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そこまで分かっていながら……
[長老の言葉を聴き終え、言いかけて、やめる。
代わりに、視線はかの贄の娘へと注がれた。しかし、その唇が言葉を発することは無い]
我々の中に、ふたり――
[何か遠いものを見るような眼差しで、集った人間を改めて見つめるのだった**]
[テントから出ていく面々を、ゆっくりと見送る。
しばらく火に当たっていたが、やがて己もと帽子を被り直して]
…既に贄が用意されているのに、まだ手を出すのか。
いや、しかし…そうでなければ、暴虐の限りは尽くせないか?
[ドロテアに聞こえないように――しかし口に出してしまった以上その言葉はテントの中に響いてしまうのだが――低く眼帯の男に向けて囁く。やれやれと首を振り、その場から立ち上がった]
娘だけでは時間稼ぎにしかならないとは、恐ろしいものよ。
冬の狼は、どこまで貪欲に成り得ると言うのか――
[ドロテアを一瞥し、テントを後に]
―テントの外―
[凶兆の徴は、優雅に、そして堂々とその姿を天に泳がせている。
自宅のある――所謂村の外れと呼ばれる場所にのんびりと足を進めながら、オーロラを眺めていた]
美しいと思っては、…まずい、か。
[帽子の唾に軽く触れ、ひとつ白い息を吐く。
耳の奥には狼達の遠吠えが容赦なく響き続けている]
……文明に滅ぼされる前に、か。
確かに文明の炎がやってくれば、少なくとも――我々は終わるだろうな。
大砲はいとも容易く狼の群れを吹き飛ばす。
[取り囲む群れを率いるモノのひとりは、からからと面白そうに笑った]
同じ滅びならば、より美しく凄惨な滅びを。
ふむ――…何と、呼ぶべきであろうか?
[ゆるやかな坂を登れば、村の灯がそれなりに目に入るか。
今しがた後にしたテントのあたりから、また一つ人の影が姿を現した。何人か、固まっているようだ。そちらには一瞥をくれるに留めて――オーロラの下に広がるタイガの影を視界の端に留めながら、ゆっくりと村の中を歩いている]
対するまじないを持つものは、三人。
何も持たざる少女は、供儀か。
[何か言葉を置いてくるべきだったのだろうか。
わずかながらちくりと、後悔の感触が胸を刺した]
骨の鈴か。興味深い例えだ。
[笑い声は遠吠えの海に沈み、淡々とした声がオーロラの幻に揺らめく。
しばし黙していたが、ふと、思い出したように]
…あの供儀の娘を、お前はどう思う?
暖が在るのは有り難いが、気まずい空気は私にとって毒になり得るのでね。…ドロテアにかけてやる言葉も、見つけることは出来なんだ。
[首の周囲に巻かれたそれ。蛇使いの姿であることは、遠目にも分った。小さく――先ほどもそうしたように、己を嘲る笑いを、ひとつ]
唄、か。
そうであるとしたら、それは死を崇め、滅びを招く唄だな。あの光も同様だ。
何がこの地を支配しているのか、嫌でも思い起こさせてしまう。
[己の顎にそっと指を這わせ、声は幽かに沈む]
確かに。わざわざ、長老殿が我々のために用意して下さった娘だ。あれの死をもって、天の赤を雪の上に映す――…悪くない趣向ではあるな。
[狼達の遠吠えは、程無く歓喜のそれに代わるだろう。
――喰わせるのは惜しい。片割れの言葉に、声は少し揺らぐ]
ならば、お前が喰うか。
夏が、好きなのか。
[蛇使いが村に留まった理由。思い出し、頷く。
しかし発した返答は、同意の響きを伴わない]
冬は長い。闇は深い。死は死以外の何物でもない。
……じきに慣れるだろうさ。その『じき』まで、村とお前が生き残っていればな。
[とりとめのない言葉を並べて、ごまかすように笑った。
消えた問いには、首を傾げるが何も言わず]
[帽子について尋ねられれば、思い出したようにその唾を掴んだ。
さあ、どうだろうなとはぐらかすように]
中々どうして、この闇と雪原は私を離してはくれなくてね……。
街に行ってしまえば、ここまで深い闇を感じることは出来ない。忌わしいものだが、同時に失えばとてつもなく懐かしんでしまうだろう。
洒落ているものと、美しいものは、違う。
[最後に放った言葉だけは、異質な音を纏っただろうか。
影に覆われてはっきりとしない足もとに視線を落とし、ゆっくりとその場から歩きだした]
そうか。
[確として響いた声に、静かに同意する。
群れの歓喜が、そして飢え。意識せずともそれが強まっているのを感じられる。
それは――己の歓喜と飢えでもあるのだから]
…素直に、愉しみに飢えておくとしよう。
より明瞭に、「死」の存在を感じておくためにも。
贄の娘だからな。
明日、どうなっている事か……
[ドロテアの名に、瞳をわずかに伏せる。
心配になってしまった――イェンニのその言葉に、小さく眉をよせて]
気にかけるも、かけぬも。それは、自由というものだろう。…亡骸となってしまったのなら、祈るべきだとは思うが。
粛々としていれば良いのだ。
聖なるものの扱いが、共同体によって大きく違うとは――あまり、思えない。
[疑いの目が互いに向けられている。
女の言葉の端々から、今己が置かれている現実を垣間見ざるを得ない。
深く、白い息を吐いた]
悲しい?
