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― 病院の屋上 ―
潮風、きっついなあ
[風に靡く髪をうるさそうに払う。風は冷たく、それでも此処から見える景色は]
シキ、あんたもここからの眺め、好きだった?
[素晴らしく。
妹に会うことのなかった姉は、けして妹が見ることのなかった景色を、眩しそうに眺めていた]
531号室
[病棟の一室。その窓は暗い緑のカーテンで閉め切られ、其処から海が見える事はなかった。ただ、気配ばかりは何処かから滲み侵入してきているようだった。
それを拾うかのように、窓際にある机には花瓶ではなく丸い金魚鉢が置かれ、中には水の代わりに色取り取りの貝殻が半ば程まで詰め込まれていた]
……
[その窓際に、顔を向ける者が一人あった。ベッドの端に腰掛けたその者は、入院着の上に黒いカーディガンを羽織り、更に薄い緑のマフラーを口の上まで巻いていた。更には濃い緑の帽子を被り]
[サングラスをかけて、目元を覆っていた。
漆黒のレンズはその瞳を完全に覆い隠していた。間近で覗き込みでもしなければ、窺える事はないだろう。
その姿は小柄で、一見少年とも思える様だったが、帽子の端から零れる黒い髪には白が混じっていた]
…… ああ、
[吐息めいた声を漏らし、頭を振るように――男は窓際から顔を逸らした。次にベッドの周囲を、壁一面を、順に見ていった。
ベッドの周囲にはイーゼルが幾つも立てられていた。乗せられたキャンバスに描かれた絵は様々だったが、全て過ぎる程に色鮮やかだという点と、全て人を描いた物であるという点が共通していた。
ベッドのサイドテーブルや床には点々と、白いキャンバスや種々の画材が置かれていて]
[壁には額縁に入れられた絵が幾つかと、紙に描かれた絵が数多く、飾られていた。それらもまた、同じ共通点を持っていた。
極彩色。人の姿。
描かれた人々は、皆、目がなかった。そして皆、笑っていた]
……、ああ。
[それらを一瞥してから、男はベッドのシーツに潜り込んだ。帽子を顔の上に置き――やがて、静かな寝息を*立て始めた*]
病院表口
また、来ちゃった
[友達の家に来たみたいな、そんな軽い口調で少女は笑った。薄青のマフラーを取れば、その首はいかにも寒々しく。出迎えた顔見知りの看護士に無理やり巻きなおされた]
うん…風、強いもんね
[おとなしく頷いて、緑色のトランクを引いてエレベーターへと向かう]
うん、うん
今度はそう…どれくらいかな。聞いてないや
[トランク曳いて、学校行って。
またね、って手を振って。
学生鞄は肩にかけてそのまま病院へ来た]
トランクがおっきい?
うーん、ゲームは飽きるから今度は本にしてみたんだ
[笑い声交じりの会話。顔見知りの警備員にもやはり手を振って。少女――と呼ぶには背の高い、それでも女ではない彼女は、スカートを翻して病室へと*向かう*]
[女は一人、柵に背中を預けて煙草をふかしていた。
職員に見つかって追い出されるまで、その足元には吸殻がひとつ、ふたつ、*増えていく*]
314号室・小児科病棟
…退屈。
[白いカーテンに囲まれたベッドの上。
北風が窓を揺らす音を数えるのにも飽きて、糸井千夏乃は長く垂らした三つ編みの先をくるくるともてあそびながら、小さな溜息をついた。]
[最初は検査だけのはずだった。
一泊が一週間に、一週間がひと月になり、気がつけばもう半年が過ぎようとしている。]
『大丈夫よ。もうすぐ、帰れるから』
[両親も主治医も看護師たちも、そう繰り返すだけ。
困ったものだ。もう十四になるというのに、まだ子供扱いしかしてもらえない。
薬の量は日毎に増え、身体が徐々に弱っていく。それは目に見える変化だったし、何より、自分自身がひしひしとそれを感じる。それでも、大人たちは千夏乃が何も知らない子供なのだと信じている。…いや、そう思いたいだけ、なのかも*知れない*。]
――ラウンジ――
[緑の隙間から海を覗き見ることのできるラウンジが、そこにはあった。
潮風は木々の隙間を通り、ガラスに吹き付ける。硝子戸を開けばその風を一身に受けることはできたが、ラウンジの椅子に座る老婆はすっかり腰を落ち着けていた。病棟にて割り振られた部屋よりもよほど居心地がいいか、彼女は鼻歌交じりに古びた指で持つ針を遊ばせていた。]
ン、ン――…… あぁおい、 目をした
おにんぎょ は、
[節をつけて動かす針の脇にあるセルロイド人形は、さして青くもない目をじっとガラス向こうに投げていた。
老婆の気まぐれな歌は途切れ、同じ個所を繰り返し、行き着く先も見当たらない轍の中で円を描く。
ふと潮風以外に鼓膜に触れる声を聴き、老婆は手を止めた。黒い布に縫い止まった針をそのままに、陽光反射する海へ目を細め]
きっと、
ウミを見過ぎちゃったからだぁねえ**
─ 病室 ─
[ほぼ白一色の部屋。
壮年と初老の半ばあたりのような男は微睡んでいる。
ベッドの上、男の枕の横の方には、装丁も頁もうっすらセピア色になった一冊の本がある。]**
とある病室
[医療機器がかすかな電子音を奏でる中、目前の女性は患者の手を握り締めて嗚咽を堪えていた。
死亡確認。脈を取り、瞳孔を確認する。
薄く唇を開いて言葉を発しようとした瞬間、胸の奥が圧迫されるような苦しさを、覚えた。]
――ご臨終、…です。
[寝台に横たわる人物が、患者から、遺体へと変化したことを告げると、女性は震えながら泣き崩れた。
額に薄らと浮く脂汗を拭う暇無くペンライトをポケットへ戻す。
重苦しい空気が肌へと纏わりつく中、新米の医師は病室を後にした。
その足取りは、酷く重かった。]
─ 屋上 ─
おや、先客が居たんだね…
[紫煙を燻らせながら、ゆるりと柵にもたれ掛かって居る女性を見つけ彼女は微笑んだ。]
病院とはどうも堅っ苦しくてしょうがないねぇ…煙草ぐらい好きに吸わせてくれればいいのに…
[彼女は誰に言うでもなく、一人呟くように。そして煙草入れから一本取り出すとゆっくりと火を付けた。]
ああ、堪らないねぇ…
[煙草は医者に止められていた。それもその筈、彼女は昨年の夏に片肺を摘出していたのである。
__病名は、肺癌。
それ以来、彼女は一切の喫煙を禁止されている。…いや、正確には禁止されていた。]
まあ、今更後悔なんざしちゃいないがね…
[自嘲とも取れる笑みを浮かべながら、彼女はゆっくりと紫煙を*燻らせた*]
廊下
[無機質な自己の靴音が廊下に木霊する。
まただ、また…、死んだ。
自分が受け持つ患者ばかり…、術後の容態は落ち着いているのに月日が経過すると共に病状が悪化し、手を尽くしても帰らぬ人となる。これでもう4度目だった。
悔しい、とも、哀しい、ともつかぬこの感情を抱えるまま、次第に早足で人気のない廊下の窓辺で蟀谷を押えて深呼吸する。]
……もう、――…、
[限界だ、そう口に出そうとした言葉は直前で、掻き消えた。
音として発する事すら許されないと感じた、からかもしれない。]
[緩く視線を持ち上げて窓の向こうをじっと、見つめる。
きらきらと瞬く海面を眺めることで、不思議と胸の苦しさが緩和されていくようで、ちいさく安堵の吐息を*漏らした*]
[…そういえば、こうして海を眺めるなんて、いつ以来だったろうか。一二三は潮風に吹かれながら、ぼうっと思い出す。
しかしどう頭を捻っても、思い出されることは仕事、仕事、仕事。それも取引先に頭を下げる、嫌な思い出だけしか蘇ってこなかった。]
…ははっ、なんてこったい…意外にあたしの人生って、薄っぺらいんだね…
[一二三はくっくっ、と口の端から煙と共に息を吐き出し、眼前に広がる海原を*見渡した*]
今日は隣、静かだな。
ね?昨日は騒がしかったよね?
