた。扉が開き、少女が姿を見せたなら、男は瞬いた。無論、その顔の動きは相手には見えないのだったが。
奈緒というその少女と、男は以前話した事があった。いつだったか、退院したと話に聞いていたが]
今日は。
[ともあれ、そう挨拶し]
正午:売店
[回診後、幾つかの書類作成を終えて昼食時間を迎えた。
見上げた窓の向こうには、虹上がりの青い空が拡がっている。
まさに「空の綺麗な日」だった。
休憩時間をどうしようか、悩んだ挙句売店へサンドイッチを買いに出る事にした。どうも重いものを胃が、受け付けてくれない状況だった。]
―――…、……?
[人影の見当たらぬ辺りから、声が聞こえる。
聞き覚えのあったその声の主は、入院患者のひとりのものだった。]
田中さん、……何を買うんですか?
[ひょい、と棚の横から顔を覗かせ、彼女の視線に合わせるように腰を落として]
こんにちは…
[常ならず、小さな声で挨拶を返し一歩中に入れば、開いた扉から手を離す。ぺたん、とまぬけな音を立てて自動で閉まった]
あの
[顔をあげ、部屋を見渡す。少女の着たパジャマよりずっと暗い、けれど緑のカーテンに、自身の個室にかかった薄緑のそれを思い出し、少し勇気付けられる]
どうしようかな、って思って
ふと顔が浮かんだから
[要領を得ない言葉を洩らしつつ、ポケットからハンカチ包みを取りだす。掌の上でひろげれば、それは腕時計の残骸で、カーテンが開いたままならば、陽光を反射し、柏木の顔を照らすだろうか]
[何かしら困った風の奈緒の様子に、どうかしたのかと訊ねようとした、が、それよりも彼女がそれを取り出す方が早かった。
それに反射した日光が、男の顔を照らす。男を見据えていたのなら、サングラスの下、切れ長な目が一瞬だけ窺えたかもしれない。
男はすぐに帽子の鍔をより深く下げ]
……
時計?
壊れたのかい。……
[改めてそれを、壊れた腕時計を見やった。ベッドの縁に腰掛けたまま、掌を伸ばし]
あら、ま。
結城先生。
[商品棚からふと現れた陰に黒目がちな目を向けた。笑み皺が深くなる。]
ンふふ、それを今考えてたとこなんですよう。
緑茶に合うもの探してたら、チョコレイトをね、
推されてちまって。
先生もォ、お買い物ですかい。
[腕に抱えた人形を揺すりあげ、相手の視界に入るよう胸に抱え直す。老婆の眼は、それから、相手の持ち物を探るように動き]
[手先の器用そうな、大人の…男の人。
結城に見せるのは何故か憚られた。命ないものを"なおす"ことまで、彼に頼んでいいものか、と。だから今少女は此処で、表情を読み取ろうと柏木の顔をじ、と見ていた]
はい、落ちてたんです
落とした、のかな
[一瞬、瞳が見えたような気がした。
よく見ようと、そして伸ばされた手に誘われるように、時計を持ったまま、少女のものではないと推測できるような言葉を零し――実際、近くで見ればそれが少女の細い手首に似合わないとはすぐに知れようが――二歩三歩と柏木に近づいて]
"なおす"こと、できますか?
[落ちていた、と語る少女。その口振りから、時計が彼女自身の物ではないらしい事が知れた。ならば誰の物なのか、それを確認する事はなく]
……そうだね、……
[近付いてきた奈緒に、その手に持たれた時計を眺め]
完全には、無理だけど。
そこそこに、くらいなら。
[そうぽつりと返事をした。自信がある、という程の術は持たないが、この手の物を弄った事は何度かあった]
じゃあ…
[ハンカチごと渡そうと、さらに手を差し出した。左腕から伸びた点滴の管が引っ張られて音を立てる]
これ、このままでも綺麗だけど
……痛そうで
見て、られないんです
[患者として病院にいる者は、皆何処か壊れている。人間には完全な形などないだろうが、時計にはそれがあるのだから、元に戻したかった。戻って――欲しかった]
痛そう。
そうだね。痛いのかもしれない。
痛いのかな。……そうかもしれない。
[呟くように言いつつ、更に手を伸ばす。ハンカチごと腕時計を差し出されれば、す、とそれを受け取り]
……じゃあ。
そうだな、……
また、夕方にでも。来てくれたら。
いや。明日でも、いいけれどね。
ちゃんと、置いておくから。
[考える気配を挟みつつ、そう続けた]
痛い、のは私なんですけどね
……誰かにとってはただのゴミなんでしょうけど
[そうかもしれない。違うかもしれない。全部、想像――否、妄想でしかない]
はい、お願いします
検査が早く終わったら、また夕方にでも
[時計を渡し、手を戻す。手持ち無沙汰に腹の前で組み、再び部屋を見渡し、その中の一枚に目を留めた。少し、首を傾げ]
虹………見ました?
