―柳樂商店・店先―
[――虫がよく鳴いている。
祭りで虫も心騒がせているのだろうか。
店先で本に視線を落としていた青年はそっと顔を上げた。
祭囃子よりは虫の音の方が好ましい。
けれどこの時期は、村の何処に居たって聞こえてくるから、逃れようとしても無駄だととうの昔に諦めていた。
この時期に帰省するのは、親が手伝うように言ってくるから。――それだけの事。
本当は静かなところで、沢山の書物に埋もれて暮らしていたい。]
(――店だって、従弟が継げばいいんだ。)
[そんな事を、思う。
きっと、人当たりの好い彼の方が向いているのだ。
村と外とを品物を通して繋ぐ、商店の主という仕事は。]**
あらあら、チグサ君はずいぶん手際がいいのねえ。
お家ではお母さんのご飯の支度のお手伝いをたくさんしてるのかしら?
[この春、高校を卒業した時計屋の息子が、手慣れた様子で焼きそばを作っている。
夜店の明かりに照らされた顔は、鉄板の熱のためか、はたまた幼稚園時代の先生に誉められた故か、紅潮してうっすら汗ばんでいた。]
―1976年・根木弥神社境内―
[根木弥神社の伝統にて代々受け継がれる名。実際に神主を継ぐのはまだ先であれど、名を襲名するのはこの時期
今年襲名したばかりの跡取り長男―――根木弥餅肌(ネギヤモチキ)は幼名を櫛次(シツジ)と言う]
アンや、どうした?
[真面目に祭事を手伝う手を一度止めて、従兄妹の少女――杏奈(通称:アン)が空を見上げながら漏らした言葉に]
虫の騒ぎが大きいか、ならば言い伝えのように連れてゆかれぬよう鎮めねばな。はは、もうシツジ兄さんではないぞ、今年からはな、兄さんは餅肌なんだ。神事の手伝いをしていかなければな。
[シツジ兄さんと呼んだ従兄妹の頭に、大きな手のひらで、ぽん、ぽん。アンは一族の中でも霊感の強い子だから虫の鳴き声に何か感じるものがあったのだろうと察するからこそ]
誰も連れて行かれぬよう祀り、虫の騒ぎを鎮めねばな。
ほら、こちらへおいで。よければ村の行く末を占う儀式の準備の手伝いをしておくれ、アンよ。
[今年餅肌になったばかりの跡取りは、アンを秋祭りの輪の中へと促すだろう]
[スグル牧場の次男 優浩二(スグルコウジ)16歳
は、御神牛の引き渡しを終え、神殿の裏手のそのまた奥の樹上でサボっていた]
そろそろか。
[腹時計を頼りに向かうのは柳樂商店]
−鳥居の前・公衆電話の付近−
え。……あぁ、うん、そうなんやぁ
[受話器から「良い子にしてるのよ」とそれだけ聞こえ、頷く前に電話は切れる。
両親と離れて暮らし、親戚に預けられている春名双季(はるなふたき)は毎年祭りの日を楽しみにしていた。唯一両親に会える日だから。
今年は仕事の都合で、来れなくなってしまったらしいのだけど。]
……寂しい、なぁ
[鳥居の向こうでは賑やかに祭りの準備が行われている。まるで鳥居がひとつの壁となり、自分が切り離されているような感覚に陥った。]
-村のバス停-
やっと着いた…
[疲れ切った表情でやってきたのは、高校を卒業後実に10年ぶりにふるさとであるこの村に戻ってきた柄(ガラ)もみじという名の女性
今は首都である京東でOLとして働いている]
えーと、こっちだっけ?
[地図と昔の記憶とをにらめっこしながら、今日泊まる予定の民宿へと向かう]**