[沢渡千夏乃は、枕元の羊の縫いぐるみに話しかけた。
小学校に上がった年、両親から誕生日に貰った縫いぐるみ。まんまるでふわふわの羊は、今でも抱えていないと眠れないほどの、彼女のお気に入りだ。]
『千夏乃ちゃん。お昼ですよう。
今日のデザートは小児科名物、こだわり卵のとろけるプリン!』
[病室の扉ががらりと開いて、顔を覗かせたのは小児科の新人看護師。いつも元気で、患児たちからはおねえさん、と慕われている。]
わあ。ほんと?やったあ。
[味気ない病院食では、デザートが何よりの楽しみだ。
幸い今日は体調も良いから、そのやわらかな甘味を存分に楽しめる。]
…ねえ、おねえさん。
お隣、昨日はずいぶん騒がしかったけど、何かあったの?
[千夏乃がぽつりともらした一言に、新人看護師は一瞬、視線を泳がせた。]
『……おとなり?
ああ、何でもないのよ。心配することないわ。ちょっとだけ、具合がよくなくてね、でもすぐに先生がきてくれたし、もう、大丈夫』
[彼女の笑顔は少し、ひきつっている。
嘘が下手だな、と、千夏乃は思ったが、それは顔には*出さずに*。]
―病室―
[窓から海を眺める。…静かだ。特に代わりのない一日。
将来の女子バレーボール界を背負って立つと言われ、
インターハイでチームを牽引し準優勝を経験して、いよいよこれからという時期、風邪を引いて暫く寝込み、
熱がなかなか下がらなかったので意を決して病院に行ってみたら、
急性骨髄性白血病と診断され、即入院。]
早くコートに、戻りたい…。
[海を眺めながらそう呟いた。]
[扉の開いた音に、慌てて吸殻を踏み消した。携帯灰皿を持っていることを思い出したのは今。遅すぎる、が]
……お仲間か、いや
患者、ですか
[潮風のせいではなく、薄暗い顔色。うまそうに煙草を銜える時は表情が明るく見えた。
彼女の呟きには応えず、やはりただ、海を眺めている*]
[ふと、先客の足元に転がる吸殻に目が向かう。それは然程吸われてはいなかった。]
……。
(…これはお邪魔したかねぇ。)
[ 一二三は少し申し訳なさそうに目線を下げる。
先客の女性はこの病院の住人かどうかまでは分からない。しかし一服の時間を奪ってしまったのは事実だった。
一二三は少し罰の悪そうに、燻らす煙草を携帯灰皿に押し付け、病室へと*戻って行った*]
中庭
[遠く向こうより、海の香がする。
ここからは見えないけれど、きっと高い所に行けば知る事が出来るのだろう。
その色は果たして、煌いているのか、それとも鉛の色をしているのか。
無意識のうちに、潮風を胸に吸い込み。
喉を震わせて、音を紡ぐ。
それは幼い頃より繰り返し歌い身体に染み付いた、神を称える為の歌。]
[その歌声は、誰かに聞かせる為のものだろうか。
分からない。
ただの自己満足なのだろうか。
分からない。
それでも彼女は、毎日この場所へと通う。
少し前まで自分自身も入院していた病院へ。
子供にせがまれ、老人に頼まれ、あるいは今こうしてるように誰に言われずとも。]
[女の背を見送った。
年上の女性は、ポルテのこの派手な容姿を嫌う傾向にある。彼女もまたそうなのだろうと、引き止める言葉も理由もなく、また一本煙草を取り出した]
…寒い、ね
[長い袖に指先を隠して、深く息を吐いた*]
[決して手の届かぬ窓の向こうに広がる青。
生命力に満ち溢れる海を見つめて冷静さを取り戻す。
何時から、こんな風に弱気な人間になってしまったのだろう。
胸元からハンカチを取り出し、冷えた額の汗を拭う。
『病院は、死に満ちている』
そんな事ははじめから、解っていたはずなのに。
救えないのは自分だけの所為じゃない、理解しているはず、なのに]
[死に携らなくて済む科はいくらでもある。
けれど所属科はおろか、病院の異動さえ叶わない現状だった。
内科医だった父は数年前、ここで息を引き取った。
彼の遺書が、自分の人生の全てを縫い止めてしまった。
『慎一には、私と同じ道を全うして欲しい』
父としては、厳格な人だった。
けれど有能で人望の厚い医師だった父の遺言に逆らえるほどの、勇気は無かった。
窓をほんの少しだけ開く。
滑り入る潮風が自分の周りの淀んだ空気を清めてくれるようで、心地良い。
静かに睫毛を伏せて、空を*仰いだ*]
入院棟、廊下
結城先生!
[トランク片手に小走りになる。窓辺にいるその姿は見知ったもの。今まで執刀してもらったことはないが、外来で来た時に何度か顔を合わせている]
こんにちは、
………先生?
