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朝
お疲れ様でした
[頭を下げ、先を行く同僚を見送った。
昨日も人が死んだ。
死は日常茶飯事だが、自殺、というのは……
首を振り、また名簿を閉じる。目を逸らした野木が閉じた、リストの最後に並ぶ名前は、
[学生 ナオ]と――]
けども……、ふふ、婆ちゃん、邪魔しちまったねェ……
よかったらお菓子、あげようね。
頭使ってばかりだと疲れちまうしィ
二人とも
お話ありがとうね。また会えたらお話しとくれ。
[広げた菓子を指しながら、老婆は残りの菓子が入った袋を手に取り、立ち上がる。]
えっと、ゴトウさん。
はい、昨日、お友達になりました。
[一瞬名前が出てこなかったのは、ちょっとしたアクシデントだ。問題ない。千夏乃はもともと、名前と顔を一致させるのが苦手なのだ。]
今日はおとうさんと弟が来るんです。
ほんとうは、昨日おかあさんが来るはずだったんだけど、急にお仕事になっちゃったから…。でもしょうがないんです。ヒャッカテンは、ハンボウキなんです。
[昨日の朝の寂しさを思い出して、少しだけしょんぼりして]
夜
[敷地内で飛び降りた柏木はすぐに発見されただろう。もしかしたら医師を呼び出す緊急アナウンスが流れたかもしれない。
そして末期癌の患者が息を引き取るのも、穏やかな死は、それこそ病院中に溢れている。
けれどそれも、日常のひとつだった]
…あ、おばあちゃんに挨拶行かなきゃ
[結局昨日は会えなかった。手術を明後日に控えた少女は、ぼんやりとしか心に浮かばない家族のそれよりも、ぼたんの笑顔が見たいと――
ベッドの中で、小さく微笑んだ*]
夜
[その夜、院内は慌しさに包まれていた。
末期がんで入院中だった平家の容態が急変したからだ。己はそれとは異なる、担当患者の容態の悪化処置に追われていた。
平家と柏木急逝の一報を耳にしたのは、夜も幾分深まってからの事だった。平家に関しては肺がんの末期ということもあり、誰しもがそう長くはないと思考していたかもしれずに。
けれど柏木の、院内での自殺は大きな波紋を呼んだ事だろう。1度目の負傷が自殺未遂の末であった事を知るものが、幾人いた事か。
己もまた、情報に取り残されていたひとりであった。]
……え?柏木さんですか?
夕方会いましたよ、五階の廊下で――
[五階廊下からの投身自殺、ほぼ即死。恐らくは別病院にて検死が行われている事だろう]
うそ、だ……、
[事実を聞いてもなお、それを受け入れる事は叶わず頬が歪みを帯びた]
うそ、だ……、明日、散歩に行く、って、
空の綺麗な日なら、『大丈夫だ』、って……、
[死が、足音をたてずにしのび寄る。
己の周囲を、取り囲んでいく。
がたがたと肩口を震わせ、両手で頭を抱えて
リノリウムの床に膝を、ついた。]
うそだうそだうそだ嘘だ、うそ、だ……、
いやだ、柏木さんは死んでない、ああああ……っ、
死にたく、ない……!!!
[蒼白した顔を床へと向け、叫び声を上げる。
付近にいた看護師が悲鳴を上げた。
激しくかぶりを振った所為で、診察台の角に額をぶつけ、瞼が薄く裂けた。
視界が赤く染まる。灰色だった景色が鮮やかな、赤に染まる]
うわあああぁぁああああ―――…!!
