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[体温が下がっていく。
止血しても追いつかない出血。
このままだと、ショック症状が起こる。
短時間の出血、大動脈からの出血だろう。
圧迫止血では間に合わないけれど。
凍結止血するにも、電気凝固させるにも、まだ手術室は遠い。]
どこへだって、連れて行くよ
平家蛍を見た事はある?
夏の低くて大きな空と
地上に舞う蛍の光が合わさって
まるで、天の川が二つあるようなんだ
一面の花畑、なんて見たことあるかい?
カラフルな絨毯のようで、綺麗なものだよ
春になったら、見に行こう
― 昨日 休憩室 ―
[どこかで聞いた、懐かしい歌がテレビから流れている。
あの歌は誰の歌だろう。テレビ画面をじっと見ようとすると、子供たちがその前を楽しそうに駆けていった。
ふふ、と笑うと、そのままぼんやりと歌を背景に、子供たちを眺め続ける。
と、隣の男性が、感慨深げにこちらに話しかけてきた。]
ええ、孫はわたしにもおりますよう
何人かいたけれども、みんなそれぞれ大きくなりましたねぇ
昔はよくみんな家に遊びに来たものだけど
でも、孫はそういうものでしょうねぇ
みんな立派になって、嬉しいですよ
[ちなみに同居していた長男の子供も、大学生となり、朝はご飯も食べずに部屋から直接出かけていき、夜は自分が起きているうちは帰ってこなかった。
ここに入った時、一度だけ家族で見舞いにきた。
他の孫も含め、もう、孫の顔を本当に見ていない]
子供は、いいねぇ…
私もそう思いますよ
[子供たちを通り越すように、ぼんやりと遠くを見て少し微笑んだ。
孫が14歳、という話には]
あらあらまあまあ
じゃあまだまだ小さいねぇ
可愛がってやりなさいな
可愛がってやれるのも今だけですよう
[今度は男性の顔に視線を向けて、微笑んだ。
しばらくすると、彼はこちらに軽く頭を下げると、立ち上がって去っていく。
こちらも彼に頭を下げた]
[手術室へと辿り着く前に。
私の身体からは
生命が抜け落ちてしまう。
手紙のお返事や、お手玉の約束、
写真もこの目で見たかった。
叶わなかった事は幾つかあるけれど。
そういった生への未練が在ることが、
この上なく嬉しかった。
未来は、あったのね。近くに。
私にも。
それを教えてくれた、
とても素敵で嬉しい言葉を贈ってくれた
先生への感謝の言葉が最期の言葉。
脱力して緩んだ口元は
ほんの微かに笑った時と同じ形に成り。]
秋は、川が綺麗でね
魚釣りをして、その場で調理して食べる
中秋の名月なんて、しっかり見た事あるかい?
お月見も、いいものだよ
冬はやっぱり、雪原だね
体を切るほど冷たいはずなのに
光を弾いて、真っ白に輝く朝
世界が最も輝く朝さ
君にはまだ、見てない世界が沢山ある
[ありがとう、彼女がか細く。
そう口にしたのが聞こえて。
動かないであろう手を取り、脈をはかると同時に語りかけ続ける。]
まだ、お礼を言うには早い
君を救って、それからお礼を言ってもらう
― 朝 ―
[朝日が部屋を照らし、いつもどおりに起きた。なんだか、心が晴れ晴れとしている]
あぁ、きたんだったねぇ
[机の上にあずきの袋が置いてあった。
昨日、部屋への帰りに職員からもらったものだ]
今日は、そろそろおしごとしなきゃだよ
[よしっと気合を入れると、朝食の準備に入った]
おそと、さむいもんね。
ゆきがね、たくさんふってたのよ。
[こんなにいっぱい。と、示すように両手を広げて。
10本の指を動かしながらゆらゆらとその手を下ろす。
どうやら雪の物まねをしているつもりらしい]
うん、えっと…。
あしたがね、しゅじゅつのひなの。
[首を傾げて記憶を探り。
思い出して、どこか誇らしげに伝える]
― 部屋 ―
[日のあたる部屋の中で、無心に、かつ丁寧に縫い目を作っていく]
いいねぇ
[昼頃、お手玉が、ひとつできた。
茜色と紫のちりめんのはぎれをあわせたものだ]
これはくるみちゃん用だね
おばあちゃんは、これにしようかね
[また別の、山吹色のはぎれを取る]
こうすれば、2人であそぶときに一緒になってもわかりやすいからねぇ
[ちくちく。静かに縫い始めた。
この調子なら、明日には最低でも2個は完成しそうだ。
明日はロビーでくるみちゃんを待とう。
きっと明日も今日みたいに日が出て、特等席も暖かいに違いない]
雪も、溶けてしまうかねぇ
[ちらりと窓の外の少し溶け出した雪を見やった]
んだな、外は寒いよ
でも、雪はきれいでおじいちゃんは、すきだなァ
[ひらりひらり、雪の降る様子を真似る少女に
「上手だァなあ」と頷いて。
彼女を真似て、自分でも手をひらひらと振ってみたが]
あしたかァ…、そうかァ
[一瞬だけ、眉間に皺を刻んでしまう。
何の手術かは解らないが、こんなに小さいのに
痛い思いをするのかもしれないと思うと、苦しさを覚え]
しゅづつしたら、ゆきだるま作ったり
できるようになるだろうなァ
雪で、うさぎさんも作れるんだぞ〜?
