情報 プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 エピローグ 終了
[それは立て続けに起こった不幸な出来事だった。
長期入院患者だった後藤の容態が悪化し、院内に慌しさが駆け抜けた。
その後、早朝から始まった黒枝の手術も――失敗に終わる。
己はそれらとは異なる急患の処置に追われ、一足先に仮眠室で睡眠薬に頼る眠りへ誘われていたところだった。
数年振りに、夢を見た。
それはとても、幸福な夢、だった―――…**]
[夢に最初に現れたのは、父と母だった。
大学合格を心から喜んでいた父は、家族三人での食事会の途中で、薄らと涙を溜めていた。
『どうしたの?』と聞くと『酒のせいだ』と言っていた。
母もまた、そんな夫と息子を、目を赤くして見つめていた。
二人目は平家だった。桜の木の下、散りゆく桃色の花弁を纏うまま、凛とした立ち姿で煙草を楽しむ姿だった。
三人目は後藤だった。大人びた眼差しで珈琲に関する知識を話していた。
四人目は黒枝だった。明るい表情が一変し、哀しい眼差しでこちらを見ていた。
五人目は音羽だった。澄んだ声で歌を歌っていた。
六人目の顔が、誰なのかわからない。
線の細い、消え入りそうな声音でただひとこと、]
[薬の副作用に依る気怠さに引かれるように、その朝目覚めた。
とても幸福な夢の最後に、妙に現実に引き戻される夢、を見た気がした。
その後、支度を終えて医局へ向かい、後藤と黒枝の訃報を聞く。軽い眩暈を覚える。
また、何もできなかった、と――
死はゆっくりと、けれど確実に己の足許へ忍び寄っている。]
はは、ははは……、
[笑い声を上げても、笑みは歪みを増すばかりで。
ふと脳裏へ、夢に見た言葉が甦る。]
『笑うな』
[柏木が恐れていたものを、知りたかった。
否、知るべきだと思いながら、彼を思い出す事を意図的に伏していたのかもしれない。
それは何故か。]
――僕が、殺したも同然、……だからだ。
[ぽつりと呟き、5階へと向かった**]
[五階に辿り付き、柏木の部屋にまだ絵は残されているのかと看護師に尋ねる。どうやらまだ遺族が遺品の引き取りに来ないらしく、施錠したままだという事だった。
柏木の絵を、もう一度観たかった。看護師に頼み込んで鍵を借りる。
主の居ないその部屋の扉を開くと、あの時と寸分変わらぬ絵の具の香が、鼻腔を擽った。]
[そして数々の絵も、以前訪れた時と変わらず室内に残されていた。
否、絵自体は以前と異なり、筆が足されていたようだった。
人のかたちが、消されている。
確か以前は、口角の上がった唇だけが其処に描かれていた気がした。
『笑うな』
ふと、夢の中に出てきた言葉が、過ぎる。]
……柏木さん、は…、これに、殺された……、
いや、……これを殺しに行った、のかもな……
[漠然と、そう感じる。その真意は解らないし、不安定だった精神状態に皹を入れてしまったのは自分かもしれない、という気持ちが消えた訳ではなかったけれど。]
[部屋中に貼られた絵のひとつひとつを見つめる。
処分せず逝ったということは、誰かに観て欲しかったのだろう、とも思った。
絵以外の日用品は余り無かったから、サイドテーブルに残されたハンカチと、その上の腕時計だけがやけに目について]
―――…っ、……なんで、ここ、に……、
[その腕時計は、間違いなく父の遺品――自分が屋上から投げ捨てたものだ。
割れた硝子板や文字板を、細かく修復し、破片の抜けた部分に色が足されていた。
こんな直し方が出来るのは、絵を描く人物、だろう。
横に添えられたメモを摘み上げる。
『――「誰か」に渡して下さい――』
持ち主が解らず、柏木が修理したという事か。
柏木が中庭へひとり向かい、拾ったとは考え難かった。]
[修復された腕時計を壊れぬよう、けれど強く、握り締める。
時計はしっかりと、時を刻んでいる。
壊れたものは治らない、治せない……、
投げやりだった自分を、恥じた。]
――ありが、とう……、
[拾ってくれた、人に。
直してくれた、柏木に。
俯いたままの頬に、一筋の涙が伝い*零れた*]
[メモと腕時計を白衣のポケットへそっとしまい、涙が乾く頃部屋を後にした。
塞いでいる暇なんて、なかった筈だ。
5階の廊下。奥手には無菌室が存在する。
先日、”バレーボールが出来なくなるかも”と告げた後、表情を失った少女の事を思い出した。
彼女がそこまで部活動に心血を注いでいたとは露知らず、出来なくなった後も別の趣味を見つけてくれれば、という独りよがりな思考を露呈し、そのままになっていた。
あの子は、どうしているだろう。
思い立ち、無菌室へ足を運んだ。]
無菌室
[病室の外側に付けられた小窓から、無菌室の中をそっと覗く。
鎌田の姿はそこには無く、扉を開いて中へと一歩、踏み出した。
室内へ視線を巡らせると、先日置いてあった筈のバレーボールが、無い。
考え過ぎだろうか……、過ぎる嫌な予感が、あった。
丁度5階だったからかもしれない。
咄嗟に思い至ったのは屋上だった。
外に出たとすれば、一望し捜索も叶う場所でもある。
看護師に声を掛けるでもなく、屋上へと足早に向かった**]
夕刻:屋上
[荒い呼吸を繰り返しながら屋上へと辿り着く。
傾き掛けた太陽が、やけに大きく空を染める。
屋上の端から端まで目を凝らすものの、そこに鎌田の姿は無かった。
半ば呆然とよろけながら、中庭寄りの柵へ身を預けて階下へ視線を巡らせると、ボールを抱いた少女の姿が確かに見えた。]
――…さん、……鎌田さん!
戻りなさい、……外になんて出たら、 …………ッ!!
[免疫力が著しく低下している筈だった。特に、少しでもつまづいて怪我でもしては命に関わる、と……、伝えようとした言葉は若しかすると、更に彼女を追い詰めるだけになってしまうかもしれなかった。
けれど、それを考慮するだけの余裕も、今の自分には存在しなかった。
冷たい柵を握り締め、聞こえるかすら解らぬ言葉をただ、叫ぶ]
情報 プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 エピローグ 終了