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明るいうちに寝ちゃうと後が大変だもん
[肩に触れた手を、まだ目覚めきっていない瞳でぼんやりと見て呟き、慌てたように一歩後ろに下がった。
扉の前まで来ていたから、ベッドに足がぶつかることもなく]
あ、えぇと…
座ったほうがいい?
[軽く診察されるのか、と窺うように見上げた]
[回診が終われば、カーテンの開け放たれた窓の向こうを見やった。中庭は反対側。そこからの音は、きっとあまり届かない]
オトハ…さん、今日も来るかな?
[結城も確か好きだったはず。世間話のひとつみたいに軽く、口に出した]
そりゃごもっとも、だ。
昨日はどう、よく眠れたかな?
[そっと寝台へ導き、自分はその前へと立つ。
手許のファイルの内容を確認した。ざっと目で追うが、朝の検温等では別段変化は見受けられなかった、かもしれない。]
うん、そうだね。
どうかな、体調は。
[簡単な診察を行うだけなので、緊張しないように会話を続ける。
黒枝が寝台に腰を下ろせば、指先を頬へと滑らせ顎をほんの少し上向かせて喉奥を確認しようと。
心音や脈拍を測り終える頃、何気なく呟いた彼女のひとことに、ぴく、と動きが停止した]
―――…、……。
[無垢な瞳を、凝視する。
伝えるべきか、否かを計算していた。少なくともオトハに何かがあった事は、伝わってしまうか。]
なに …どうしたの、先生?
[とくん、と努めて平静を保っていた鼓動が大きく跳ねた気がした。嫌な予感がする。嫌な、空気が
穏やかだった朝の病室を一瞬にして塗り替えてしまった]
オトハさん、どうかしたの?
[視線を逸らすように伏せられた睫毛は僅かに震え、問いが終わると同時に持ち上げられ
偽りを許さない、というように結城の瞳をひたと見据える]
[追われている。あれらが、追ってくる。追ってくる。追ってくるそれらから、自分はひたすらに逃げる。逃げても、逃げても、距離は変わらず、それらは消えず]
……っ、……
…… あ、
[飛び起きた男の顔には、薄らと汗が滲んでいた。サイドテーブルのサングラスを取ってかけ、深呼吸をして、ようやく落ち着きを得る。
肩に届くか届かないか程度の白髪混じりの髪を指で梳き]
[身体が凍りついたように動かない。
残像が、フラッシュバックのように視界で跳ねた。
これまで目の当たりにしてきたいくつもの死が、その冷たさが背後から迫ってくるようで]
……オトハさんは、……
オトハさんは、亡くなったよ、昨日。
[無垢な瞳の前で、上手に嘘をつくなんて出来なかった。真実を告げる事で彼女を傷付けることになると、解ってはいたけれど。
責められているような錯覚を覚えてしまい、斜め下方へと緩く視線を落とした姿で、簡潔に告げる]
―――――…そ、っか
[なんで、とか。どうして、とか。
ぽつりぽつりと胸にはてなは浮かんできたけれど、結城の表情から予想していたことだったから。驚きはなかった。
昨日は元気だった。
けれど――死はいつだって突然だ。
そしてもう、終わったことなのだ]
……先生、ありがと
教えてくれて
[逸らされた視線に、薄く微笑む。パジャマのボタンを閉じて、ゆっくりと立ち上がった]
なんでもないよ、って言われたら
もしかして、って嫌な予感だけ続いちゃうもの
はっきり、教えてくれたほうが私はずっと嬉しい
………もう歌が聞けないのは、悲しいね
[話しながら戸棚を開け、桃色のがま口を金庫から取り出した。そろそろ、朝食の時間だったし、気を落としている結城に、何を言えばいいのかわからなかった。笑顔を向け続けられる自信もなかったから]
また、楽しいこと …あればいいのに
昨日のおねえさん、歌、上手だったね。
[ふと、口ずさむのをやめて羊に話しかける。
昨日、この場で出会った不思議な歌い手。いつも中庭で歌っていた人物だ。直接に会ったのは、はじめてだったように思う。
彼女が歌ったのはアヴェ・マリア、聖母マリアへの祈り。どこか物悲しい響きの歌。]
『罪人なるわれらのために』
『今も臨終の時も祈り給え』
『アーメン』
[その詞を、少女はまだ、知らない。]
[静止した時を動かしたのは自分ではなく、まだあどけなさの残る黒枝の方だった。立ち上がる気配を感じて視線を持ち上げると、彼女は微笑んでいた。
静寂に響くその言葉は、一瞬でも真実を詰まらせた相手を気遣う内容だった。]
うん、すてきな声、だった。
黒枝さんは、……しっかりしてるね。
[部屋を出る支度を横目に、己もカルテを閉じた。
高校生に気を使われてしまうなんて情けないけれど、その心遣いが今は、ありがたかった。]
あるさ、……早く学校に戻れるように、がんばろうね。
[彼女を含む患者達を救う事が、自分の使命だ。
気持ちを切り替え、笑みを浮かべて病室を出た。
その微笑はかすかに、歪んでしまっていたかもしれないけれど。]
[──歌が聞こえる…
あの、澄んだ美しい歌だ…]
誰が歌っているんだろうね…センセイなら知ってるかね。
[一二三は内科医の顔を頭に浮かべる。まだ若い、しかし十分に腕はたつ]
→ラウンジ
[603号室を出て看護師への引継ぎを終えると、ちょうど休憩時刻になっていた。
外に出向く気力もなく、カップの珈琲を買ってラウンジへ。
誰も居ないラウンジは、何処か侘しかった。
窓辺の席で、ぼんやりと海の方向を見つめ時を過ごしている]
……うん
[頑張る、には、どうしたらいいかわからないけれど。
結城の優しさはわかるから、頷いた。うん、がんばろう、がんばりたい。そんな想いを込めて。
一人になった病室。窓を開け、青からは目を逸らし空を仰いだ。冬の空はどこか白っぽく]
…うん、うん
[白い頬に赤みが差すまで、暫く佇んでいた]
中庭
――ぃっくしゅ、
[日の上りきる前の中庭は、寒かった。
力の抜けかけた右手からは半ばほど、人形がずりおちかけていたが、その金髪を地面に投げ出すことにはならずに済んだ。]
あらやァだ、……うとうとしちゃったのねェ
寒いってのに……、もう、……
年取っちまうとどこでも寝れるようになるのかね
もしかして、朝ごはんの時間じゃない、かしらん
ぐるってまわりながら帰ろうかいな
[ベンチをたつと病院の周りを大きく回るように歩くつもりであった。
老婆の歩みは遅い。右足にはもう、ボルトなんてものは入っていなかったが、一度目の入院のきっかけになったそれは、彼女の歩行をわずかに阻害するに十分だった。それでも彼女は、その歩みの遅さに焦ることはなく、ゆっくりと歩いていく。]
――……おんやァ……
あの窓ぉ、誰か、……
[>>26彼女は視界も狭く、視力も悪くなっていた。ふと見上げたその先、窓の向こう側に色のついたものが見えた気がして足を止める。
五階分を見上げるとなれば首への負担も大きく、そうそう長くは見上げ続けることは出来ないけれど――]
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