[風に揺れ薄茶の髪が靡く。
結城の横顔が少し翳って見えて、少女は首を傾げてその顔を覗き込んだ**]
屋上
「……さん、ポルテさん」
[呼びかけに、青を拒絶するように閉じていた瞼を持ち上げる]
「四季さんの準備、終わりました」
[このたびはまことに…とかなんとか。すぐ目の前の唇が動いているのに頭には全く入ってこなかった]
それから
[写真でしか知らなかった妹は、骨になって初めてその存在が現実であったと思い知らされた]
熱い……
[この熱は体温じゃない。
それでも、四季が生きていた証拠だと、涙の流れない頬を擦りながら、ぼんやりと考えた]
[翌日、黄昏時に家を出た。
悲しみは夢で体験したかのように、他人事で、軽くて、すぐに忘れてしまえそうだった]
そだ、吸殻捨てないと
[鞄のポケットから取り出した携帯灰皿。それを包んでいた、ミルク色のハンカチは―――]
……ぁ、海
[少しだけ、潮の香りが*した*]
病院受付
[中庭から聞こえる歌に耳を傾ける。
そちらを向く人と、何も耳に入らない人と。
同じ見舞い客でも、それだけで彼らを待つ人の容態が分かる気がした]
[歌い終えると、見知った顔と見知らぬ顔がいくつか。
声を聞いて立ち止まっただろう人たちのささやかな拍手が見えて、まるでステージの上に居るように気取ったお辞儀をしてみせた。
胸に広がるのは密やかな安堵。
この世界には、確かに歌が旋律が存在しているのだという事への喜び。]
ありがとうございました。
[薄い笑みを浮かべてから、感謝の言葉を述べる。
それは聞いてくれた人にであり、世界に対しての言葉でもあった。]
受付
[中庭から受付に移動すると、警備員の姿を瞳に捉えた。
入院している時は居たかどうかすら知らなかったのに。
退院してこの病院に通う内に、その姿は見慣れてしまっていた。
いや、彼の事だけではない。
毎日毎日、用事も無く通っている内に、スタッフや入院患者の大半は見知ってしまったし、見舞いの人も何人かなら記憶に残っている。
向こうがこちらを知ってるかどうか、までは知らないけれど。]
こんにちは。
いつも、お疲れ様です。
[すれ違う前に立ち止まり、頭を下げた。]
[中庭から響く歌声が止んだ。
前回入院した時、その声を目の前で聞いた。
白い雲が、青い空が
裸足の足裏を擽る芝生が
全部、全部。眩しかった]
ありがとうございました
[帽子に手をやり、頭を下げた。
素晴らしい声を、挨拶してくれたことを、全てひっくるめて
――心の安らぎを]
[彼女に彼の返事を解する事は出来ない。
言葉ではなく、ざわざわとした耳鳴りとしてしか捉える事が出来ない。
口の動きを読む事も、容易では無かった。
けれど、何を言われたかは分かった気がしたから、軽い微笑を浮かべた後、それ以上は喋らず再び歩き出す。
目指す先は病棟へと続く階段。
入院中、そして退院してからも続けられた行為。
知っている人の所、あるいは知らない人の所へも、ふらりと気が向いた所へ足を運ぶ。
さて、今日はどの階まで行って、どの病室へ行こうか。**]
[隔離されているので好きな時に外に行けないし、
好きな時に誰かと話す事も出来ない。
誰かがこの部屋の前まで来れば話す事は出来るけど。
手続きが必要だとか、時間が掛かるとかで来れる人は少ない。]
バレー、したいなあ
[外を眺めながらまた独り言。独りだけしか居ないので、独り言でも言葉を聞かないと気が狂ってしまいそうだ。]
603号室
[結城と何か言葉は交わしたか。
きっと、笑顔で別れただろう。ばいばいと笑顔は1セットだから]
……とうとう個室、か
[最初は4人部屋だった。それが2人部屋になり、かけられるお金は少しずつ増えていった。個室の多い上階の部屋は、眺めだけは、本当に良かった]
悔しい、なあ
[首に巻いたままのマフラーを握り締めて窓から顔を背けた]
[そういえば、隣のクラスだか下の階だったか、ともかく同じ学校の有名人が入院したという噂があった。
隣の席の………]
クラスメイトも思い出せないとか
だめだこりゃ
[なんとかという女の子が、眉を下げて、でもどこか誇らしげに話していた。噂の発信源になれることが嬉しいのか、と考えたことを覚えている]
まあ制服脱いだらわからんけどね
[ひとりごち、マフラーをベッドに放り投げた]
――……
[眠りは、浅く。
時計の長針が一回りもしない内に、男は再び目を開いた。帽子を手に取り、暫くぼんやりと仰向けになっていてから、男はベッドから出た。
被った帽子に代わり、傍らに置かれた松葉杖を取る。その両端を前に出し、それを芯に右足を進め、また両端を前に――繰り返す。
男は左足を失っていた。
半ば捲り上げられたズボンから伸びるのは身を覆う白。重度の開放骨折から動かせなくなったその足は、近い将来、真に失われる予定だった]
……
[慣れた様子で歩き、男は病室を出た。かつり。ぺたり。小さく音を響かせ、廊下を進み]
[不意に届いた女子学生の声>>28が、思考を現実へと帰化させた。
彼女へと振り返った己の表情は酷く、間の抜けたものであっただろう。大きく目を瞠り、やがて現状を把握しにこりと微笑んだ。]
こんにちは、黒枝さん。
……ああ、ちょっと考え事してたんだ、うん。
[不思議そうに此方を覗き込む様子に、なんでもないよと首を振る。
何時もの自分を取り戻そうとするのは、下らない自尊心からかもしれなかった。
バツ悪そうに視線を落とし、彼女の荷物を見遣る。]
今日からだったんだね。後で、様子を見に行くよ。
[『ばいばい』。若者らしい挨拶を残す彼女へ、軽く手を振って見送った。]
[女子学生が去ってしまえば、廊下には再び静寂が宿り始める。
否、微かな足音が近づいてきたか。
姿を捉える事は叶わないものの、静かに窓を閉める。
海風が体調に触る患者も、少なくはないから。]
[廊下に人通りは少なく、辺りはしんとしていた。からり。その中で響いて聞こえた音に、男は顔を其方に僅か傾けた。廊下の先に見えたのは、白い人影。病院である此処には当然幾人もいる、医師の一人だ]
……
[そうとまではすぐに把握出来たが、何分サングラスでとても良好とはいえない視界、それがどの医師かまでの判別は]
……、今日は。
[出来たのは、数メートルに近付いてから。かつり、立ち止まり、会釈と共に挨拶し]
[スカーフに手をかけて、首を振った。
今日は一つ目の検査まで時間がある。まだ、もう少しだけ。制服でいよう。
トランクを開けて、荷物を片付ける。図書館で借りてきた本は出さずに、パジャマを一着、マフラーの横に置いた]
ずっと此処にいたらそりゃあ…
[気分も滅入るよね、と。
陰を隠せていなかった結城の顔を思い出した。次に会うときは、彼が言った「後で」の時は]
私が暗い顔してなきゃ、いいけど
[一人でいるのに慣れると、どうにも独り言が増える。誰か、誰か。大きな財布から少しだけ小銭入れに移し変えて、水色のがま口を片手に病室を出る]
[近づく足音が、通常のそれとは異なる事に気づいたのは窓を閉めてからだったろう。
足を引き擦り、松葉杖をつき、顔を隠すかのように目深く被った帽子姿の人物を正面に捉え、軽くお辞儀を返した。]
こんにちは、柏木さん。
今日はとても良い天気で、気持ちいいですね。