[発狂寸前だった。他の医師に押さえつけられ、鎮静剤を投与される。
人知れず病室に寝かされ、朝までの刻を一度も目覚める事無く、眠りに*就いた*]
午後の話
[屋上に行くと決めた彼女は、そのまま、行動に移した。喫煙スポットにも成りえるそこで望むのは喫煙ではなく、そこから中庭を見下ろすことだった。
手にした緑茶をすすり、売店で買い求めた菓子袋の中から煎餅を取り出し、噛んだ。]
死んじまったんだってねェ……あの歌い手さんよう。
ニュースでね、やってたんだァ
――ここに来たら、聞こえっかなあ
って思ったけど、駄目だァね。
やっぱり、駄目だァね。
[煎餅に噛み跡は付かなかった。老婆はひどく落ち着いた素振りでもう一度、緑茶に口をつけた。]
[ふと、彼女は顔を上げた。
もう失われたはずの歌が、聞こえたような感覚がして辺りを見渡す。だんだんと染められていく空は深みを増して、そろそろ真っ赤に太陽が風景を焼き尽くす時間が訪れようとしていた。音の出どころは見つからず、気のせいか、と思う前に。鈍い音が、歌の名残を打ち消して鼓膜を揺らした。]
……――、なァんの、音かねェ……
いやァな音だあ……嫌ァな…… 音だァねェ
[人形をその胸にしかと抱いた。老婆の顔は、常ならば笑み皺が縁取っている老婆の顔は、その皺こそが不安を表しているかのように、老婆の感じている不吉さを前面に押し出した。その不吉さを彼女が尊重し、身を乗り出していなければ、それはまた彼女に別の道を示したことだろう。けれど彼女はそうしなかった。音の出どころを探し、左右を探り、そして、屋上から見下ろした。]
[老婆の見た光景は、極々一部であった。何かを防ぐ目的で屋上に備えられていたものが、彼女に全貌を見せるを妨げた。それでも、先ほどの潰れる音と合わせて何が起きたか知るには十分だった。十分すぎた。]
[ 田中老人はよろめき、後ずさった。
自身の手で、人形で、顔を隠すように。真っ赤に焼き尽くすものを見、目がつぶれてしまうを防ぐ様に顔を覆った。]
おお……おォ……
違うよう、あたし、あたしァ見てないよう
何も見ない 見なかったんだァよ
大丈夫さ 何も何も………なんにもなかった……見てないよぉ
帰らなきゃ――帰らなきゃァ……どこに?
おうちに帰んないと。おっとさんに叱られる……帰らなきゃ……。
[震える体で地を這うように菓子袋をひっつかむと田中老人は足を叱咤して駆け出した。
そこで見たことを、目を潰すような鮮やかな色のことを、彼女は同室の誰にも、看護士にも言わず寝台の中で丸くなった。]
午前 ラウンジ
[彼女は食堂へ行かなかった。
菓子袋に入れたものから適当につまみ、そうして彼女は朝食は済ませたと言い張った。菓子袋に手を入れた時、四角い小包装のチョコレートに触れて、老婆は人形と一緒にその胸に抱き、それからもう一度、大事そうに袋の中に戻した。
そうして朝の食事の時間をやり過ごすと、食事についてこれ以上看護士に怒られないようにと病室を抜け、いつもの彼女の定位置へと向かったのだった**]
せいしゅん…?
[きょとんとした顔で、千夏乃は首を傾げてみせる。]
うん。ゴトウさんは、きっともてるね。
[屈託のない笑顔を見せて、]
朝:とある病室
[震えた瞼を緩慢に開いて、強制的な眠りから目覚めた。
病室の白い天井。窓からは陽光が差している。
ゆっくりと上肢を起き上がらせて、次に見たのは自分の着衣だった。]
―――…、……ですよね。
[入院着を着せられている。つまり、緊急入院させられたのだろう。
医者の不養生を実践してしまった。皮肉そうに頬を引き攣らせ、起き上がり衣服を着替え、切れた瞼上に貼られた絆創膏を剥がす。
柏木さんを追い詰めたのは、―――…
過ぎる思考を其処へと残し、医局へと向かった。]
[医局に戻ると、昨日現場にいた先輩医師に深く謝罪した。
『良く眠れたか』との問いに二つ返事を返す。
念の為と簡単に診察もと言われたが、それは丁寧に遠慮した。
壊れたものを治せないもの は
壊れるまで 壊れたものに尽くすだけ
職務や使命などという綺麗なものの為ではない、ただ流れるままに――職務へ戻った]
午前:無菌室前
[幾つかの回診を終え、無菌室前へ辿り着く。
殺菌室で殺菌を追え、マスクを着用した。]
鎌田さん、鎌田、小春さん。
入るよ。
[扉前から声を掛け反応を待つ。
医師の背後には鎌田担当の看護師もついていた。]
[そうして、また幾らか他愛もない話をして、時間を過ごす。夕方に近づくに連れて気もそぞろになる千夏乃。ぼんやりしたり、急に話し始めたり。
そして]
『チカノちゃん、お父さんきたよ』
[千夏乃は駆け出して*いった*。]
―夕方―
[バレーボール部のみんながお見舞いに来てくれた。]
わあ、みんなありがとう!
[代表で一人が殺菌室を通ってから入ってきて、
皆の寄せ書き入りバレーボールを手渡してきた。]
ありがとう!頑張る!
