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[老婆の娘と近い年齢――のようにも、老婆には思えたが、彼女は長いこと娘にも孫にもあっていなかった。いくつほどであったかも、遠い記憶の中、笑い声のこだまする家族風景で途切れてしまっているから、彼女の中には何一つ娘の現在を想像できるものは無く。幾度か声を交わしたことのある相手の、蓮向かいに腰を下ろす。]
ああやっと着いた。
一日、一日、なんだか食堂が遠くなっていく気がしますよ
[皺に紛れてしまうように眼を細くさせて、朝の挨拶を向けた**]
おいしかったねェ
[箸を降ろした老婆の食器には、まだ食事が残っていた。
眉を下げ、職員に明日からもっと減らしてくれなどと声を掛けながら食堂を辞する。
知った顔があれば皺に塗れた顔をくしゃりと歪ませて、そうして挨拶しながら出て行った。]
五階 廊下
さァて。
あの窓ォは、どおこの、部屋かね。
[金髪の人形を携え、一歩、一歩と歩いていく。
時折部屋をのぞきこみ、そこに見知った顔があれば皺を深めて話しかけた。老婆にとっては、この病院内ですべてが終わっていた。彼女を見舞う人間はいなかった。家族と呼べた相手は、はやばやと次の世界へ旅立った。娘も、孫も義息子も、彼女の入院以来一度たりとも訪れたことはない。だからこそ、彼女は病院内にいる人間に向けて笑いかけた。]
あっ……ちょいと すいませんけども。
[廊下を歩んでくる看護師に、声を掛ける。
金髪の人形を持つ手が忙しなく、上から下へと梳いた。]
あたし、このお部屋の人のお見舞いしたいンです
そのォ……いいでしょうか、ねェ
何分あたし、こんなお部屋ァ初めてで……
いえね、外から見上げた時に、
はて……あの子ァ誰だろうな、見たことがないぞって思っちまいましてねェ
なんだかね、サミシイんじゃないだろかって勝手に、えェ勝手に考えちまって。
いやねあたしだったらァ、そうだろうなって思ったんですよぅ。
で、どうでしょう看護師さん。
勝手にお見舞いしていいもんでしょうか。
[その看護師の言葉を待つように、
小さな黒い眼がうろちょろ、壁越しの病室へと投げかけられた**]
「はい、お見舞い良いですよ。」
はァ、ありがとうねえ。
[看護士が部屋の中に尋ねる間も、廊下では老婆がずっと、金髪を撫で続けていた。
ようやっと帰ってきた声に安堵したような吐息を交えながら返答した。]
じゃァ、――……失礼しますよう。
五階 病室
[そこで目にしたのは、老婆にとってはそれこそTVですらも見たことのない内装だった。
簡単な説明を受け、窓越しの対話を選んだ彼女は、すぐに話し口に向かわずに
窓の向こうの女の子へと笑みを向けた]
あらァ、やっぱり見たことない子だ。
こんにちはァ、お邪魔しますよ。
[皺を深め、その波に眼まで埋めてしまうのかという具合に老婆は笑んでみせる。そこには初対面だから、などといった躊躇もなく、長らく合わなかった親類に対してのような、そんな気さくさが皺のうちからにじんでいる]
そうそ、 初めましてねェ。
あたしゃァ……田中ぼたんって名前なんだけどねェ、
ただの婆さんで十分だよ。
小春ちゃんってェ、いうのかい。
奈緒ちゃんと同じくらい、の年じゃないかな。
小春ちゃんは高校生?
[話し口の前に据えられていた椅子に億劫そうに腰を下ろしたけれど、
その顔面を彩るのは間違いなく喜色だった。
円らな瞳は窓越しの、楽しそうにも見える女学生の顔を観察し、満足げに一人頷いた。
――それでも、そのニット帽にどことなく病気の影を見出しては小さな瞳に影を映した。
にこりと弓を描いた細目から掬い取れるかは知らないけれど。]
[人形へ向けられた褒め言葉に、ただにっこりと笑みを深めて
セルロイド人形を赤子のようにゆすりあげる。]
ああ、この子はあたしンなのさ。
笑っちゃヤだよ、婆ちゃんになっても病院が怖くて
そいで、連れてきちまったの。
[けらりと笑いだしそうな程声を震わせ。]
バレーってあれかい。
ひょいって飛んで、バシっと球ァ打つやつかい。
[言葉のとおり手真似して、飛んできたボールを打つような仕草を見せる。
切れのない緩慢な動きを見せてから緩く首をかしげ、それから得心したように]
はぁあ、嬢ちゃんは かンなり、元気な子だったんだねェ……
ぴょんって高ぁく飛ぶんだろうねェ。
あァ実ぁね、この子ァ、あたしの爺さんが
初めてくれたもんでねェ。ついつい何処にでも持ってっちゃうのさ。
[そういいながら部屋の中を見渡す。
老婆にとっての人形のようなものは、一見しただけでは部屋の中にないような気がして]
小春ちゃんは、お人形よりも
もしかしたらバレーボールかねえ。
このお部屋から出れたらよ、
病院の、同じくらいの年ごろの子とバレーしてみたら
楽しいリハビリかもねえ。
このお部屋からじゃア見えないかもしンないけど、
病院の中庭ならァ、できるし――……
よく歌い手さんがねぇ、そこで 歌ってるのさ
行ってみるといいよう。
ンフフフ
婆ちゃんは長いことここに居るからね
なんでも知ってンのさ――
[面会の終わりを告げられ、腰を浮かす。
抱きかかえたままの人形の、きしきしとした金髪が垂れ下がった。]
もう こんな時間かい
悪かったねェ長居しちまって。
こんな萎びれたババアで良かったら、
また来るよォ
今度ァ、出来りゃあ同じくらいの年の子も
連れてくるよ
[その表情に思わず付け足された言葉。
老婆の黒い眼は弓なりに細められたまま、ゆっくりと言葉を紡いで病室を後にする。]
病室
[その場を去った老人の姿は、割り当てられた病室に向かった。
寝台に腰掛け足をさする。下から上、上から下、見様見真似の手つきで繰り返し。
脇に置いた金髪のセルロイド。
横たえようが、その眼を閉じることはない。]
孫……ねえ、あの子ァ
今幾つだろうねェ
大きくなっちまったら、もう、
お人形はいらないだろうねェ
[足のだるさを訴えて、昼飯は病室で食べたいと声をかけた。
その声音は看護士に対するものというよりか、少し甘えたような声音だった。]
[それから、老婆は眠った。
長らく歩いたからだろうか、エレベーターを使わない という無駄な努力を、鎌田小春に会った後に試みたせいだろうか。とにかく老人は昼飯を食べた後に昏々と眠り、その際もセルロイド人形を離さなかった。
目をつむり、眼さえも顔に刻まれた皺のような風体をしながら、その胸に抱いた人形は決して目をつむらず、真白の天井をずっと見つめていた。]
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