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夢
[今夜、夢を見た。
休憩室で、『おふくろさん』を聴きながら。
隣に腰掛けた少女の言葉に、静かに頷く。
『子供は、いいねぇ…』
「はは、アンタさんだって子供だろうが」
「そうだな、…俺ちの孫とはどうやって遊んでやりゃあ喜ぶかねェ」
「娘達が若い頃は、片栗の花を観に行ったりしたよ」
「紫色の小さな花が、群生している場所があるんだ」
「春の花だ。アンタさんはすきかい?」
「すきならきっと、孫にも喜んで貰えるかもなァ…」]
[若いお嬢さんと、病院の休憩室で語り合う夢だ。
目覚めた時に不思議な気持ちになったのは
そのお嬢さんと、何処かで逢った気がするのに
それが誰なのか、
はっきり思い出せなかったからだろう。]
……これも、縁てやつかねェ
[既に日課となりつつある母の見舞いに
今日も、出掛ける]
病院・ロビー
[見上げた先には、抜けるような青空があった。
燦々と降り注ぐ陽光が、青空をより際立たせる。
雪も随分と溶けたことだろう]
ああ…、清々しい朝だァな……、
[青空を見ていると、生きる気力が湧いてくる。
外で深呼吸してから、病院を訪れた。]
[今日も、母の病室へと歩を進める。
けれど501号室の名札は外されていた。
ナースステーションへ声を掛けると
母は昨夜、意識レベルが著しく低下し
集中治療室に移動になった、という事だった。
医療器具の音色が微かに響くその部屋を訪れる。
眠ったように瞼を閉ざした母――]
母ちゃん、……かァか、……、
[声を掛けても、頬を擦っても、
母は目を開けることは、なかった]
[暫くそうして、何もできずに母の傍に佇む。
集中治療室には、妹がやってきた。
顔を合わせるのは十数年ぶりの事だった。
妹は銀行家の元へ嫁ぎ、
男が金の無心に訪れても「二度と来るな」と
一蹴するほどの気の強さを持ち合わせていた。
『アンタみたいな貧乏人が兄貴だなんて
恥ずかしい』
これが、彼女の捨て台詞だった]
[だから、何を話していいものか悩んだ挙句、
『かァか、死んだように寝てるぞ』
そう巫山戯たら、見る間に彼女の顔が怒気に染まった]
『母さんはまだ死んでないわよ!!』
『そんなことばかり言ってるから
奥さんや子ども達に逃げられるのよ!!』
[ヒステリックに叫んで、泣き始めた妹を
看護師が宥めていた]
ああ、そうだな、そうだなァ
…俺ちは阿呆だからなァ
[数年前なら、彼女へ食って掛かっていただろう。
けれど自分にはもう、そんな気力はなかった。
集中治療室を後に、足はふらりと階下の中庭を目指す]
中庭
[途中、休憩室で見掛けた
子ども用の色鉛筆とスケッチブックを借りて
絵を描くことにした。
油絵の道具はとうに売っぱらってしまって
今では家にも、100円均一で買った
スケッチブックと鉛筆くらいしか無いのだ。
悲しい気持ちから逃避する為、白い画面に描くのは
病院の中庭の光景。
正面の見事な櫻の木、今は葉もなく寂しいけれど
そこには、薄桃色の花弁を咲かせた樹を描いた]
[これならば、あの若い先生が
彼女に見せる写真の代わりに、なるかもしれないと。
桃色の樹の下には、車椅子の女性と語り合う
スーツ姿の男性を描いた。
目で見た光景ではない。
其処にそうして佇んでいたら
絵になるだろうとの演出だった。]
――あの若先生、名前なんつったけなァ…?
[完成した絵を渡そうと思ったが
相手の名前を聞いていなかった。
そのうち逢えるだろうと、次の絵に取り掛かる。
同じ中庭、今度は雪の夜の光景だ。
樹の横には大きなゆきだるまを描き
その横に、ゆきうさぎを嬉しそうに両手で抱える
ルリちゃんを描いた。
そして、それを穏やかに見つめる――品のある女性。
老女を描く心算が、何故か若い女性になってしまい。
空には、藍色の空に黄色の鉛筆でオリオン座を描く。
何処か、暖かな絵になったものだと、自画自賛した。]
[筆が温まってきたように感じられた。
実際には筆ではなく、色鉛筆なのだけれど。
こうして、何かを描くのも久し振りだった。
描いてみたい、と感じる光景に出会うことも。
緩く天空を仰ぎ見る。
青空を背後に聳える病院の、屋上の柵が見えた]
『かみさま』
[そう話していた、煙草を吸うお嬢さんを思い出し――
空へ向かい、薄煙を吐き出す横顔と、『かみさま』を描いてみる。
『かみさま』の姿に思案して、結果形になったのは
白い髭と白い巻き毛の、赤い服を着た老人で]
クリスマス、だもんなァ…
[サンタクロースに酷似した『かみさま』は
煙草を嗜むお嬢さんへ、空から穏やかに微笑んでいる。]
[スケッチブックは、更に新たな線を綴る。
穏やかな、母の笑顔。
貧しさも、不安も、病の痛みも
その全てから解放されて、ただ嬉しそうに微笑む
母の笑顔を描き出す。
頬の皺も、一際下がった眦も
染みの浮かぶ肌も、その全てが彼女の生きた証。
自分と、兄と、妹と弟。
次の世代を健気に守り、慈しんで育ててくれた
偉大な存在を紙へと記す]
――母ちゃん…、
[その声音は音と為す前に、白い呼気となり
大気へ、溶けた]
[スケッチブックに描く色。
最後に描いたのは、四人の娘達と女房の絵だった。
幾度となく繰り返してしまった暴力と
一向に改善されぬ貧しさに痺れを切らし
男が目を離した隙に500キロ離れた土地へと
逃げてしまった娘達と妻。
まだ十代だった娘達が、友人全てを切れる筈はなく
友人ひとりひとりを訪ね歩いて、移転先へ迎えに行った。
今度こそ、心を入れ替え仕事に励むと。
暴力は一切奮わないと。
土下座し、二度戻って来させたけれど
慣れてしまえば常と変わらぬ生活に、
娘達は完全に男を見捨てた。
妻の居場所は、煙のように消息を掴めなくなってしまっていた]
[やがて、移転先でそれぞれ結婚し、
地盤を固めていく娘達に、幾度となく金をせびった。
妻の居場所を探ろうと、電話口にまだ小さな孫を出させ
「ばあちゃんはどこに住んでいるかなァ」
とカマをかけた。
「ばあちゃん?えっとね…」と語ろうとした孫から
娘が電話を取り上げ
『旦那の方のばあちゃんの事だから!』と
慌てふためいていたのも、記憶に新しい。
そんな自分の所為なのか、妹と同じように
『こんな父親は居なかった』ことにしたかったのか
娘達とも、連絡が取れなくなっていく]
[描き上げた娘達の姿は
彼等が居なくなってから、網膜に焼き付けんとばかりに
幾度も幾度も眺めた、家族旅行の際の写真の構図。
それぞれが華やかにお洒落をし、
豪奢な温泉旅館の前で撮ったもの。
もう、戻れないと知るが故
決して忘れることの出来ない一枚だった。
男は、絵の横に文字をしたためる]
[それを、誰かに計られる心算なく
自分で、自分を卑下する心算もない。
今はただ、そう――
カタクリの花が見たい、と
ただ、それだけを感じて
絵をしたためたスケッチブックを
休憩室にそっと*戻した*]
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