[私はエースだ。ここで倒れている訳にはいかない。
みんなで全国大会を優勝するんだ!]
→翌日へ
―朝―
[今日は朝から調子が良くない。
このままずっと眠っていたいけど。]
はい…。
[検診の先生がいらっしゃったので返事をして身体を起き上がらせる。]
えーと…何先生、でしたっけ。
[もしかしたら以前に聞いたかもしれないけど、忘れてしまったか思い出せないか。或いは知らないか。]
昼・3階、談話室
[やがて、お婆さんが戻ると言い、立ち上がると]
さむくなってきたから気をつけてね、おばあちゃん。
お菓子、ありがとう。
[千夏乃も立ち上がって、廊下まで見送った。]
[か細く伝う反応を耳に、隔離された病室の扉を開く。
看護師と共に室内へ入り、患者の横たわる寝台へと近づいた。]
おはよう。
僕は結城と言います。今日は僕が診させて貰うね。
[恐らく常と同じように微笑んだ筈だけれど、笑みをみせることは無く。
けれど怒っているようにも見えないだろう、無表情のままに彼女の頬へと触れ、口腔から診ていこうと。
鎌田の顔色は余り、良くないように見えた。]
どうかな、身体の調子は。
303号室
...何か、だるい。
[先程迄は気丈に振舞っていたのだが、何となく体調が良くない気がして。
...は取り敢えず自分の部屋に帰って来た。
そうこうしているうちに段々眩暈がして来て。]
うっ...ちょっと待てよ...
[自分の中の何かに引きずりこまれるように意識を失った。
最後に、何とかナースコールを押して。
その体勢のまま。]
[結城、と言う名前の先生のようだ。見た感じそこそこ若そうだ。
身体の調子を聞かれて、手で軽く×印を作った。]
うー
[とりあえず、結城のされるがままにしている事にした。]
[喉を確認し、聴診器を取り出し手早く心音を確認。
『良くない』らしき事を仕草で知る。矢張り、余り芳しくは無いようだ。
最後に脈拍を測ってから、傍らの椅子を引き寄せ腰を下ろす]
何処か痛かったりするかな…?
それとも、……そうだな、何か悩み、とか。
[後者の質問は病気の進行、恐らくそれが目下の不安であろうと予測の上であったけれど。話す事で気が紛れるかもしれない、と。
ふと、視界の端に珍しいものを見つけ、其方に気を惹かれる。
寄せ書きのされたバレーボール、飾られているのならそれを、暫し見つめて]
[今日は手術の前準備がありますからね、と看護師が生真面目な表情で説明をする。初めてではないから、半ば聞き流して、病室を出て行く看護師を見送った]
麻酔の先生と、あと…
…痛いなあ
[今朝の点滴は、巧くいかず鈍い痛みが腕全体に広がっている。それでも空き時間に、今日やっておかなければならないことは沢山ある。少女は病室を出て、エレベーターに向かった]
翌日昼・303号室
...っ。
[目が覚める。
...周りをみると変わっておらず、何だ大丈夫か、なんて最初は思っていたけれど。
壁に掛けてあったカレンダーの日付が変わっていることに気がついて、驚きを隠せない。
状態は確実に悪くなっていっている。
第一、この症状が顕現し始めてからここまで生きていることが奇跡と言っても過言ではないらしい。
それを知っているからこそ。
そしてついに自分もそれに直面しようとしているからこそ。
...怖いと感じた。
口角を吊り上げようとしてみるも、全くできそうにない。]
[エレベーターの扉が開く。
一歩踏み出して、右へ曲がって。顔を上げると、廊下の奥に窓がある。そこからは遠く空が見えて、夕方になると日が差し込んできて、夕方暇になると1階ずつ降りていって夕日を追いかけたりしたものだった。
そんなことに夢中だった、もう10年くらい前のこと、だけれど]
…あれ?
[窓の前にバリケード、というとおおげさだろうか。近寄れないように柵が設けられていた]
[診察も終わって、椅子に座る結城を見つめる。
痛みは、悩みは、と聞かれて首を振って。]
どこも痛くもないし、別に悩んでもないんです。
ただ、調子が悪くて…。
[自分でも上手く説明出来ない。どうしても、何か足りないような。
悩んでいるウチに、結城の視線がバレーボールに向かう。
ベッドの横に置いてあるそれは、バレーボール部全員が私の為を思って応援の言葉を書いてくれたものだ。]
あ、これは、部活のみんなが私の為にって。
[少し遠くを見ながら、無表情で呟いた。**]
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