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[314号室には医師や看護師が集まっていた。医療機器を運ぶ技師達の不思議そうな視線をよそに、母親らしき人物へと近づく。先程、擦れ違った人物だった。]
沢渡、さん……
[寝台に横たわる沢渡の頬には血の気が感じられず、まるで精巧な人形のようにも思えた。
胸の奥に、ちり、と痛みが走る。]
沢渡千夏乃さんの、お母さんですか…?
もし、良かったら……、この人形を、……彼女に託しても、良いでしょうか…、
[努めて平静を装うも、息切れて掠れた声音で女性にそう*告げた*]
[病室の入り口近くで、近づいてきた医師に目を留める。
先刻の若い医師だと気がついて、ゆっくりと会釈をした。]
ああ、先程の…。
はい、千夏乃の母です。
[初めて会う医師だったので、娘の名を呼ばれてすこし、驚いた。どこかで関わりがあったのだろう。
差し出された人形には、不思議そうな顔をして]
人形、ですか…?
[古いタイプのプラスチックの人形。子供の頃、こんな人形を持っていた記憶がある。]
[沢渡の傍に佇む母親へ、浅く会釈を返す。
驚いた様子は尤もだった。横たわる沢渡を一度、見つめる。
そういえば彼女も、いつも同じぬいぐるみを抱き『弟の次に大切だ』と言っていたのを、思い出した。]
この人形……、奇跡的に、……戻って来たんです。
沢渡さんならきっと、大切に、してくれると思いまして。
……元気になるように、…願掛け、染みたものですが。
[さらり、金色の人形が零れ落ちる。
そっとそれを母親へ差し出した。]
……きせ、き。
[その意味はよく解らなかったが、元気になるように、という言葉の意味は、理解できた。そして今の彼女にはそれを反芻する余裕は、なく。]
ありがとう、ございます…。
[ほとんど反射的に人形を受け取って礼を述べ。]
[反芻される『奇跡』の言葉。
奇跡に頼る他無い現状を課せられた少女の運命が、余りにも酷だった。
母親へ人形を手渡すと、これで良かったのだ、と安堵する心が存在した。
母親が少女の傍に人形を置いてくれたなら、酷く穏やかな表情でその光景を見つめただろう。
人は死んだら、そこで生涯を閉じる。
霊魂になって生者を見守ったり、天国へ向かう、という思想は持ち合わせていなかった。
けれど、せめて。
この病院で起こったすべての死に誘われた者達が、残されたこの少女が淋しくなければ良い、と。]
『柏木先生、急患です。応援をお願いします。』
[不意に背後から耳打ちされ、我に戻る。]
申し訳ありません、――僕は、これで。
[沢渡の母へ会釈し、一階へと*戻っていった*]
[そうしてまた、不安げに娘の方に向かう。
最後に話をしたのはいつだっけ、何と言って、別れたのだっけ。記憶を探る。努めて明るく、普段通りに。娘を不安にさせないように。
ああ、そうだ。退院したらどこに行きたい?なんて、そんな話をしていた。]
『今年は海に行けなかったし、また、みんなで海に行きたいなあ』
[千夏乃はそう言って、「 」いた。
そんな小さな望みが叶わないなんて。そんなことがあるはず、ない。]
[やがて夫も病室に駆けつけ、時を同じくして千夏乃を乗せた寝台は数人の看護師たちによって運ばれていく。沢渡夫妻は声を失ったまま、その後を追い。
それが、かろうじて生きている娘を見た、最後になった。]
おかあさんは…?おかあさんや、おとうさんや、ハルちゃんは、いっしょじゃだめなの?どうしてわたしひとりなの?
『どうしても、だよ。チカノ。
誰でも、いつかはそうやって旅に出るんだ。
あの男の子も、お婆さんも、そうやって旅に出た。
きみには、ほかの人よりほんの少し早く、そのときが来ただけ』
ゴトウさんと、おばあちゃん?
一緒じゃだめなの?やだ、みんな一緒がいいよう…。
『泣かないで、泣かないでチカノ。
ぼくが見送ってあげるから。ね?』
やだ…。みんなにはもう、会えないの?
わたしのこと、忘れてしまうの…?
『わすれない。わすれないよ、チカノ。大丈夫』
ほんと…?
『大丈夫だから。ね?ほら、あの桜の下を通って。
海へ向かうんだ。…わかるよね?』
……うん、
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