誰かは。
気にしているんじゃないかな。
[誰か、とは、落とした人物を指して。
受け取った時計を改めて見る。問いかけられれば、顔を上げて其方に向け]
いや。見ていないよ。
出た、と。
話には、聞いたけど…… 見ては、いない。
[窓の外の青を一瞥しつつ、首を振り]
[長年の苦労を感じる田中の目皺、可愛らしい微笑みだった。思わず此方も目許が緩み]
チョコレート、ですか。
随分ハイカラなものがお好きなんですね。
……ああ、お孫さんとか?
[ひょい、と目前に持ち上げられた人形を見つめ、ぱちくりと瞳を瞬かせた。まさかこの人形に推された、という……、否、と思案しつつ、問いを受けて我に戻り]
はい、僕はお昼に――…、……これでも食べようかな、と思いまして。
[立ち上がり、ハムサンドの袋を摘んで見せた]
――回想――
[お風呂が溢れる、という言い回しに顔を綻ばせさせながら]
ああ、溢れるね。
そうか…お風呂って言う考え方はなかったなぁ。
じゃあ…温泉形式にしてみたら?
ほら…排水口があったりしたら、とか考えて見るとこれはこれで面白いんじゃないかな。
――回想――
他だと推理系はパズルみたいで面白いよね。
A,B,C,D,Eの5人が競走をして、1位から5位までが決まった。
その順位を聞いたところ、次のように答えた。
A「私は5位でDは2位だ。」
B「私は3位でCは2位だ。」
C「私は2位でAは4位だ。」
D「私は2位でBは1位だ。」
E「私は5位でCは4位です。」
ところが、5人の答えは、すべて半分本当で、半分が嘘であることが分かりました。
さて、本当の順位を求めて下さい。
こんな感じのとか、
下の文の□の中にあてはまる数を入れてください。
「この文の中には、1が、□個、2が、□個、3が、□個、4が□個、5が、□個、6が、□個、7が、□個、8が□個、9が、□個ある。」
私も見てないんです
……見たこと、ないかもしれない
[同じく窓の外を見やり、右手で目元を擦った]
……すいません、じゃなくて。えと
よろしくお願いします
[右手は握りしめられ、点滴装置を左手で持ったまま、小さく頭を下げた]
じゃあ…また
[顔をあげ僅かに微笑むと、部屋を辞そうと背を向けた]
虹。
虹は、綺麗だね。不安になるくらい綺麗だ。
私も、長い間見ていないよ。
[一片は独り言のように言ってから、続く言葉に頷き]
うん。じゃあ。
さようなら。
[また、と言う代わりにそう挨拶を返し――
小さく手を振って、奈緒が去っていくのを見送った。
その姿が見えなくなれば、時計を*見据え*]
[皺の中にぽつねんとあるような、老婆の眼は結城医師の笑みにそっと柔らかな眼差しを注ぐ。一回り以上、下手したら四半世紀以上も年の離れた相手に、医者としての――命を救うものとしての敬意を向けながら、同時に遠く離れた伴侶をも思い描き]
いいえェ、孫ならよかったんですがねェ……。
もォ、それこそ――はて、幾つだったかな、会えてないんですよう。
代わりにね。
この子がさっきから食べてみたいって。
[ンフフ、ともう一度くぐもるような笑いを零した。この子、と指したのは紛れもなく腕の中の。金色の化学繊維を静電気でふわりと浮きだたせたセルロイド。医師の内心にちらりとでも過ったことを知らず、心持、持ち上げた。]
ありゃ、先生、お昼ですか。
[ハムサンド、結城医師とを比べるように見]
先生、医者の不摂生てェ言葉……当てはまっちまいますよう。
人助けする大切な体なんだァ、大事にしないと。壊れっちまいますよォ。