…そうだな、哀しい。無力な娘が奉げられ、狼は村を取り巻き、夜が明けることもない。
[何度か頷きながら、イェンニに同意する。
あやまられれば、小さく首を横に振った]
狼が、神の使い?
――同じモノを見るのでも、抱く念は共同体によって違うという訳か。
[興味深いな、と付け加えて己の顎をなぜた]
そそのかす。
……成程、気がついたら私はいつの間にか狼の群れの中に放り込まれていると、そういう訳だね。
確かに、それは……難しい問題だ。いや、全く、困ったものだ。
[言って、からから笑った]
狼を操る者の意図、か。
……。
[瞑目する。考えても、狼の遠吠えが耳に響くばかりだ]
ああ、機会があれば遠慮なく寄らせていただくよ。
有難い。
[響く杖の音に僅かに口元を緩ませて、去る書士の背を見送った]
ああ、そうだな。
今この瞬間に限っては、そうしておくのが正しいだろう。
[郷に入り、従う。従わなければ疑念の大口を開いて待っている]
だが、――……。
いや、今はやめておこう。すまない。
[瞳を伏せて、言葉の端を濁した。疑われているのは、己もまた同じなのだ]
その祈りに、私も感謝を。
そして君も、心安らかに過ごさん事を。
[そう言い残して、彼もまた歩を進める]
[狼の遠吠えが聞こえる。耳を打つ。
あてもなく歩くときはいつもそうするように、瞳を伏せて雪に足の痕をつける。
片側には村の灯、もう片側には森の影。極光の下伸びた影が、揺らぐ]
信用、か。
疑いがかけられた時点で、信用も何も無いだろうと思ってしまうのは――流石に薄情だろうか。
[受け止められる先のない言葉は、静かに宵闇に溶けて]
――いや。
漂白の民と、少し。
[対なるものの声と共に、一つの魂が死に招かれたことを知った。
小さく苦笑しながら、付け加える]
お前も、流れてきたのだったな。
私はこの地しか知らぬ身であるが故……
[言葉を濁してから、かけられた問いに答えた]
『おおかみ』、さ。
――だが、私の心は常に狼と共に在る。
…む。
[ざり、と雪をかき分ける音。振り返ると、杖をもった人影がそこに居た。
杖から音は聞こえない]
やあ、君か。
奇遇だな、こんな所で。
[眼帯の男。己の所在を伝えるべく、はっきりと声を出した]
…いや、邪魔ではない。
むしろ、いろいろと持て余していたところでな……気がついたらこんな所に来てしまった。
[首を傾げる彼に、頷いて答える]
君こそ、何かしている最中ではないのかね?
何を考えるべきかを考えている。
……答えになっていないな。
[肩をすくめて、笑う。
語尾を飲み込んだ相手の様子には、特に頓着する様子を見せずに]
三人、対抗するまじないを扱える者がいると、長老は言ったな。
力を、うまく動かし利用できなければ――狼を操る者も、つまりはまじないを扱うのだろう。
[自身に言い聞かせるように、呟き始める]
人間の腕だけでは、あの大群には勝てんよ。
[その言葉だけは、妙に確信じみていた]
…ああ、まあ。そんな所だろうな。
[信じるか疑うか。
男の言葉に、ようやく答えを得たとばかりに]
己が誰を信じ、誰を疑うか。
そして、どう――疑いを晴らすか。
[ふと思いついたように言葉を切り、すうと息を吸い込む]
『私は狼など呼んではいない。信じてくれ』
――言葉なぞ弱いものだ。皆、そう言うに決まっているのだから。
[ちらりと、口元を掠めるのは挑発的な笑み]
そうだ。
結局、我々人間には言葉を使うくらいの力しかない。
――まじないの心得があれば、また違う思索に耽ることもできるのだろうが……
[マティアスの言葉に、静かに同意する。
目を見ればわかる。
彼の眼帯に、半ば反射的に目を向けてしまう。目そのものが、見えない]
どうだかな。
だが、見えてしまう者も居るのかもしれない。
愉しい?
