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――ラウンジ――
[緑の隙間から海を覗き見ることのできるラウンジが、そこにはあった。
潮風は木々の隙間を通り、ガラスに吹き付ける。硝子戸を開けばその風を一身に受けることはできたが、ラウンジの椅子に座る老婆はすっかり腰を落ち着けていた。病棟にて割り振られた部屋よりもよほど居心地がいいか、彼女は鼻歌交じりに古びた指で持つ針を遊ばせていた。]
ン、ン――…… あぁおい、 目をした
おにんぎょ は、
[節をつけて動かす針の脇にあるセルロイド人形は、さして青くもない目をじっとガラス向こうに投げていた。
老婆の気まぐれな歌は途切れ、同じ個所を繰り返し、行き着く先も見当たらない轍の中で円を描く。
ふと潮風以外に鼓膜に触れる声を聴き、老婆は手を止めた。黒い布に縫い止まった針をそのままに、陽光反射する海へ目を細め]
きっと、
ウミを見過ぎちゃったからだぁねえ**
[風に紛れる歌声に、ふんふんと鼻歌で後を追いながら、老婆の時間はゆっくりと過ぎていく。その間にも皺に紛れるような黒いまなざしは一針一針進む手元に注がれていた。黒い布は形を変え、布を寄せては膨らまし、そうして少しずつ洋装の一部へと変わっていく。]
あんたには、 黒いびろうど の
スカートがいいね
こんな風にも飛ばない 重ぉい スカートさね
あの子の歌は 飛んでいいんだよぉ
そうじゃないとあたしにゃ聞こえなくなっちまうからねぇ
[もう一針、皺を寄せた。波打つ光沢の天鵞絨、海原の輝きとは違う柔らかなきらめきを眼に写し]
――おや。
いつの間にやら、終わっちまってたみたいだ。
[歌声のかけた潮風に耳を傾けた。]
おや。 おやおや。
おやまあ。
[軽やかな足取りで現れた女子学生を、そう広くはない視界に入れると、皺の刻まれた顔に一層の皺を寄せて笑んだ。]
奈緒ちゃん。奈緒ちゃんじゃないか。
おかえりよう。
あたしったら てっきり
奈緒ちゃんにゃあもう会えないと思ってたよォ。
[問いかけに直接答えるまでもなく、その顔に浮かんだ笑みは頬にさっと色を走らせて、老人特有の白さはあれど元気であると示していた。]
あァらあ
こんな干からびた婆さんに会ったってねぇ
[会いたくて、の言葉に、弓なりに細めていた眼はくちゃりと皺の中へ、笑みの中へ沈んでいく。
見舞いに来たのだと思うばかりに生まれた笑みは、次いだ言葉に薄まり]
……あらまぁ。
[今度は皺を寄せ集めた布のような笑みではなく、にこりと曲線を描き出す表情をして]
そうだったの、奈緒ちゃん。
それじゃ毎日奈緒ちゃんの可愛い笑顔が見れちまうってわけだねェ。
婆ちゃん喜びすぎて 長生きしちゃうよ。
――ああ、でも。
そんなサービスぁ、婆ちゃんじゃなくて
かっこいいお兄ちゃんにしてあげなきゃあね
[んふふ、と鼻にかかった笑い声をさせながら、指先に携えた針をふるって捲れたスカートを指す。覗いた縫い痕は年頃の少女が背負うには、その痛ましさが重いよう。]
[慌てた仕草で居住まいを正す奈緒を、やはりくぐもったような声で笑った。笑うたび、声を発するたび、幾層もの皺の奥から揺れるような、表情はそんな綻び方をした。
孫に対するような口調は、実質、彼女自身がそう思っていたからに他ならない。]
ふふ、うふふ
奈緒ちゃんったら。
[誤魔化すような彼女を揶揄する声音で呟き、話題に合わせてセルロイドの人形を膝上に招く。問いかけには緩やかに首を振った。
関節の自由に動くことのない古びた人形は、るりんとした眼を奈緒にそっと向け]
この子は 一番のお姉さんさ。婆ちゃんみたいに年取った、ちいちゃな女の子さよ。
ずうっと昔から この子を持ってるからねえ。
新しいお召し物用意してあげなきゃ、そろそろ怒り出しそうなんだ。
あたしより後に生まれた子供の方が、ずっと可愛い服を着てる――ってぇ、
この子ったら 最近へそを曲げててねえ。まったく困っちまうよ。
[笑みの名残で震う声のまま、随分長くそばに置いてきた人形の髪を撫でつけた。]
[伸ばされた奈緒の手が化学繊維の髪に触れる。
人形の髪を上下に梳るように撫でていた指先が、水分を失い、針だこができ、
そして年月を蓄積してきた指先が、瑞々しい十代の女の子に触れた。]
[おや――。と、声に出さぬまま、皺に埋もれる眼が僅か大きくなった。
条件反射のような、怯えのような、触れるを厭うような若い震えを看過することはなかった。しかし、それを幾重にも刻まれた歳月の中に隠す術を――奈緒が厭うたものによって隠す方法を、老いたからこそ知っていた。]
……そうさねェ。
だから、婆ちゃんも可愛い女の子でいたいのさ。
だから
今度、外出できたら、
くれぇぷ を食べにいこうって、思ってるんだよ。
うふふ。 内緒だよ。
甘いものはやめときなさいって言われちまったからね。
[わざとらしく周囲を見渡す素振りを付け加え
老婆――田中ぼたんは、笑い声を漏らした。それは彼女が思っていた以上に、一音一音のはっきりした*笑声だった*]
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