[入った時と同じく、背中で扉が閉まるのを聞く]
それならやっぱり
見たかったなあ……
[不安は不安で押し流せるのか。それとも増幅させるだけなのか。試してみたかったと、歩き出したその表情は、俯きがちで少女自身にもわからない**]
[祖父母という存在に恵まれたことが無かった所為か、老人をみていると無条件に心がなごむ。けれど『患者』という面から見れば厄介な存在でもある。
免疫力の低い者が多く、風邪ひとつこじらせても命取りになる場合が多い、赤子にも同じだ。
人は歳を取れば取るほどに、庇護欲を駆り立てるかの如く、こんな風に可愛らしくなるのかもしれないとぼんやりと感じた。
その思いは、続く田中の言葉を受けてより、強くなった。]
こ、この子、が……、
そうですね、彼女なら、餡子よりはチョコの方が、似合うかも……、
[後者はぼそ、と、笑いを堪えて呟いた。
馬鹿にしたつもりなのではなく、『可愛いおばあちゃんだなあ』という思いからつい笑みが溢れてしまい]
[『不摂生』の響きを聞き取ると、困惑するよう眉根を下げた。無礼にも、少し痴呆が入っているのかとも感じていたけれど、意外としっかりしていると記憶し]
大丈夫ですよ、こう見えても僕、割と頑丈なんです。
壊したくても、中々壊れないんです。
[そのままレジへと歩みを進めて、傍らにあった小箱入りのチョコレートを手に取った。以前、口の中でとろけるように美味しいのだと、看護師が話していた小包装の四角いチョコだ。
サンドイッチと一緒に会計し、別に袋に入れて貰い。田中へそっと差し出した]
これ、美味しいらしいんで……、良かったらそのお嬢さんと、どうぞ。
[老婆の頬にはほんの僅か、色が差した。生白い皺の中に生じたそれは一目には見にくいものであったが、医師の笑みによって引きずり出されたものであるには明白だった。
口元を綻ばせて、人形持たない手を添える。揃えられた指先の、血の気のない白い爪先が薄い唇の半ばを隠した。]
そんなこと言っちまってると、今に倒れた時に笑われちまいますよぅ。
早いうちにお嫁さん捕まえて、毎日愛妻弁当作ってもらうのが一番さァ。
[そういってはまた、くすくすと女学生の笑う声のような――ただしそれよりも幾分か古びれた声音を震わせる。]
[レジに向かうその背に隠れるように、ねェと腕の中の人形と目を合わせていた老婆に、差し出されるのはビニル袋。と、その中の、小さな四角だった。]
――あんらァ……、
[小さな目を精一杯開き、その中身と医師とに視線を走らせた後、そっと手を伸ばした。]
こんな婆ちゃんたちに。
あらあらあら、あらァ……。いやァね、男前の先生ったら、やることも男前じゃあ
本当、うちの爺さんの立つ瀬がないよォ
[にこにこと何処か生娘のような恥じらいを頬に浮かべながら受け取った]
いつかお返しちまわなきゃァねェ、ふふ。ふふふ。
午後・3階、談話室
[昼下がり。低くなり始めた太陽はやわらかく温かな日差しを投げかける。
千夏乃はそわそわと落ち着かない。
もうすぐ、父と弟が見舞いにやってくる。]
まだかな。
[ノートを広げてはいるものの、そこには落書きばかり。]
[存在自体が愛らしい、と言っても過言ではない目前の老婆が、他の患者――主に歳を召した女性に多い――と同じ台詞を口にした。
またか、と感じる程度に耳にする言葉は此方を心から気遣ってのものなのだろうけれど、少しばかり表情を翳らせた。]
それが出来れば、ね……
田中さん、僕と結婚してくれます?
