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― 海辺の道 ―
……そうそう、そこでストップ。
大人しくしててよ。
動かないでよ ね。
[カメラを構え、そうっと忍び足。
ほんの僅かでも音でも立てれば逃げてしまうとでもいうかのように。
今の所被写体は沈黙を保っている。
―――今のうち。今のうちだ。]
…………あ。
[カシャッ。]
[シャッター音とほぼ時を同じくして、ひゅうと風が駆け抜けた。レンズの先を睨んでいた瞳がぱち、と見開かれる。]
ああ、 ぁ。
[掻き乱された癖っ毛を整えもせず、溜息吐いて肩を落とした。緊張の糸だってもう、切れた。
爽やかな葉擦れの音色や新緑の香りすら、今は少し恨めしい。]
も、毎回毎回。
こんなに言う事聞かない子は、キミが始めてだよ。
[被写体は、何食わぬ顔で風に戦いでいる。
責任を問うべきは風であり、被写体に文句を言うのはお門違いであるのだが。
それよりも何よりも、海辺に続く道の一角で、何の変哲も無い一本の木に話しかけ、指差して怒る自分の方が余程奇異だなどとは未だ思い至らぬのだった。*]
─ 海辺の道 ─
分かったよ。そっちがその気なら、覚悟して頂戴。
ちゃんと撮れるまで通うからね。
[増え始めた通行人が、何とはなしに視線を向けてくる。
学生達の姿も散見される。どれだけ長いこと此処に立ち往生していたのだろう。
出来の悪い弟に説教でもするかのようにじいっと木を見詰めていたが、時間の経過と共に気も紛れるもの。
次に期待をすればいい、と気を取り直したように、写真一枚撮るには多い荷物を肩に掛け直す。]
またね。
[背を向けながらも律儀に挨拶して、顔を上げる。]
[不思議がられるのは慣れっこだった。
もう大人だから、自分が落ち込むようなことはないが、
相手に気まずそうな顔をされるのは少しだけ慌ててしまう。]
うん、大変だね学生さんは。
…制服、可愛いなあ。
あのお嬢様学校のだよね。
[恐らくは初対面であるのに、制服を見詰めてあれこれ言うのも不躾だろうか、と、言葉はそこで途切れる。
ぎこちない笑みを浮べたまま、向こうが動かない以上自分から歩き出すわけにも行かず沈黙が場に降りたが。
接がれた言葉にはっとしたように自分の荷物を見下ろして。]
多いかなあ、やっぱり?
……趣味で写真を撮っているの。あ、でもプロだとかそんなのじゃなくってね。この荷物は全部、その関係。
本当はこんなに持ち歩く必要はないんだけど、ついついね。だから六花のバッグは四次元ポケットだーとか、歩くロッカーだーなんて言われて、それで“ロッカ”なんて呼ばれちゃって―――
[話が妙な方向に飛びつつものんびりと喋りながら、ぽん、と手を打ってショルダーバッグを探る。]
あ、そうそう。
…その、もし良かったらだけど。
わたし、個展を開いているのね。
友達でも誘って見に来て。勿論あなた一人でもいいし…、何なら他の子にあげちゃってもいい。
折角の縁だもの、貰ってくれないかな。
[蒼空と紺碧の海と白い灯台とが四角い写真に収まっている。
この街の者には、すぐそれと分かる場所。
展示開始は、数日後の日付だった。]
…お嬢様にさせたかった、 …?
そう。家庭の方針だったんだ。
あ。う、ううん。謝ることじゃないのよ?