……さあ、それは……それはどうだろうか。
[曖昧に笑う。
否定も肯定も、なく]
もしも私が巻き込まれず、ただの傍観者であったのなら。
ひょっとしたら、愉しんでいたかもしれない。…傍観者で、あったなら、な。
戸惑う。
…そうか、戸惑っているのかもしれない。
この雪と闇の外には何も要らない筈なのに……いつの間にか、気がついたら興味を惹かれている。結局帽子を捨てられないのも、そういう事なのかもしれぬな。
[成程、と解を得たとばかりに呟く]
[森の中、湖の縁、そして雪原の影。己と意を同じくする狼達は、ただ静かに黙し、生贄の娘を運ぶ列を眺めている。
その瞳は確かに輝いてはいたが、何かの色を映すことはない。今の己の瞳と同じように]
嘆く……
嘆きながら、村の娘にその牙を突き立てるのか。
私は――我々は。在るがままが在るのなら、それで良いと思っている。お前のように、感慨など抱いてはいないさ。
だが、結果が同じならば…過程については、好きなように手を出してしまいたい。その欲求だけは、あるのだ。
生贄を、運ぶ列が。
あれは、湖の方だな……
[背後からの問いかけに、短く答える。
足を止めることはなく、しかしゆっくりと]
そう、ドロテアだ。
[眼帯の男に、小さくうなづいて。
足元の雪を音をたてて踏み分けながら、灯へ――行列へとゆっくりと近づいていく]
本当、よくやってくれたよ。
[うっすらと紅い跡が、頬には残っているのだろうか。
悪戯じみた笑みの気配に、返すのは諦観の響きを伴った笑い]
[光がはっきりと見えるようになった処で、足を止めた。
生贄の娘はどこにいるのだろうと考えながら、行列をじっと見つめている]
別に、気にするほどのものでもないさ。
放っておけば治る。治らないときは、私が死ぬ時だ。
[数日では引かないだろうから、そう付け加えて。
沈黙には何も返さない。唯一つ、息を吐くだけ]
欲か。
…ああ、愉しみにしていればいいさ。私自身も、そうなったらどうなるのか見当がつかんからな。
[灯が去れば、また足を動かして。
そっと、行列を追う。
供儀となる少女の貌を――生きている時の貌を、せめて目に焼き付けておきたい。たぶん、そういうことだ。
開けた場所に、行列はたどり着いただろうか。
あくまでも遠巻きにそれを眺めながら、視線が探すのは捧げられた少女のすがた**]
[己が率いる狼たちの気配を感じる。
どこか虚ろなそれ。小さく笑って、――今は伏せておけと、そう、送る。
己に連なる狼達は、ただ影のような視線を、じっと送り続けるだろう。
村に、雪原に、森に、極光に、供儀に、――そして、対となるものと、彼女が率いるおおかみ達に**]
―湖の畔―
[松明の灯が見えなくとも、男は湖の畔まで足を延ばしていた。
取り囲む狼たちの気配が強くなる。あまり長居するわけにもいかぬだろう。
だが、この時期にのみ出来る雪原と、そしてそこに捧げられる娘を最後に一目見ておきたかった]
……感傷か。
[吐いた息は白く、見上げるオーロラは赤い。
どう疑い、どう信じるのか。どうすれば、疑いを晴らせるか。どうすれば――生き延びられるのだろうか]
言葉は、無力だ。
だが、時にその器を超えた能力を有する……
嘘、……。
[肩を抱いて、微かに震えた。きっと、寒さのせいだろう]
―村外れ―
[村の灯が瞳に映る。狼の遠吠えがやんだ。
――瞑目する。
時間稼ぎ。
長老の言葉が、脳裏に蘇る]
いよいよ、か。
…言葉は弱い。疑いは、言葉を簡単に突破する。
だが、ちからのない人間はそれに頼るしかない。
疑いの矛先が、言葉しか持たぬ人間に向かったら――それは、悲惨だろうな。
[疑い合うことで、村が自滅していく。
狼の輪で押し潰すまでもなく。想像することしか出来ないが。
故に、他人事のように淡々と語る]
仕向けているのは、時に人間同士であるのにと、そういう事なのだろうか。
……力のない人間のやることは、どうにも理解できず、予想できん。注意せねば……
[囁きではなく、それは自身に向けた呟きなのかもしれなかった]
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