[こんがりトーストされたホットサンドに噛り付こうとした最悪のタイミングで、携帯の着信音が鳴った。
発信者はおれの地元の女友達……というか、ご近所さんである。]
……もしもし。フユキだけど。
[思わず辺りを見回し、肩を丸めるようにする。
長引くようなら外に出るべきか、まさか食い逃げと間違われやしないだろう……迷いながら、声を潜めた。
あ、あたしあたし。メール打とうとしたら面倒臭くなってさあ、と悪びれずに彼女は言った。丸聞こえじゃないかと冷や冷やするような大音量だ。おれは少し耳を離す。
『そうそう、それで。
今頃、ユイゴン?書きつけ?が見つかったってわけ』]
遺言? じいちゃんの?
[じいちゃん、とは、おれの祖父ではなく彼女の祖父である。亡くなったのは半年前だが、往年100歳を超えていたというから大往生だ。
おれは所謂"鍵っ子"というやつで、学校から帰ってよく相手をしてもらった。
盆栽から鉢植えまでまめに作る植物好きの爺さんは、随分よく気にかけてくれた。その一因には、女孫が花よりも虫を好むようなお転婆でちっとも花に興味を持たなかったせいもあるのではないかとおれは睨んでいる。
じいちゃんのことで電話しました、またメールします、と彼女から留守電が入っていたのが昨日のこと。]
『そう。フユちゃんに譲るものがあるって』
[いくらこっちが年下だって、いい歳してフユちゃんはないだろう、とはもう何度も言っているのだが、一向に聞き入れられる気配はない。
『あ、言っとくけど、たぶん金目の物じゃないと思う、
だから期待はしないで来なよ』]
金目の物って……泥棒じゃあるまいし。
[なんだろう。心当たりはない。
だがそれより目下の問題は、おれはホットサンドがまだ熱いうちにありつけるか、だ。]
ふうん、でも、そうか。
……そんなら、正月は帰るかな。
[『え、なに。フユちゃん、帰ってこないつもりだったの。
フユちゃんの帰省楽しみにしてるのに。
特に手土産の芋羊羹を』
彼女はそのあと、それより聞いてよお、と続けた。
駄目だ、これは愚痴で電話が長引くパターンだ。
おれは、あつあつのホットサンドを諦めて、すいません、と席を立った。]
[すっかり冷えてしまった。
出るわ出るわ、職場の上司の人間性の話から、新製品のカップめんがまずい話まで。夕方から仕事なんだよ、とやっとで電話を切るころには、豪快な笑い声(うふふ、より、がはは、に近いやつだ)も聞こえていたから、機嫌はよくなったのだろう。彼女のことは決して嫌いではないが、幼少期の年齢の上下の壁は厚く、どうも未だに立場が弱い。]
さてと……今度こそ、いただきます。
[ようやくホットサンド(すでにホットではない)にありつこうと座りかけたところで、足元に何かが落ちているのに気がついた。]
消しゴム……
[塾で生徒たちが使っているような見慣れた品だ。
周囲を見回せば、勉強中の女子学生を見つけた。
おや、謎かけ少女、と思い、立ち上がる。]
これ、落とした?
[視界に入るよう、斜め前から机の上に置いてみる。
それから、好奇心とナンパ扱いの危険との狭間でしばらく迷い……好奇心が勝った。]
クリスマスって、本当は何の日……なんです、かね?
[いきなりで不躾なんだけれども、と付け足して。
答えが得られれば(得られなくとも)引き留められねば退散するつもりである。若者の勉学の邪魔をしてはいけないし、ホットサンドが待っている。**]
[予想以上の詳しい解説に、思わず聞き入る。]
へえ、お祭り。道理で盛り上がるわけですね。
向こうの事情は知らないが今だって、
冠婚葬祭の八割方は、当人以外のためだもんなあ。
いい歳をして、偉そうに他人に教えていても、
知らないことや教わることばっかりだ。
[なんだか可笑しくて、小さく笑った。
ただ、おしまいの口ぶりが気になって、クリスマスが嫌いなのか尋ねてみようかと思ったが、やめた。ある種の好悪の感情はごくプライベートなものだ。初対面の人間が一時の暇潰しの種にしようとするものじゃない。
代わりに、ありがとう、おかげですっきりした気持ちで出勤できる、と礼を伝えた。]
[自分の席に戻りがてら、ふと思う。
まだおれは彼女を「謎かけ少女」と内心で呼んでいる。
だが、まあ、それでいいのだろう。この店に来ればまた会うかもしれないし、もう二度と会わないかもしれない。]
祭といえば…… ……あ。
[祭の光景、居並ぶ屋台、朝顔の鉢。
きっと西欧の楽しいお祭りとやらとは全然違っていて、人々の賑わいだけは似ている地元の祭。昔、じいちゃんとした約束を、思い出せそうな気がした。]