[こうして歩く事さえ不自由であろう彼へ送る挨拶は、余りにもありきたりなものでしかなかった。
しかも、…先程までは「気持ちいい」には程遠い心境であったのだけれど。]
[結城という内科医。直接治療での関わりはないが、その名前と所属、新米らしいという事、そして簡単な人となりくらいは知っていた。
そもそも、病院内で全く知らない人間というのは、職員でも患者でもそう多くはない]
いい天気。……そうですね、確かに。
こんなに静かだから。
雨ではないとは、思っていましたが。
そうですね。いい天気です。
[結城の言葉で初めて気が付いたというように、閉じられた窓の方を見た。通る声質だがマフラーで些か篭った声で、ぽつりぽつりと]
[風に紛れる歌声に、ふんふんと鼻歌で後を追いながら、老婆の時間はゆっくりと過ぎていく。その間にも皺に紛れるような黒いまなざしは一針一針進む手元に注がれていた。黒い布は形を変え、布を寄せては膨らまし、そうして少しずつ洋装の一部へと変わっていく。]
あんたには、 黒いびろうど の
スカートがいいね
こんな風にも飛ばない 重ぉい スカートさね
あの子の歌は 飛んでいいんだよぉ
そうじゃないとあたしにゃ聞こえなくなっちまうからねぇ
[もう一針、皺を寄せた。波打つ光沢の天鵞絨、海原の輝きとは違う柔らかなきらめきを眼に写し]
――おや。
いつの間にやら、終わっちまってたみたいだ。
[歌声のかけた潮風に耳を傾けた。]
ラウンジ
[廊下を進みやってきたのは、緑と青が一緒に見えるラウンジだった。両方とも好きな色だし、何より此処にいる人の空気も、なんとなく好きだった]
おばあちゃん、元気してた?
[踊るような足取りは椅子の前で止まり、ぼたんの前へと膝を抱えるようにしてしゃがみこんだ]
[此方もまた、全員ではないにしろ入院患者の顔と名前程度であれば、担当でなくとも把握していた。
特に目前の患者は著名人だ。尤も、芸術に疎い己は彼がどんな絵を描いているのかまでは、知らないけれど。
ありきたりな言葉へ返って来た彼の言葉に、軽く首を捻る。
さも今天気に気づいた、というような。興味が無い、とも取れるかもしれない。
これが芸術家なんだなと、妙に感心してしまう。]
……、……深いなあ。
――あ、良かったら中庭に散歩にでも、出てみますか?
僕で良ければ、車椅子でお連れしますよ。
[自分は丁度、休憩時間だ。気分転換にでもなれば、と。
常と変わらず、お節介かもしれない一言を告げてみる。]
おや。 おやおや。
おやまあ。
[軽やかな足取りで現れた女子学生を、そう広くはない視界に入れると、皺の刻まれた顔に一層の皺を寄せて笑んだ。]
奈緒ちゃん。奈緒ちゃんじゃないか。
おかえりよう。
あたしったら てっきり
奈緒ちゃんにゃあもう会えないと思ってたよォ。
[問いかけに直接答えるまでもなく、その顔に浮かんだ笑みは頬にさっと色を走らせて、老人特有の白さはあれど元気であると示していた。]
へへ、おばあちゃんにまた会いたくて
…来ちゃった
[笑顔も、顔色も、悪くない。
元気だと分かれば、それを見る少女の気分も上向いて]
もう会えないはないよぉ
これからは毎日、会えるよ!
[それは見舞いではなく、入院だという言葉。
一見元気そうに見えるのに、少女の身体はそのセーラー服の下にいくつもの傷跡を隠していた。
ほら、今だって。
まくりあがったスカートの裾から、腿に走る縫い跡がうっすらと顔を覗かせている]
……なら。
落とし穴かも、しれませんね。
[独り言のように、直ちに霧散するような淡い言葉を、短く一つだけ落とし]
……
そうですね。もし、宜しければ。
散歩に出てきたつもりでは、ありましたから。
[結城が提案するのを聞くと、少し考えるような間を置いてから、頷いた]
[音羽――オトハの声は、庭だけでなく、建物の中からもよく聞こえてくる。
それはこの病院に来る人を出迎えているようであり、出て行く人を――魂を、祝福するようでもあった]
………
[職員以外に顔見知りと認識されるのは、あまり嬉しいことではなかった。
そして何より、「また」という挨拶が、男は何よりも嫌いだった*]
――え、?
[虚をつくかの言葉に思わず聞き返してしまった。
まさか、かの芸術家がジョークに長けていたとは知らなかった、らしい。
妙な間を挟んでしまったものの、快諾を受けると嬉しそうに微笑んだ。]
良し、じゃあ…、少し待っててくださいね。
[そう残し、手近なナースセンターで車椅子を借りてくる。
――気分転換したかったのは、彼ではない、自分だ。死に満ちた空間から、今は少しでも、逃れていたかった。
カラカラと車椅子を押しながら柏木の横へと付ける。拒絶されなければその手から杖を受け取り、そっと腰を支えて介助を行うだろう。]
あァらあ
こんな干からびた婆さんに会ったってねぇ
[会いたくて、の言葉に、弓なりに細めていた眼はくちゃりと皺の中へ、笑みの中へ沈んでいく。
見舞いに来たのだと思うばかりに生まれた笑みは、次いだ言葉に薄まり]
……あらまぁ。
[今度は皺を寄せ集めた布のような笑みではなく、にこりと曲線を描き出す表情をして]
そうだったの、奈緒ちゃん。
それじゃ毎日奈緒ちゃんの可愛い笑顔が見れちまうってわけだねェ。
婆ちゃん喜びすぎて 長生きしちゃうよ。
――ああ、でも。
そんなサービスぁ、婆ちゃんじゃなくて
かっこいいお兄ちゃんにしてあげなきゃあね
[んふふ、と鼻にかかった笑い声をさせながら、指先に携えた針をふるって捲れたスカートを指す。覗いた縫い痕は年頃の少女が背負うには、その痛ましさが重いよう。]
[食器を下げに来た看護師に頼んで、カーテンは開けたままにしてもらった。冷たい風は窓を鳴らし、遠くに見える海は時折白波を立てる。]
…お母さん、今日はこれないんだって。
[羊の縫いぐるみを抱きしめて、千夏乃は独りごちた。]
[マフラーに覆われた口元は、サングラスに覆われた瞳と共に、その表情を遮り隠す。笑い声が零れる事もなく、男はただ惑った結城に顔を向けていて]
宜しくお願いします。
[それから、ナースセンターに行くその姿を見送った。彼が戻ってくるまでの間、男は黙って窓の外を眺めていた。結城が戻れば手に持った松葉杖を渡し、小柄な身を任せて、車椅子に腰を下ろし]
仕方ないよね。ヒャッカテンは、ハンボウキだもの。
[千夏乃の母親は、都心にある百貨店で働いていて、特にこの時期は大忙し。覚えている限り、クリスマスにも正月にも、母と共に過ごしたことはない。
ハンボウキ、というのはどんな字を書くんだっけ、と、しばし首を傾げる。残念ながら思い出せなかったが、ボウ、というのは忙しい、という字だったような、気がする。]
そのかわり、明後日にはお父さんが、ハルちゃんと一緒に来てくれる、って。
[千夏乃の家族は両親と、ハルカという名の、九つ年下の小さな弟。
父親も平日休日の区別のない美容関係の仕事をしているから、なかなか全員揃って過ごすことはできなかった。慣れているとはいえ、やはり少し寂しいと、千夏乃は思うのであった。
それでも、千夏乃が入院してからは両親が時々平日に休みを揃えて、家族で過ごす時間を作ってくれるようになった。それが、何よりの楽しみだった。]
そうだよ、一緒に長生きしよ!
