[女が一人。生垣をぬって現れる]
[背筋をしゃんと伸ばして、バラの花ひとつひとつを話し掛けるように覗き込んでいる]
[やがて人影を認めると]
あら……変ね。
[訝しげな表情を作って呟くも、何が「変」なのか思い出せなかった。それが自分事ながらおかしくて、思わずくすりと笑みをこぼすと]
こんばんは、よい夜ですね。
[声をかけて歩み寄った]
ここは…どこ?
[いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。目を覚ますと東屋の椅子にもたれていた]
変なところで寝ちゃって誰かに運ばれたのかな…。
やだなぁ、みっともない…。
[起き上がって辺りを見回すと、東屋の外には見知らぬ庭園が広がっている。生垣には大小のバラが咲き誇っていて]
綺麗……ママが良く話していたっけ。
まだ誰かが手入れしていてくれたのね。
[東屋を出るとバラの生垣に近寄り顔を寄せる。豊かな香りが夜気に立ち込める]
[そうして歩いているうちに、この庭園を自分の庭のように感じ始めた。はじめて訪れる場所であるにも関わらず、自分がどこを目指して歩いているのかはっきりと知っていた]
急がなくっちゃ。夜は短いですもの。
[バラの咲き方を満足げに検分しながら歩いていくと、生垣の向こうに人の気配を感じる]
パパ……?
[思わずこぼれた呟きに自分で驚く。親を「パパ」などと呼ぶことは到底あの厳格な父が許さないだろう。それにこの庭園には父が来よう筈もない]
[ちりちりと何かが意識に引っかかったが、気にしても仕方がないと頭を振ると人影に声をかけて歩み寄った]
[無精髭を顎一面に散らした男と可愛らしいボンネットを被った金髪の少女が楽しげに話しこんでいる]
[...の常識で言えば奇妙極まりない取り合わせに足を止めていると少女がくるりと向きを変えて歩き去る。見送った男が寝転んだ拍子に低い垣を押しつぶしたのを見て、小さい悲鳴をあげる]
ちょっとあなた。
そう、そこの髭のあなたよ。
[憤然と言い放つと、つかつかと歩み寄った]
[にやついた笑みで返されて憮然としながら男が先ほどまで寝そべっていた辺りを指差した]
あなたが今押し潰していたものが何か知っていて?
可哀相にやっと咲いたのにみんな潰れてしまったわ。
美しいまま…
[思いがけない男の言葉に二の句を失った。が、やがて平静を取り戻すと怒気を抜かれていることに気付いて]
はぁ、もう良いです。
[微かに苦笑しながら男を押しのけるように垣に向かってしゃがみ込むと潰れた花を拾い集めてバスケットに入れていく。男の言葉には]
確かにうちの庭ですけれど。
あなた雇い主の家の娘のことも知らなかったのですか?
[ヤトイヌシ?と不思議そうな顔で尋ね返されて]
あら……ごめんなさい。
私てっきり新しい庭師なのかと勘違いしてしまって。
[申し訳なさそうに詫びると、男が首筋を拭うのに気がついて]
どうかなさいました?
刺が刺さったのなら消毒しないと。
[大丈夫、と言われてほっとすると気の緩みから]
うちはお父様もお母様も庭にはあまり興味がないの。
庭師もそれを知っていて、目を離すとそれは酷いものなの…。
[我ながら愚痴っぽい、そう思っていると男は腰を上げる。立ち上がり際の男の呟きを聞き漏らして]
あの…いえ、なんでもありません。
[聞き返そうとしたが言いあぐねてそのまま男が立ち去るのを見送った]