[謝罪されれば首を振る。
彼女の事情は分からない為瞬くばかりだが、素直な様子や写真の説明に見せる表情も何だか微笑ましく、自然と心和む心地がした。
若さと形容したらこの年頃の子は複雑だろうか。しかしそれは自分にとっては好ましいものだ。懐かしいとも言える。]
……ありがとう。
[写真を見つめる様子を、少し緊張した面持ちで見詰めていた。
少女から漏れた感想に、ほうっと人知れず息を吐く。
街の灯台、海。大好きな場所を認められたようで。他者と共有出来たかのようで。]
うん、うれしいな。
感想が聞けたら、きっともっと嬉しい。
[明るい礼に、釣られて表情綻ばせる。
それから、はたと我に返った。]
――と、これ以上引き止めたら悪いよね。
ごめんなさい、急に話しかけたりして。
[自分は休日だから良いが、彼女は帰り道だったのだ。
図らずも時間を貰ってしまったことに小さく謝罪を示した。]
わたしは六花。楠見六花。
[むつか。と、紛らわしいと揶揄される名を遅れて名乗る。
場を辞去する素振を見せれば、うん、と軽く頷いてそれ以上引き止めはしない。]
礼儀正しいんだ。…こちらこそ、だよ。
またね。菊子ちゃん。
[道辿る背を見送った。]
…うん。 またちょっとやる気出てきたかも。
木には振られちゃったから、別の所で撮ろう。
[次は何処にカメラを向けようか、考えながら歩き出す。
良い事があった為だろう。その足取りは往路よりも軽やかだ。]
あと2,3枚は追加しておきたい なあ―――
[丁度その時、背後の木が絶好のシャッターチャンスを迎えていたのだが。
再び風が凪いだことすら、残念ながら*気付かぬまま*]
─ 海辺の道 ─
あらら、大分乱れちゃったかな。風めー。
日向子さんに整えて貰ったばかりなんだぞ。
……個展前に、またお願いしないと。
きちんとしてない、ってまた注意されちゃうものね。
[風で広がった収まりの悪い髪を指先に巻きつけ直しながら、緩やかな足取りで向かうのは、海の方角。
潮の香りに誘われるよう、気の向くまま足の向くまま。]
いーい被写体に会えるといいんだけど。
[歩きがてらキクコとの出会いを思い出せば、ついほわほわと微笑浮べてしまう。
田舎の空気残した長閑な街並み、気の良い人々。
この街が好きだ。此処に住む人が好きだ。]
[そして]
って、あれ?
[いちど、にど、と瞬く。
街の施設で何処が好きかと問われれば、一、二に挙げるのは海辺に慎ましく建つ白亜の灯台であるのだが。
その灯台が、薄ぼんやりと揺蕩って見えた。
輝く白でなく、まるで建て直される前の色。薄灰色に揺らいでいる。]
なんだろ。
目ー悪くなっちゃった? もしかして老眼? な、訳 ない――
[自分で自分に突っ込みを入れ。
こすこすと目を擦って、恐々目を開ける。]
………え
[目の錯覚だったのだろうか。
白亜の灯台は見慣れた姿でそこに在った。]
― 海辺の道 ―
[暫しその場所に立ち惚けたまま、不可思議な現象に首を傾けていたが。]
…ま、いっか。
もしかしたら、温かくなってきたからかも知れない し。
[細かいことは気にしないことにする。
変わり者が世を渡ってゆくにはその位が丁度良いのだ。]
チカノちゃん。
今日は、海で遊ぶには良い日――?
[聞き慣れた声に顔綻ばせ、同じように片手を振る。
やや間延びしたのんびりとした声は、彼女にもまた馴染みがあるものだろう。]
ふふ、実はね。少し見蕩れてた。
[砂に足を取られぬよう近付きながら、チカノに言う。]
それは僥倖。
木の方は、風に邪魔されちゃったのよ。
[神妙な表情を作って頷くが、直ぐに表情は解ける。自分の言葉を海に向けたものと解釈したチカノに、首を緩く振る。]
…見蕩れたのは、チカノちゃんにだってば。
何て言うのかなー、こう、絵になる感じ。
波間に遊ぶ姿に…華があるなあって ね。
[ぴ、と両手で長方形を作る仕草。絶好の被写体が此処に居るとでも言う風に。そして少し残念そうに。
カメラを人に向けなくなったのは、何時からだっただろう。]
休憩時間だったのかな。
午後は、これからオープンなんでしょう? 今夜も開けるのよね?
[話題切り替えて問うのは、勿論チカノの定食屋のこと。]
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