[ほおづえをついて、にこり、と首を傾げて見せた。けれど、ぼたんにスカートを示されれば、顔をあげ慌てて裾をなでつけた]
や…やだな、おばあちゃん
サービスはおばあちゃんだからだよ…
[へへ、と眉を下げて笑い声をあげる。
立ち上がり、上着の裾も撫で付けながら]
新しい子、作ってるの?
つまんないな、今日は。
[ふわふわの毛の中に、顔をうずめる。
個室の並ぶ東病棟は、しんと静まり返っていて、時々、廊下を歩く見舞い客や看護師たちの足音が響くだけ。]
中庭
[思わず聞き返してしまった言葉への反応は無かったけれど、気に留める事も無く車椅子を借りに出た。
松葉杖を受け取り車椅子に彼を乗せると、ゆっくりと椅子を押しながら廊下の中央を進んでいく。
時折、顔見知りの患者や看護師に声を掛けられ幾許かの言葉を交わした。ありきたりな、挨拶程度に。
通用口から中庭へ、スロープを伝いそっと降りていけば、澄んだ空気と木々のせせらぎ、やわらかな陽光が迎えてくれる。
直接日光に触れるのは、負担が掛かるかもしれない。
木陰まで車椅子を押し、軽く身を屈めて柏木のサングラスを窺った。]
……疲れてませんか?柏木さん。
普段、余り外には出られてませんよね?
[慌てた仕草で居住まいを正す奈緒を、やはりくぐもったような声で笑った。笑うたび、声を発するたび、幾層もの皺の奥から揺れるような、表情はそんな綻び方をした。
孫に対するような口調は、実質、彼女自身がそう思っていたからに他ならない。]
ふふ、うふふ
奈緒ちゃんったら。
[誤魔化すような彼女を揶揄する声音で呟き、話題に合わせてセルロイドの人形を膝上に招く。問いかけには緩やかに首を振った。
関節の自由に動くことのない古びた人形は、るりんとした眼を奈緒にそっと向け]
この子は 一番のお姉さんさ。婆ちゃんみたいに年取った、ちいちゃな女の子さよ。
ずうっと昔から この子を持ってるからねえ。
新しいお召し物用意してあげなきゃ、そろそろ怒り出しそうなんだ。
あたしより後に生まれた子供の方が、ずっと可愛い服を着てる――ってぇ、
この子ったら 最近へそを曲げててねえ。まったく困っちまうよ。
[笑みの名残で震う声のまま、随分長くそばに置いてきた人形の髪を撫でつけた。]
んー…
[誤魔化しから出た真。ぼたんが抱える人形をじい、と見つめた]
そう、だね。女の子はいつでも可愛くいたいしね
[そうっと人形の頭へ手を伸ばす。ぼたんの手に触れないように、髪の先を撫でようと。
もし触れたならば
ぴく、と手が震えたのが、伝わってしまうかもしれない。
家族よりも屈託ない笑みを向ける相手でも、老いは、死は
身近ゆえに少女にとって恐ろしいものだった**]
[すれ違う人々には会釈や短い挨拶を向けながら、廊下を通り、中庭へと運ばれていく。肘掛けに乗せた手は、時折サングラスを押し上げ、マフラーの端を弄り。
目的地に着き、木陰まで来ると、緑と白の色と気配に満ちた周囲を仰ぎ見るように一望し]
……、いえ。
[結城に覗き込まれれば、ふと帽子の鍔を――元々深いそれを――引き下げるようにして]
大丈夫です。
あまり外に出ないのは、元からでしたし。
体力がないのも、元からですが。
……いい天気ですね。
[答えて後、頭上で揺れる葉と枝を見上げ]
(…歌…?)
