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―― 宿屋 ――
あら、お待たせしてごめんなさい。
[扉の前で呆けている若旦那へ駆け寄り、足元の包みを拾い上げる]
呼ばれていらっしゃったの?
[誰から、とは言わない。
鍵を扉に近づける手が止まったのは、中から人の話し声が聞こえたから]
――…。
[黒い診察鞄に道具を詰めながら、思い返すのは森で見つかった無残な遺体の事。自警団長の立会いの元、それの検死をした事はまだ記憶に新しい。
死因は喉の裂傷で、即死に近い。絶命後に片腕を千切られ、柔らかな腹部を中心に抉られており、それはまるで巨大な獣に食い荒らされたかのようだった。
しかし周囲は荒らされておらず、単なる獣の仕業でない事が伺える]
ヒトガタの、化物…か。
[ひと月ほど前に噂された、それの名前をひとりごちる。
あの手紙には、自分にその嫌疑がかけられていると記されていた。そこにあったのは、自分の名前だけではない。診療所を訪れる村の人たちの名前も、懇意にしているお茶屋の若旦那の名前も]
まさか。
[何かの間違いだろう。あの人たちに、あんな事が出来るはずがない]
…そろそろ、行かないと。
[戻っては来られないかもしれない、という恐怖は不思議と無かった。手紙の内容が半信半疑と言うのもあるが、仮に真実であったとしても、それは変わらないだろう。
医者としての興味、なのだろうか。人が化物になるのか、化物が人のふりをしているのか――。知識欲は尽きない。
幸か不幸か、齢30にもなろうというのに伴侶となる女性もいない]
では、行ってきます。
[挨拶を残し、診療所を出る。宿に着いたら、ゼンジの淹れた美味しいお茶が飲みたいな、などと呑気に考えながら**]
なんとかわいいおおかみ。…もっふもふではありませんか。
[少女は、慈しむようにそのもっふもふをいじくりまわしながら]
あやかしという人狼がこのもっふもふならば、
わたくしなにも厭うことなどありはしません。なんとモダーンな…
もっふもふ…
[そう言って少年の衣装をなでくりまわしているうちに。]
は…。あなた、どなた?
[それからようやく貼り紙に気づいてまばたきを二回]
こんなことに使われて、商売あがったり……と言えないのが悲しいところね。
[普段なら閑古鳥がなく宿屋は、いつもと異なる雰囲気だった。
傘は傘立てへ、食料品が入った袋は台所へと運んでゆく]
これは人狼じゃなくて狼。別物。
それから俺も、そのあやかしじゃないからな、言っとくけど。
[遠慮のない手つきのチカノに、半目になったり帽子を奪い返したり]
俺は、バクだ。
ついでにそっちのはイマリ……あれ、便所か?
[マタギの祖父とともに村のはずれに住む迷い子は、よく道を失って村を彷徨っている。この宿にたどり着いて泊めて貰うのも、初めてではない*]
重たそうですね。荷物運び、お手伝いましょうか。
[ゲッカの持ってきた食料品を持ち、一緒に台所に向かう]
そういえば、何人くらいあつまるのでしょうかね。あとでお茶でも入れようと思いまして。
[現実味の無い話で呼び出されたせいか、まるでただの集会に呼び出された感じで話しかける。
荷物を運び終えたら、人数を確認するために宿屋のなかをぶらり**]
―― 森の中 ――
なんですか? それは。
[いつものように散歩へ出かけた帰り道。
さっと雨雲が掛かるかのように目の前に現れた人影に、柔くも棘が潜んだ声を上げる]
えぇ、仰る通り出入りはしていますけど、だからってそんな…。
[反論する言葉もむなしく、突き付けられた封書に成す術もなく]
……、
[行き先を告げられるまま、静かにうなづくしかない。]
雨が、ふりそう。
お姉ちゃまの言葉、ちゃんと聞いておくべきだったわ。
[暖かさがが一転、冷たさを帯びた風が髪を浚う。
指定された場所を思えば、姉や母が少なくとも巻き込まれていることは明らかで。
悲しみや途方に暮れる思いで眦は赤く染まる。]
ホズミちゃん、無事かな…。
それにンガムラさんも…。
[押し付けられた封書はまだ見ぬまま。
こぼす、好意を懐くものの名を。]
し、しっかりしないと。
わたしも疑われているって、お姉ちゃまに悟られてしまうわ。
[沈んでいく気持ちを奮い立たせるかのように、頬を数回叩き。森の外へ。
やがて緑色の色彩から解放された視界に、村医者の姿を見つけたなら。
幾許か診療時に晒す、素肌の恥ずかしさを思い出し、頬を赤く染めながらも会釈は*忘れずに*]
あら。ざんねん。
[言葉尻に笑うのが癖かのように、屈託げもなくまた笑う。残念なのは、帽子を奪い返されたことか、それとも人狼ではないことか。]
バク…夫。バク夫殿ね?
わたくしチカノ。近場で野宿するなんてってお父様が怒るから。
家名を汚さぬように通り名ですのよ。
あ。テントの事は、女将さんには内緒にしてくださる?
[内緒にしようもない、広間の隅の黄色いテントを誇らしげに見やる。]
…それではバク夫殿。
わたくし、テントの中を整えないとなりませんから。
[名残惜しげにもう一度もっふもふの手触りを楽しんだ後]
覗いてはなりませんよ?バク夫殿。女のテントは宇宙ですの。
覗いたら…怪我して火傷して後悔しますわ。
[そう言い置いて、もそもそとテントの中に入っていった。**]
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