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[少女が再びよろめく。
支えてやろうかとも思うが、その必要はなかった。
そうしてややお姉さんぶったお辞儀をして、
するり、魚よりも滑らかに行ってしまう。
手を挙げて挨拶するのもおかしいようで
男も視線を投げたきり、納得した。
扉の前に立った少女はもう降りるのだろう。]
[熱い空気が流れ込んでくる。
乗り込んできたときほど、顔をしかめたりはしない。
見送った少女は大きな大きな一歩を、
今にも転んでしまうのではないかと心配するような一歩を、
踏み出して、
春風のようにいなくなった。]
[しばらくドアの外を見ていたが、
扉が閉まる音がすると携帯の電波を確認した。
全くの圏外だったのが、
電波がひとつ入るマークに変わっている。
日常に帰るのだ、そんな実感がしてきた。]
[いい父親だかいい夫だか、
そんなことは思っても仕方のないことで。
どこからか柑橘類の匂いがしてきた。
これも一瞬で消えてしまうのだろう。
けれども、憂いを払うのはそんな刹那のなにかではないか。
思いながら携帯を閉じる。
目を閉じて、揺れに身を任せる。
降車駅まで、あと少し。
日常まで、あと少し。
それまでにちっぽけな英気を養おう、
そう考えて男は口元に生来の笑みを浮かべて息をついた。**]
[誰も同席してないのをいいことに、
足を投げ出して座るさまは
年相応男子学生相応の、不遜さ傲慢さがちらほら。
じゃらりと連なるクマを鳴らして、
眼鏡を通して携帯の画面を確認した。]
[ブルーライトの明るい画面、
レンズがそれを反射する。
窓の向こうは夏の空、
積み上がった雲の向こうに青が広がる。
暑いのだろう。
きっとアイスが美味い。]
[列車で、緊張した声を聞くのはなんだか久しぶりだった。震える声。あの女子高生は、見覚えがある。
向井は無意識に熊をぐにぐにと触りながら、乱れてもいない前髪を引っ張って座りなおした。
列車が止まる。窓の外をちらりと見て、また視線を下に。
まだ、降りる駅じゃない。
でも]
[電車は川を越える。
実家と、小さな工場――車の修理工場だ――、
それから練習場に立てかけられた畳が見えた。
今日は練習しないのです。
電車はそのまま、全てを後ろに飛ばしていく。]
[既に見えなくなった家に向けて
べ、と小さく舌を出した。
もう少し、電車に乗る。
一駅二駅、どれくらいか、
冷房のない外にでるのを億劫に思う頃、
ドアの前に人がたった。]
[電車が動き出してから、なけなしの冷静さをかき集めて
わしゃわしゃと髪の毛をかきまぜた。
いまだ、顔があつい。]
……――今度見かけたら聞こ……
[ひとまずは友人に
自分の顔に何かついてるか、聞かなくては。
片手に納まりきらないクマたちが
その赤い顔を笑うように揺れた**]
[向井が降りる駅に着く頃には、寝ぼけていた頭はもうすっかりさめていた。
この長い列車での夢も、聞こえた声も
学校でも家でも、ただひたすらに机に向かっている現実も
「夢」じゃない。
自分で選んだ「今」だ]
……がんばろ
[あくび交じり、小さな声。
立ち上がった肩にかけられた鞄には、
夢で拾った熊と、過去にもらった兎が
仲よさそうにゆれていた**]
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