[一二三は開いた窓から流れ込む歌声に耳を傾ける。誰のものかは分からない。でもどこか心に染みる、優しい歌声であった。]
(…良い…声じゃないか…ふふっ…)
[出歩くことが自由とはいえ、彼女に許された範囲は病院という檻の中のみであった。
直ぐに興味という興味は消費し尽くされてしまう。
変わりのない日々に、しかし緩やかに死に向かいつつある日々に、一二三はうんざりしていた。]
そうだ、お散歩、しようか。
[普段はあまり部屋から出ることもない千夏乃であったが、比較的体調の良い今日、縫いぐるみしか話し相手がいないのではやはり退屈だ。
ベッドから注意深く降りて、厚手のタイツを履き、黒いカーディガンの上から、母からお下がりにもらった茜色のオーバーを羽織った。少し大人っぽく見えるから、千夏乃はこのオーバーがお気に入りだった。
それから、羊を胸に抱いて、そっと病室の扉を開ける。]
見つかったら、おこられちゃうかな。
[口うるさい看護師たちには気づかれないようそっと足音を忍ばせて、千夏乃はエレベータ・ホールへと向かう。
その途中、中庭の方から歌が聞こえたような*気がした*。]
[何気ない所作だった。
背後から彼の顔を覗き込むように窺い見たのは、表情を、というよりも顔色を窺おうとした動作だったかも知れない。
けれど、それを拒絶するようにより目深く鍔を下げる柏木に気づき、自己の失態に気づく。]
ああ、すみません。つい、癖で……、
[眼元や頭部を隠している患者も少なくは無い。それは、病状により見せたくないという理由があるからだと悟っている。
しかも柏木は著名人だ。配慮が欠けていた事を、今更ながらに詫びて]
体力は食事やリハビリでも作れますけど、心の洗濯、っていうのかな……、そういうのって、屋外じゃないと出来ないような気も、するんですよね。
医者の言うセリフじゃ無いですけど、はは。
[視線を交える事無く、そう告げて頭を掻いた。]
[伸ばされた奈緒の手が化学繊維の髪に触れる。
人形の髪を上下に梳るように撫でていた指先が、水分を失い、針だこができ、
そして年月を蓄積してきた指先が、瑞々しい十代の女の子に触れた。]
[おや――。と、声に出さぬまま、皺に埋もれる眼が僅か大きくなった。
条件反射のような、怯えのような、触れるを厭うような若い震えを看過することはなかった。しかし、それを幾重にも刻まれた歳月の中に隠す術を――奈緒が厭うたものによって隠す方法を、老いたからこそ知っていた。]
……そうさねェ。
だから、婆ちゃんも可愛い女の子でいたいのさ。
だから
今度、外出できたら、
くれぇぷ を食べにいこうって、思ってるんだよ。
うふふ。 内緒だよ。
甘いものはやめときなさいって言われちまったからね。
[わざとらしく周囲を見渡す素振りを付け加え
老婆――田中ぼたんは、笑い声を漏らした。それは彼女が思っていた以上に、一音一音のはっきりした*笑声だった*]
いえ、気にしないで下さい。
いいんです。貴方は違いますから。
違う。多分。……、いいんです。
[結城が謝罪するのを聞けば、其方に顔を向ける事はなくも、代わりに緩く頭を横に振って。零した言葉は、半ば独りごちるよう]
心の、……
先生。
[続けられた話に、ふと一際はっきりと呼びかけ]
先生は、人の心は何色だと思いますか?
先生には、怖いものはありますか?
[そう、二つの問いを紡いだ。マフラーの端を摘み、その辺りに視線を落とすようにしながら]
……、……違う、……?
――なに、と……?
[「気にするな」という言葉よりも、「違いますから」という言葉への違和感に、表情を曇らせた。
「違う」という事は、何かと比較されたのだろうけれど、その比較対象が、わからない。
真意を知りたくて思わず腰を屈めた瞬間、今度ははっきりとした意志で紡がれる言葉に、引き寄せられる。]
人の心の、色……、怖い、もの。
[変化球のような問いだった。確かめるように紡ぐ響きは次第に、医師としての自分の声音とは異なり、素の低さが混じってしまっていたかも知れずに]
人のこころは無色透明だって、昔読んだなにかの本に書いてあった気が、しますね。
相対するこころの色を汲み取って、赤になったり、青になったり変化する、という。
怖いもの、は……、うーん、……ありますね。
[後者へは言葉を濁してしまうものの、努めて平静を保った声音にはなったか。かすかに俯いたまま]
[視界の端、お下げ髪の小児科患者の姿を見止めれば、軽く手を振り挨拶するだけの余裕はまだ、存在している。]
……人の心は。
極彩色なんだと、思います。
この世界のように。この世界の言葉のように。
[結城の返答を聞くと、一度頷いてからぽつりと零した。
男には、本来無色なる音も、匂いも、色付いたように感じられる。男には世界は酷く鮮やかに見えていた。今はサングラス越しであれ]
そうですか。……そうですね。
私も、怖いものはあります。
怖いものがあります。どうしようもなく。
それは此処まで来ても、逃げられていないんです。
[もう一つの返答には、両手を肘掛けに戻しながら。詳細を質す事はなく、言葉を重ねた]
このまま足がなくなっても、きっと変わらない。
足には何も関係がない事ですから。
[結城が現れた少女に挨拶をすれば、男もその気配に気付き、其方を向いて会釈をした]
今日は。
303号室
[孝治は窓をみつめていた。景色ではなく、窓を。
そして徐に視線を戻し、一人呟く]
…あと、何日だろうな。
[自分にとっては普通のことだと思っていた。
ただ、…はもう。
自分は駄目なのだろうな、となんとなく思っていた。]
ああ、確かに。
無色でぱっと色がつく、っていうよりも、元々どんな色も持っている、っていう解釈の方が、しっくりきます。
[「世界」「言語」、その喩えは心の奥にストンと降り、彼の言葉に酷く共感できた。と同時に、自分と柏木では、世界の見え方が異なるのかも知れない、とも感じていた。]
柏木さんは画家さんだから、……より美しく、感じ取れるのかもしれませんね。
[色彩感覚豊かな彼にもまた、怖いものが存在する。
追われているイメージを、何処と無く察した。
軽く伏した視線の奥に、柏木の足を映し出す。切断の予定がある事を院内で知らぬ医師は、居ないだろう。
足を失う事が怖いのだろうか、とも一瞬考えたけれど…物理的なもの、ではない、何かに柏木は追われているようだった。]
僕のも、……柏木さんと似たようなものですよ。
……内容を口にしたら、笑われそうですけれど。
どうしたら、……『それ』を、怖いと思わなくなれますかね…?
[彼と自分、全く異なるものに追われているのかもしれないけれど。
ぽつり、抑揚の無い音階で最後の言葉を*呟いた*]
むしろ、逆、ですよ。
私は……私には、世界はとても鮮やかに見えたから。
その世界を、描き表したいと思ったんです。
自分の見る世界を、人に伝えたいと思ったんです。
[感じ取れる、という話には、少しだけ帽子の鍔を上げ、一たび結城の方を見上げるようにしながら]
それが、どれだけ叶っているかは……
別ですが。……
……それでも、切欠はそうだったんです。
[故に男の絵は、世に出る以前から極彩色を基本としたものだった。現在の「共通点」を持つ絵を描くようになったのは、ある時期を境にして後の事だったが]
どうしたら。……どうしたら、いいんでしょうね。
何処まで行ってもそれは追ってくる。
[呟きには、やはり呟きらしく]
……いっそ自分が消えたら?
それの勝利になるのかもしれない。
それでも。いっそ。
……、ああ。
でも、消える事も難しいんです。
そう私にはわかっている。
どうしたら、いいんでしょうね。
[再び鍔を下げ直し、ふ、と、溜息には届かない微かで短い吐息を零した]
消せたなら。
何も問題はないんですがね。
[かさり。
一枚風に吹かれて落ちた緑の葉を*眺め*]
寒いねえ。
[風が少し強い。
千夏乃はオーバーの襟をぴったり合わせて、小さな体をさらに小さくしながら、歩いた。]
"寒いね"と話しかければ"寒いね"と
答えるひとのいる温かさ
[教科書に載っていた歌を思い出す。ぎゅっと抱きしめた羊は柔らかな圧力を返す、が、何も答えてはくれなかった。
もっと小さな頃なら空想で補えていたのに、大人になるとはこういうことなのだろうか、と、小さな哲学者は思う。]
こんにちは。
[手を振る白衣の医師の姿が目に入って、千夏乃は歩み寄りぺこりと頭を下げた。ここで何度か会ったことのある、確か内科だったか、外科だったかの医師だ。
千夏乃が普段検査や診察で訪れるのはもっと長くて難しい名前の部署だったから、彼を病棟で見かけたことは、なかったが。]
…こんにち、は?
