…………
アンちゃん?
[扉の向こうと、さっきまでもう一人がいたはずの空間に交互に視線を投げる。]
[どうしてアンの顔は、あんな低いところにあるのだろう。]
……………………。
[扉脇の釦のあれこれを、震える指で押すのだが、鋼鉄の函の動きは何ら変わりはなく**。]
[かしましかったエレベーター内が、
見えた光景に しん と静まり返った。
黄色い錘だかテントだかとともに
居座るつもりらしいチカノの脇腹を
もういちどくすぐる構えをしていた
両手から力が抜け…ゆるりと降りる。]
[今しがたまで同じ空間に居たはずの
アンが漏らしたのと同じ驚愕が口をつく。]
えっ。
[扉が閉まる間際、アンの唇は
まだなにか動いていたようだったが――]
[それが『ま、まゆげコアラ。』なる呟きとは
驚きのあまり思考にとどまる余地もなかった。
ナオがコンソールをむなしく操作する音を
耳にしながら、手足が冷えてくるのを感じた**]
とうっ
[思わず、少女は黄色い錘だかテントだかをアンの"それ"に向かって投げつける。幸か不幸か、それは目標をはずれてエレベータの外に重い音を残して転がった。少女は一目散に逃げようとする。逃げようとして、逆に一歩下がる。]
追い出されたら…ああなるということか?
[二歩、三歩と後ずさり、サヨにぶつかる。
はた迷惑にも、狭いエレベータの中で絶叫する少女だった。
まゆげコアラ。私にはそれが気になったが……。]
な…なんだ。サヨか。
驚かせないでくれまいか。
[見開いた目もそのままに、おそるおそる振り返ってサヨを見る。
わざとらしく汗を拭う真似をしてみせて、そこにべったりと濡れた感触を覚えた。まじまじと手の甲を見つめてから、ため息をひとつ。もういちどサヨを見た。]
…いや。違う。
サヨの悪戯にしては、趣味が悪い。
[そう呟いて、少女は別の誰かを捜すように視線を泳がせる。
とは言えチカノの趣味が基準では……私も、ため息をひとつ。]
[柔い電子音にはっとして、チカノに再度荷物を降ろすよう提案しようかと思案する間に扉は開く。
……――――――みえたものは。]
……、………?
[操作を無視して閉じる空間。
"ソレ"がなんなのか、認識したのは数拍の間を置いて。]
[呼吸は長くも浅く、みたものを認識しながらも脳は拒否して。]
――ねぇ、
アンちゃん、どこ?
[つい今し方まで、扉が開くその時までいたはずの人は]
[聞こえた声は前方からだったような気がする。
そもそも、幻聴なのかもしれない。]
……………………くび、ってこと ?
はは、
……わらえない、ジョークだ、ね。
[絞り出した声は、誰にともなく落ちる。
言葉に反して、顔は青ざめた*まま*]
『物事を、整理してみよう』
[目の前に一瞬だけ広がった状況に、体は反射的に走り出したが機械の正確さには間に合わず。
オペレータ役だったナオが操作盤を押し、チカノが絶叫の後強がる素振りを見せ、サヨは一言漏らしただけで言葉を失い、ワカバが途方に暮れたような声を零すその傍で、無情にも再び固く閉ざされたエレベーター、その内扉に握った右手を当て、私は一つ深呼吸をした]
[無機質なアナウンス。その声主に聞き覚えがないか。私は下降中の機械箱の中で、ほかの子たちに問いかけていた。
ナオに続き覚えがないと回答しながら、立場的に使用しない言葉の真意を考えあぐねるワカバに頷いていると、サヨからは状況判断による実習中止の報告と共に、おそらく情緒不安による八つ当たりを受けた。]
「あー…。そう思わせてしまったなら、ごめん」
[本当は問い詰めて言い返したかったけど、状況が状況だけに煽っても逆効果かと思い留めた。傍から見たら冷静過ぎると思われるだろうが、騒いだ所でみんなが助かる術が見つかるわけがない。
わたしは、弟妹を慰めるときのような感情で潤んだサヨの瞳を一瞥し、到着階を示す掲示板を見上げた。
その時は、まだ、確かにアンはいた。
だけど、その直後。扉が開くと同時に、見えた視界の先には、何故かアンの首だけが綺麗に置かれていたのだった。]
うそ…でしょ。追い出さなかったから、くびにされたっていうの?