[勿論冗談なのだけれど。此処から見合いはどうだのと本気発展する場面が多い為の、回避策であったり。
少し屈んでチョコの入ったビニル袋を差し出すと、想像以上に喜ばれてしまい、恐縮してぽり、と頭を掻いた]
……旦那さんには内緒にしておいてくださいね。
お礼なんていいですよ、……じゃ、僕はこれで。
[『男前』などとおだてられてつい、ふざけた一言を付け加えてしまう。幾つになっても女性は女性なのだなあとぼんやり馳せつつ、田中に手を振って売店を後にした**]
[優男と評したその顔に影が差すのを、老婆の眼が認めた。老婆の顔面に刻まれた皺は笑みの形に目元に、口元に集まる姿を崩さぬまま、その眼の色合いだけをわずかに変えた。]
おやまァ、死に掛けの婆さんでよけりゃ喜んで、ねェ。
男前に声かけられた なんて知られちまったら
おおこわ、嫉妬が怖いですよう。
[遊びのような言葉に返すのは同じような温度の、けれど頬の赤味は添えたまま。]
ありがとう、ありがとうねェ……
午後からもお勤めいってらっしゃい……
[手の中のビニル袋、手を振ればかさかさと鳴いた。その音を添えながら医師の背を見送り]
[なんとなく空が見たくて、途中で珈琲を購入して屋上へ上がる。
少し肌寒さを感じるけれど、雨上がりの清々しい空気が心の洞を埋めてくれるようだった。]
ふふ、田中さん……、ほんと、いつも可愛いな。
[先程の遣り取りを思い出しつつ、サンドイッチを頬張る。レタスが水分を失って、余り美味しくは感じなかった。
無理やり一枚だけ口腔へ押し込み、残りをゴミ箱へと放る。
温かな珈琲を啜り、空を見上げた。
『空が綺麗な日だったら……
今度こそ、大丈夫な気が、するんです。』
昨日の柏木の言葉がループする。
気にはなっていたけれど、昨日の今日で正直、バツが悪い。また、怯えさせてしまうかもしれない。
どうしようか、思案しつつ柵の下――昨日時計を捨てた辺りへ視線を落とす。
壊れた時計はもう、無かった。
清掃業者が回収したのだろう。そのまま暫し瞑目し**]
[それから。
緑茶に合うだろうものを見繕い、いくつかレジにおいて、また他のお菓子の大袋をカウンターに追加し。店員がいぶかしむような目を向けても、にこり、と皺を一層寄せた顔を見せていた。]
[小さな、お菓子一つしか入っていないビニル袋を人形と同じように胸元に抱え、さまざまな菓子類――それこそチョコレートや和菓子など雑多に入っていた――のビニル袋を手から下げ、老婆はエレベーターに乗り込んだ。
彼女の最終目的地は、空が見えるところであった。けれど。]
あァ……、 あたしったら。
緑茶持っていこうと、持っていこうと思ってたってのに。
お菓子だけ持っていくつもりだったのかねえ馬鹿なことをしちまって。
あ、ちょい、ちょいと……止まっておくれよぅほら。
ほい止まった。よしよしいい子だ。降りるから動くんじゃないよォ。
[途中下車を選んだ老婆の姿は、3階に転がるように躍り出た。
談話室の緑茶を、買っていこうという魂胆だった。]
[頬杖をついて、テレビを観ているそぶりで。しかし、キャスターの声も、コメンテーターの声も、まったく頭に入ってこない。と、]
『チカノちゃん。お父さん来たよ』
[ステーションから若い看護師が顔を覗かせた。千夏乃は跳ねるように椅子から立ち上がり]
[肩まである髪を後ろに束ねた長身の父。モス・グリーンのジャケットとチョッキがよく似合う。
2週間前に会ったばかりなのに、もう懐かしく感じる。]
……おとうさんっ!
[千夏乃は駆けだして、父親に飛びついた。
モス・グリーンのジャケットから、懐かしい匂い。]
『良い子にしていた?チカノ。
お母さんが、残念がっていた。職場のひとが急病で、ピンチヒッターだったんだって。次のお休みには、必ず行くから、って。来週は私も同じ日にお休みだから、皆で居られるね』
[父は少し屈んで、娘の頭を撫でた。
千夏乃は良い子にしていたかな、と自問して、『概ねイエス』という結論を出し、頷いた。]
『…おねえちゃん、今日はげんき?どこもいたくない?』
[父の陰から、小さな弟が顔を覗かせる。彼が前に来た時はあまり調子が良くなくて、ずっと伏せっていたのだ。どうやらそれを覚えていて、気にしているらしい。]
ありがとう。今日は、元気だよ。
ハルちゃんも元気?
[答えて、今度は千夏乃が、少し屈んで弟の頭を撫でた。]
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