[帽子にマフラーにサングラス、といういでたちの男の人には、少したじろぎながら。]
お散歩ですか?
――結城先生。
[ちらりと名札を確認して、その名を呼ぶ。
交わされたのは、きっと他愛もない言葉。彼らと別れた後も、千夏乃は暫くの間中庭を散策するだろう。そして、再びこっそり病室に戻る頃には、目を三角にした師長が待ち受けているのだ。
これがいまの彼女の、*日常*。]
ラウンジ
おばあちゃんは可愛いよ?
私もおばあちゃんみたいに、なれたら……
[止まっていた手で、最後にもう一度人形の髪を撫で、腕をひいた]
クレープ、食べるの大変だけど好きだよ
甘くて、ふわふわで……幸せの味がするよね
お薦めのお店あるから、案内するね
[約束だよ、と少女は笑う。
ぼたんの笑い声に重なるように、目を細めて歯を見せた]
…歌、だな。
[階下の方から、歌が聞こえる。
今日もか、なんとも思うのだけれど、
その声は澄んでいて。]
俺は、ここで…か。
[記憶を思い返してみても、思い出すのは学校よりも病院の記憶。
なんせ1年を連続して学校に行けた試しがない。
小児科の人にはお世話になった。
今もこうやって、お世話になっているし
。]
まあいいや…どっか行くか。
[特に当てもないけど、と呟きつつベットから起き上がる。]
『黒枝様、黒枝奈緒様―………』
[呼び出しのアナウンスが、二人の笑い声に被さった]
……忘れてた、そろそろ検査だった
おばあちゃん、また明日ね!
[ばいばい、と手を振り背を向ける。風に巻かれた葉っぱが一枚、少女の髪に*舞い降りた*]
3階・廊下
[部屋を出て、特に意図もなくただ歩く。
部屋の外出は一応許可されていたので、それが…の日課になっていた。]
とは言ってもなぁ…話す相手が居るわけでもないんだし。
[そう呟いてから、窓の方を向いた長椅子に腰掛けて。
部屋から持って来た本を読み始める。
小説も好きなのだけど、もう読みきってしまったし。
日本のこれからの発電として有力なのは地熱発電でしょう。現在推定されている資源量は2054万キロワットとなっており、世界3位となっています…
]
…こんなこと知っていてもな。
[今までなら読み続けていたのだろうけど。今の…にとってはもう、どうでもいいことだった。
直ぐに本を閉じ、空を窓から仰ぎ見る。**]
3階・廊下
[まるで踊るようなふわふわとした足取りで、廊下を歩く。
途中、すれ違った人には軽い挨拶を交わした。
自分の耳の事を知っている人は手を振るだけで返してくれたり、分かりやすいよう大きく口を開けて短く返事を返してくれたり、そんなちょっとした事が何と無く楽しい。
もちろん返事を返してくれない人も居るけど、だからといって挨拶を止める理由にはならない。
そんな時、椅子に座る少年の姿を見かけ、それまでと同じように声をかけた。]
こんにちは。
今から本を読む所かな?
[視線は閉じられた本へ、そして少年の視線を追いかけるように窓へと移動する。
レンズ越しに、自分の歩いてきた道が遠くに見えた。]
それが、柏木さんの『才能』なんでしょうね。
……羨ましいなあ。
[才能があるから、極彩色に彩られた世界に見える。それはとても特別で、幸福なことに思えた。
尤も、今の柏木が幸福かと言えば……、否、であろう。故にそれは言葉には出さず、此方を見遣るかの様子へ微笑みを送り]
柏木さんの絵、今度見せてください。
僕、芸術センスは無いんですけど……、
[笑み混じりに告げた言葉は、「消える」という単語の前では覇気を失う。圧を込めて車椅子のハンドルを、握った。]
消えたくは、ない、……なあ。
結局、ずっと戦っていくしか、選択肢は無いんでしょうね。
[ひらり、地へと舞い落ちた緑の葉を視界の端へと捉える。
風が強くなってきたか。空のご機嫌を伺うよう、緩く空を仰いで]
[ぬいぐるみを片手に中庭へ訪れた少女の丁寧な挨拶へ、会釈を送る。
最近、何度か見かけた事のある入院患者だ。
ひとりで外へ出歩く事を許可されているとは思えなかったけれど、叱るのは自分の仕事では無い。代わりに、ここに居る間は目を離さずにおこうと判断し]
そうだよ、いい天気だからね。
歌い手さんが居たらもっと良かったけれど。
[天気の良い日には、中庭で歌手の女性が歌を歌っている。生憎、今日はすれちがいになってしまったけれど、残念そうに呟く。
少女が病室に戻ると言えば、「気をつけて」とお決まりの文句と笑顔でその小さな背を*見送った*]
おすすめの店、
約束だよう。
[さして大きくもない、末尾の震えた音で奈緒の背を見送る。
小さく振る手は、背を向けられた後もしばらく続き]
奈緒ちゃんがおばあちゃんになるのは、
……、……。
[さよならと降った手で、人形の髪に触れた]
そうさねェ、
かなり、先の話さ**
3階・談話室
…おこられちゃったね。
[給湯器からマグカップに湯を注いで、冷ましながら窓際の椅子に掛けた。
一人で過ごす時間が増えてから、元々少なくはなかった千夏乃の独り言はますます増えていた。そんな様子を見て、お父さんの若いころにそっくりだ、と、母は笑った。]
あーあ。
[窓枠にかたんと頭をもたれさせて、溜息をつく。]
おかーさんと、おとーさんと、ハルちゃんに。
会いたい、なあ。
才能。……
[羨ましい、との言葉と共に発せられた単語には、ぽつりとそれを復唱し、言葉を継ぎはせず]
ええ。良かったら、いつでも。
部屋には沢山ありますから。
見に来て下さったら、嬉しいです。
[絵を見せて欲しいと言われれば、笑む様子はなくも、快諾する気配で頷き]
戦わなければ。
そうですね。消えないのなら。
消せも消えられもしないのなら……
どうしようもありません。
[ぎし、と、背凭れに体重を押しかける。
少女の惑いは認めど、さして言葉を重ねる事はなく。彼女と結城が話し出せば、その会話を傍らで聞いていて。去る少女を、やはり会釈と共に見送った]
( ああ、もうこんな時間なんだね…)
[いつの間に寝ていたのであろうか、一二三は窓の隙間から流れ込む寒気に目を覚ます。
先の歌声が心地良かったのだろう。またカーテン越しの陽の光もまた眠気を誘ったのだった。]
(ふふ…こうしてうたた寝をするだなんて、随分と久し振りだねぇ…)
[一二三の経営する会社は、所謂中堅どころ…といったものだった。従業員は全部で13名。全員が長く一二三の下で働いている。結婚していない彼女にとって、従業員は家族であり子供であった。]
(…皆、どうしているかねぇ…)
[少年からの返事があろうと無かろうと、彼女は気にせずに再び歩き出す。
もとより返事を期待しての行為ではない。
無意識に鼻歌をうたいながら、誰かに会うたび挨拶を繰り返す。
これが彼女の日課。
ふらりとやって来て、日が落ちてくれば帰ってゆくだけの日々。
当然仕事などしては居ない。
休業中という事になっているが、復帰の予定は今の所存在していない。
そんな娘の様子に親は、気がふれてしまったのだと、嘆き、悲しみ。
今ではすっかりとさじを投げられている。
だというのに、行動を改めないあたり、両親の懸念は事実なのかもしれない。]
ラウンジ
[ラウンジまで来た時、見つけたのは人形を抱いた老女の姿。
小さい頃あんなお人形を持っていたような記憶がある所為か、眼鏡の奥の目元が柔らかくなった。]
こんにちは。
おかげんはいかがですか?
