[塊のようだった噴煙はやがて形を変え、
午後の風に流されて降灰の予兆を伝える。
広い坂道を降りてきた作家は、
眼鏡を一度はずして確かめる。
――まだ、灰らしき埃はついていない。]
[下る坂道の先には ゆらり 陽炎が立つ。
眼鏡は外したまま、視界はぼやけたまま。
バス停のほうから歩いてきた若者が、
途中の道を南に向かって折れていく。]
そういえば、あちらにも
確か宿泊施設があったか。
[――裸眼で見る幻視。
瞬いて、作家は眼鏡をかけ直す。
旅先の不思議は、儘に受け容れるものだ。
足元に濃く落ちる影は、僅かに伸び始めていた*。]
[六月燈の祭りを明日に控えた神社の社務所。
口下手な作家の取材は、こころよく応じてくれる
ひとびとの陽気さに大いに助けられながらの其れ。
婦人会による灯籠貼りの様子を見学しながら、
手元の大学ノートに絶えず熱心にペンを走らせる。
文豪の回顧録ほどに人生の重みは乗らずとも、
綴る言葉は自身で濾したものであれと 常に。]
[糊を乗せた刷毛を手にするご婦人がたは、
ふと顔を見合わせあうと、誰からともなく
さらさらと竹やぶの葉擦れのように笑って
――作家へひとつ、うわさ話を聞かせた。]
"思い出屋"、ですか……?
[ ――がたたん ごととん―― ]
[いくらかの時間をかけて取材をしたあとに
いくつかの旧跡を巡った作家は、市電に乗った。
芝を植えた軌道敷はTVで見たような覚えがある。
ふたつ先の電停まで、僅か数百mのちいさな旅。
このくらい歩けと咎める知り合いもいない土地。
信号待ちで自転車に追い越されてはまた進む。
物思う作家の横顔照らす陽は、やがて夕刻のいろ。]
[ ――がたたん *ごととん*―― ]
[かっ こう。かっ こう。
歩行者信号が青になる。電停から歩道へ。
緩く歩を出す作家は、先刻を思い起こす。
――『 あれって本当なんですか? 』
灯籠貼りのご婦人がたのなか、語尾を上げる
そのひとは作家の目には少し垢抜けて見えた。]
[口々に呈されるうわさ話を
ひとしきり聴きおえたあと、
作家がそのひとへ言ったのはこうだ。]
――『 本当かどうか…
確かめてしまうのは、
野暮なたぐいのお話かもしれませんね。』
[そのひとは作家の目には少し垢抜けて見えた。
言い換えると、
野暮をするようには見えなかった。
問うた『本当』は口下手な取材者への
ささいな助け舟だったかもしれないが、]