[誰に問うわけでもなく、漏れた独り言。真意を探そうと模索する姿は、やはりサヨからは再び。
「自分がわかってればそれでいいんだわ」と。
言われてしまうのだろうか。]
誰の悪戯にしても…。性質が悪すぎでしょう。
[チカノを責めるつもりは無い。
誤解を与えないような平坦な口調で、私は振り返り改めて残された子たちの顔を見た。]
『悪戯? だったら今すぐ止めて欲しいわ』
[冗談じゃない、
皮肉ろうと口を開こうとしても、知らず知らずに恐怖に囚われた体は、声すら満足に*上げられなくなっていた* ]
[あまりの非現実的な光景に、錘が先程のフロアに放り出されたことなど頭に入っておらず、やがて狭い箱の中、壁に背を預けるようにずるずると座り込んだ。]
……追い出されて、くび?
……追い出さなかったから、くび?
[少なくとも、誰もが誰も追い出さなかった。
強いて言うなら自分とサヨが錘を追い出そうとした程度。]
―――ひとり、
[廻る思考はあれど、声になったのは、そこだけ。
それがどういう意図で落とされたのかを汲み取るには、あまりに抑揚の無い小さな声。]
[座り込み低くなった視界。視線は上げも下げもせず、次の停止フロアで起こりうる現象を思う。]
追い出す、は……身代わりとか生け贄、って
ことなのかと考えてみたんだけど……
[躊躇うような、少しの沈黙の後、小さく添えたのは]
もしかして、"正解"を選んだら、助かるのかな……
["ひとり"であることの意味。
"不正解"を選んだらどうなるのか、までは思考が無意識に逃げてしまい言及はせずに。]
[膝を抱き、視線を落として床を見つめながら]
怪談話や怖い噂って、だいたいは
助かる方法、あるよね……そんな感じでさ。
[怪談話、と自分で口にしながら背筋がぞくりと凍る。
助かる方法がない話もあるが、縋るにはそこしかなく。
少なくとも、何もしなければ希望はないのだろう。]
……わかんないけど。
[そしてまた少しの*沈黙*]
ああ、そうだ。
おきゃくさまが荷物を置き忘れた…と、しよう。
…ナオ。
黄色い錘だかテントだかを、拾ってきてはくれまいか?
[それこそ性質の悪い冗談だと、私は目を逸らした。**]
チカノ、その冗談、笑えないよ。
冗談なら、もっと笑える話をしなよ。得意でしょう?
[咎める、それよりは少しでも張りつめた空気を和らげようとするけれど、やはり私も失敗して嫌な気持ちだけが残る。]
正解、って。また誰かを犠牲にするの?
それとも――…、ごめん、言い過ぎた。
[冷製に努めようとすればするほど、空回りする感情。
漏れそうな思いを押し留めるように、私はありきたりな言葉でそっと口を噤む。]
『助かる方法、か』
[藁にも縋りたい思いで落とされたであろう、ワカバの考えを頭の中で反芻する。
今置かれている状況が、「終わりのある」話ならば。
あるかもしれないが――。
うつろな眼差しで天井を見上げながら考えていると、再びチカノが笑えない冗談を紡いだのを耳にした。]
――ねぇ、チカノ。その笑えなさすぎる冗談、
ナオに強要しようとしているなら…
[点滅する明かりが。追い詰められた状況が。
私の冷静さを内側から少しずつ欠いて行くのが解る。]
[痛そうではなかった。
苦しそうではなかった。
どちらかというと、いま此処にいる
友人たちのほうが――と考えかけて、
周囲の会話に意識を揺り戻される。]
…マシロ…
[内なる均衡を崩す態でチカノへ
言い募る友人の名をつぶやく。
先刻の八つ当たりへ置かれた謝罪には、
まだ応えていないまま。]
[それから、風変わりなチカノを見る。
生首だけであっても、生きていた
―ように見えた―アンがいたのに
凶悪な重量の錘を放り投げたことや、
何やら念入りな凝視をされたことや、
こと此処に至って『悪戯』やら
『趣味』なんてはじめに喩えたことや、]
[常は横紙破りを地で行く彼女が、
こんなときだけ遠回しな物言いで
"追い出す"とやらの行為を
ナオで試そうとしていることに、
ひどく、ひどく 理不尽を憶えて]
…もう、チカノさんたら。
もう、もう。
[肩前へ垂れているチカノのおさげを
左、右とぶって、背中側へ弾いた。]
あー…ごめん。
[名前を呼ばれてから一息。
サヨの、チカノへの暴挙――と呼べるのか解らないがを見て、私は少しだけ冷静さを取り戻し。
誰に問う訳でもない言葉を口にする。]
でもさ、仮にアンがあと時は「生きていた」として。
また同じ犠牲者を…、私たちの中から出さなければならないのかな…。
――結局、追い出すことも意味合いとしては同じだろうけど。
『その「ごめん」は、誰に言った?』