[だから、しっかり。
かけた言葉は、彼女に届いたのか。
測っている脈が、途絶えた。
力の抜けた四肢。
手術室は、もう少しだというのに。
頭の中では、もう答えは出ている。
動脈性出血による乏血性ショック。]
クルミさん?
クルミさん?
しっかりしてください
[医師としては、失格なのかもしれない。
死を前にした冷静さというものは、患者と親しくなれば吹き飛んでしまうもののようで。]
緊急補液
移動しながらでもやるんだ
― 夕暮れ ―
[2つ目が完成したのは、太陽も沈みかけた頃だった]
やっぱり若い頃に比べると、仕事がおそいねぇ
[目も指も、思ったようにはいかない。
それでも、できた2つのお手玉を見て、表情がほころんだ]
多分、くるみちゃんもあと2つは欲しいっていうよ
ちょっと準備だけしとこうかね
もう若くないからねぇ
[呟きながら、外を見る。
沈み行く太陽が、最後の光を地平線に広げている。その様に自分を重ねた]
[明日も、明後日も。
ずっとこんなふうに、ただ老いていく日々が続くのだろう。
自分は、病気の子供たちを妬むような人間だ。
病気なのだ。辛いだろうに。苦しいだろうに。
でも、彼らの目の前に広がる景色と、自分が見ている景色と、どんなに違うことだろう。
もしも、願いが叶うなら…]
夢だね
[薄暗くなった部屋で呟いた]
[頭の中では、無駄だとわかっていても。
そうせずにはいられないというのは。
はたして、幸せな事なのか、不幸な事なのか。]
心停止、心臓マッサージ
[手術室にたどり着き、心電図につながった時には、数値として。
患者の死亡を伝えていた。
試みるだけは、全て試みて。
自分にできる事は、全てやっても。
救えぬ命が、大量にある。
他人でも、知人でも。
大人でも子供でも、平等に。
救えぬ命は、救えない。
蘇生措置を試みるも、上手くはいかず。
結局は、また取りこぼす。
どれだけ救いたい命であっても。]
うん。
いっぱいふって、たのしかったよ。
おそとであそびたかったけど。
かんごしさんが、だめっていうから、おへやからみてたの。
うさぎさん…みてみたいなぁ。
あのね、うさぎさんは、おりおんさんにおわれてるんだよ。
ほんにかいてたの。
[説明を欠いている事にも気付かないまま伝えようとして。
思わず話にも熱がこもる。
しかしそこで、たまたま通りがかった看護師に見つかり。
そろそろ寝なさいと怒られてしまって、寂しげに頷く。
二、三言ほど離すと看護師は仕事に戻ってしまいそれを見送って手を振り]
ごめんね、おじいちゃん。
るり、あしたにそなえて、ねむらないといけないの。
[首をかしげてそう伝える。
看護師の受け売りである「明日に備えて」という言葉は片言だった]
じゃあおやすみなさい、おじいちゃん。
[ぺっこりと頭を下げる。
そのまま病室に戻ろうとしたが、ふと振り返り]
またゆきがふったら。
ゆきだるまつくるの、てつだってくれる?
[問いかけと微笑みを投げかけて。
その返事を聞く前に小さく手を振って、病室へと戻って行く]
医者が神を信じたがらない理由はこれだな
人事を尽くしても、何もできやしない
[小さく呟いた言葉。
それは心の中だったか、口から出たのだったか。
ご遺族への連絡等は済ませてあるようだ。
もうすぐ、やってくるのだろうか。
なんと説明しようか。
助けられなくてすみませんと、謝るのだろうか。
若者は、少し休むと言い残して屋上へ出た。
周りの人影は気にせずに、隅の方に座り。
タバコを咥えて、火をつけた。]
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