[口元を動かし、笑顔を浮かべる。
もし具合が悪ければ看護師に伝える筈なので、これは質問としては意味が無い。
だから、やはり返事はあってもなくても気にする事無く、また歩き始める。]
[ふと窓の外を見れば、中庭には車椅子の患者とそれを押す医者の姿。
先ほどあちらに居た時は見かけなかった筈だから、入れ違いになったのだろうか。
何と無く立ち止まってじっと視線を向けてしまい。
相手がこちらに気付けば、軽く手を振り。
そうでなければ、やがてまたその場を離れる。
わざわざ中庭まで出てきちんと挨拶をする、という事は無い。
後で会えたらその時でいい。
今日縁が無かったら明日、明日も会えなかったら明後日。
時間はまだまだ、いくらでもあるのだから。]
[柏木の呟きは肯定とも否定ともつかぬ、確認のような響きだったけれど、「ええ」と深く頷いた。自分に無いものを持っている彼に対し「羨ましい」と、そう感じたのは嘘偽りの無い素直な感想で。
病室で描かれているというその絵画に対しても、仄かな興味があった。
「是非に」と、微かな喜色を滲ませる様子へ返答を送る。]
どうしようもない、……か。
[「時が解決してくれるかもしれない」期待を込めてそう告げようかと開いた唇を、引き結ぶ。柏木にとっても自分にとってもそれは、気休めでしかない言葉なのだと感じていた。
持ち上げた視線の先、傾きかけた陽光が空を橙色に染め始める。
今、何時なのだろうと腕時計を確認すると、時計は止まっていた。父の遺品だった。]
…と、すみません。時計止まってました。
そろそろ、戻りましょうか。
[長話に付き合わせてしまった事を詫び、制止されねばそのまま、来た道を辿り柏木を病室へ送り届ける。
引き返す途中、院内の窓辺に佇む女性の姿を見止める。歌い手の女性だ。
ファン、という程でも無いのだけれど、彼女の歌声が好きでCDを入手した事もある。
柏木へ「歌手さんいますよ」と上階を示し、その姿へ手を振った。
部屋にあるという絵画を見せて貰いたかったけれど、診察に戻らねばならない己は「また、顔出しますね」と残し、空の車椅子と共に慌しく*去った*]
[中庭を見た後、アナウンスに呼ばれた少女へ、そうとは知らずすれ違いざまに挨拶をして。
その後も忙しそうなスタッフ、売店へ移動中の患者、見舞い帰りの人、様々な人と会い。
時に筆談をしてもらい、時にこっそり小さな声で歌ったりしながら時間は過ぎて行く。
ぐるりと院内をめぐってしまって再び3階へ戻った時、談話室で退屈そうにしている少女の姿が見えた。
それは小児科にかかる子供たちが良く浮かべている表情だと、彼女は知っていた。
大人にとっての入院と、子供にとっての入院は、その意味合いが異なる事も、知っていた。
だから少女の近くに行き、挨拶と共にこんな言葉を述べる。]
こんにちは。
…お歌はいかが?
小さめの声でないと怒られてしまうけど。
[そして、自分では小声のつもりだったのに怒られる事もしょっちゅうだけど。
とも付け加える。
もし少女が望むのであれば、アヴェマリアでも歌おうか。
それとも、流行の歌の方がいいのか…最近の曲は、聞いていないから分からないけれど。
なんて事を考えながら、微笑んで唇に人差し指を当てた。]
[そんな日常が、これからも続くものだと思っていた。
けれどその日の夕方。
彼女は、病院を出て家へと帰る途中、彼女は人生二回目の交通事故に遭うこととなる。]
や、く、そ、く
ま、た…ね
[階段を下りながら、一段ごとに確認するように呟く。病院だからエレベーターはたくさんあるけれど、"病院の匂い"が篭りそうであんまり好きじゃなかった]
あのお店最後に行ったのいつだっけ…
[堂々と友達と買い食いできるようになったのは高校生になってから。長期休みにしかなかった入院が頻繁になったのも、それくらいだ。
一人で食べるのは、楽しくないから]
おばあちゃんと、約束っ
[とん、と一段飛び越して目的の階にたどり着いた]
今度は りくえすとしたら
歌ってくれるのかね
童謡なんぞォ、あの小っちゃい子たちも交えて歌えたら楽しいだろうにねえ
[人形に語りかけるように 一人ごち]
病院からの帰り・事故現場
(私…今度こそ死んじゃうのかな…)
[痛みらしい痛みは感じていなかった。
ただ、ひどく寒いくて、目を開ける事が出来ない。
ざらざらとノイズのような音が聞こえる。
その正体が人の声なのか、サイレンなのか、あるいは耳が更に壊れてしまっただけなのか、彼女には判別がつかなかった。
自分がどうなってるのかも分からないまま唇を開く。
しかしどうやら息を吸い込むという行為すら、今の彼女には難しいらしかった。]
――… …
[彼女の声は、果たして誰かに聞こえているのか。
それすらも分からぬまま、彼女は途切れながら、途切れながら、口を動かす。
内容は、誰かに助けを呼ぶ為の言葉ではない。
まして遺言などでもない。
それは子供の頃から身体に染み込んでいるもの。
主に捧げる為の聖歌。
神の御許に行く者の為の、鎮魂歌。]
(ああ、せめて…せめて…)
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