[自問自答を投げかけ、私は淀んだ空気を深く吸い込んだ。
不思議とヒールの足はもう、*傷まなくなっていた*]
[生きていた――サヨの言葉に、聴こえた声を思い出す。
アレは確かに、アンの声だった。]
……悲鳴でも、何でもなかった。
[おしゃべりしながら、誰かが突拍子もないことを言い出したりなんかした時に思わずあげてしまうような日常の1コマ。]
私たちには、 くび、しか見えなかったけど
[だから、異常な状況であり、死を意識したけど。]
アンは、そのままの私たちを見上げていた。
…次は耳だろうか。
跪くつもりも、命乞いをするつもりもないが…
私が追い出されるのは、少し困る。
[まだ少し、肩の後ろで編んだ髪が揺れるのを感じながら、サヨとマシロの視線を受け止め、すこし自嘲めいた苦笑を漏らす。]
マシロ。私の得意分野は悪戯だ。
だからこの悪趣味な悪戯を仕掛けた輩が判る気がするのだが…
追い出されてはそれもかなうまい。
[そう言って、少女はマシロをまじまじと見つめた。
冗談だと弁解はしないのだな。私は興味深げに少女を見る。]
でも……首しかないのに、
そんなことってありえる、のかな。
[手足も何も無い首だけの状態で。
普段と変わらぬ友人達を低い位置から突如として見上げる。]
…――、 扉、しまったあと、どうなったんだろ。
[想像したところで、こわい、という感情は消えない。
そうこう言う間にも、箱は次の階へと近づいている。]
[あやまってばかりの友人には、]
… "どちて坊や"は、
ひとを怒らせても、謝ったりしないのよ?
[疑問ばかり並べる相手に
呆れてみせるときのあだ名を
引き合いに出して答えた。
しらない世代はぐぐるといいんだ。]
[ナオに笑えない冗談を告げるチカノ、それを見たマシロが"追い出す"ことをにおわせたり、サヨが人間らしいとチカノのおさげをぺしぺしとしている姿を見ながら、考える。]
……困る?
サヨちゃんは、違う?
[そんな中で、嫌だ、ではなく、困る、と言ったチカノを見上げてしぱしぱと瞬く。]
う、埋まってただけ… は無いわよね。
[座り込んでいるワカバへ声をかける。]
何にしても、
ねえ、座ってちゃだめだわ、ワカバ。
[なぜかチカノに違うと確信される
らしきへ、首をかしげながらも
身を屈め、ワカバへ手を差し出す]
私は立てたから。
…あなたも立って。
[膝はまだ震えるけれど。
高いヒールの靴は履きこなせるから、
きっとワカバひとりなら支えられる*]
[自分は違う、と告げることは誰でもできる。
サヨのことも違う、というのは?]
勘、ってやつ?
経験則、らしいからばかには出来ないけど……
[サヨをじ、と見つめてから、差し出された手をとる。
じわり、体温を感じたら今より少しは安心できるようで。]
――時間、ないね。
[サヨに支えられ立ち上がり、くらい面持ちのままつぶやくと、自身の視線はマシロとナオを往復する。
都合のいいときだけ鵜呑みにして選択の幅を減らそうとするのは卑怯*だろうか*]
同じ穴の、貉ってことかな?
[「かなうまい」。「困る」。
この状況下で選択肢から逃れようと、ど直球な主張をするチカノへ視線を下した。
こんな不安定な状況下で尚、堂々とした姿。
そのストレートな物言いに、私はつい意地悪を仕掛けたくなった。]
解った。チカノに一度、掛けてみよう。
それと、サヨ。どちて坊やについては、私の知識からはみ出したものだし、さすがに今は調べられないな。
…残念ながら電波が届かない。
[お手上げ、と言わんばかりに私は両手を上げ首を傾げた。
徐々に加速を緩める中。
ふわりと浮く、無重力に似た感触に構えるように。
私は体を*強張らせた*]
──!、ちょっ、チカノちゃん?
[身に付けていた黄色い重たげな何かを、アンに向けて投げつけるチカノに、目をむいて。]
アンちゃんが怪我しちゃったら……。
[言いかけて、やめる。]
[異様な姿になっていたアンは、果たしてまだ怪我をしたりできる存在なのだろうか?
いや、アンの怪我云々に関わらず、チカノが随分荒い事をしているのは確かなのだが。]
……え、
チカノちゃんが投げたあれ、あたしが取ってくるの?
もー。だいたい何で投げたのよ。
[追い出されるがどうしたこうしたという話を一瞬忘れて、素で答えて、チカノに膨れてみせる。]
[が、そのふくれっ面も、チカノへのマシロやサヨの反応を目にして、強ばってしまって。]
……。チカノちゃん、あれ、大事なものだったの?
あたしがとってきたら、奢ってくれてもいいぐらい?
[そんな事を口に出すのは、怖さにいたたまれなさが勝ってしまったためか。]