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[最初は検査だけのはずだった。
一泊が一週間に、一週間がひと月になり、気がつけばもう半年が過ぎようとしている。]
『大丈夫よ。もうすぐ、帰れるから』
[両親も主治医も看護師たちも、そう繰り返すだけ。
困ったものだ。もう十四になるというのに、まだ子供扱いしかしてもらえない。
薬の量は日毎に増え、身体が徐々に弱っていく。それは目に見える変化だったし、何より、自分自身がひしひしとそれを感じる。それでも、大人たちは千夏乃が何も知らない子供なのだと信じている。…いや、そう思いたいだけ、なのかも*知れない*。]
――ラウンジ――
[緑の隙間から海を覗き見ることのできるラウンジが、そこにはあった。
潮風は木々の隙間を通り、ガラスに吹き付ける。硝子戸を開けばその風を一身に受けることはできたが、ラウンジの椅子に座る老婆はすっかり腰を落ち着けていた。病棟にて割り振られた部屋よりもよほど居心地がいいか、彼女は鼻歌交じりに古びた指で持つ針を遊ばせていた。]
ン、ン――…… あぁおい、 目をした
おにんぎょ は、
[節をつけて動かす針の脇にあるセルロイド人形は、さして青くもない目をじっとガラス向こうに投げていた。
老婆の気まぐれな歌は途切れ、同じ個所を繰り返し、行き着く先も見当たらない轍の中で円を描く。
ふと潮風以外に鼓膜に触れる声を聴き、老婆は手を止めた。黒い布に縫い止まった針をそのままに、陽光反射する海へ目を細め]
きっと、
ウミを見過ぎちゃったからだぁねえ**
─ 病室 ─
[ほぼ白一色の部屋。
壮年と初老の半ばあたりのような男は微睡んでいる。
ベッドの上、男の枕の横の方には、装丁も頁もうっすらセピア色になった一冊の本がある。]**
とある病室
[医療機器がかすかな電子音を奏でる中、目前の女性は患者の手を握り締めて嗚咽を堪えていた。
死亡確認。脈を取り、瞳孔を確認する。
薄く唇を開いて言葉を発しようとした瞬間、胸の奥が圧迫されるような苦しさを、覚えた。]
――ご臨終、…です。
[寝台に横たわる人物が、患者から、遺体へと変化したことを告げると、女性は震えながら泣き崩れた。
額に薄らと浮く脂汗を拭う暇無くペンライトをポケットへ戻す。
重苦しい空気が肌へと纏わりつく中、新米の医師は病室を後にした。
その足取りは、酷く重かった。]
─ 屋上 ─
おや、先客が居たんだね…
[紫煙を燻らせながら、ゆるりと柵にもたれ掛かって居る女性を見つけ彼女は微笑んだ。]
病院とはどうも堅っ苦しくてしょうがないねぇ…煙草ぐらい好きに吸わせてくれればいいのに…
[彼女は誰に言うでもなく、一人呟くように。そして煙草入れから一本取り出すとゆっくりと火を付けた。]
ああ、堪らないねぇ…
[煙草は医者に止められていた。それもその筈、彼女は昨年の夏に片肺を摘出していたのである。
__病名は、肺癌。
それ以来、彼女は一切の喫煙を禁止されている。…いや、正確には禁止されていた。]
まあ、今更後悔なんざしちゃいないがね…
[自嘲とも取れる笑みを浮かべながら、彼女はゆっくりと紫煙を*燻らせた*]
廊下
[無機質な自己の靴音が廊下に木霊する。
まただ、また…、死んだ。
自分が受け持つ患者ばかり…、術後の容態は落ち着いているのに月日が経過すると共に病状が悪化し、手を尽くしても帰らぬ人となる。これでもう4度目だった。
悔しい、とも、哀しい、ともつかぬこの感情を抱えるまま、次第に早足で人気のない廊下の窓辺で蟀谷を押えて深呼吸する。]
……もう、――…、
[限界だ、そう口に出そうとした言葉は直前で、掻き消えた。
音として発する事すら許されないと感じた、からかもしれない。]
[緩く視線を持ち上げて窓の向こうをじっと、見つめる。
きらきらと瞬く海面を眺めることで、不思議と胸の苦しさが緩和されていくようで、ちいさく安堵の吐息を*漏らした*]
[…そういえば、こうして海を眺めるなんて、いつ以来だったろうか。一二三は潮風に吹かれながら、ぼうっと思い出す。
しかしどう頭を捻っても、思い出されることは仕事、仕事、仕事。それも取引先に頭を下げる、嫌な思い出だけしか蘇ってこなかった。]
…ははっ、なんてこったい…意外にあたしの人生って、薄っぺらいんだね…
[一二三はくっくっ、と口の端から煙と共に息を吐き出し、眼前に広がる海原を*見渡した*]
今日は隣、静かだな。
ね?昨日は騒がしかったよね?
[沢渡千夏乃は、枕元の羊の縫いぐるみに話しかけた。
小学校に上がった年、両親から誕生日に貰った縫いぐるみ。まんまるでふわふわの羊は、今でも抱えていないと眠れないほどの、彼女のお気に入りだ。]
『千夏乃ちゃん。お昼ですよう。
今日のデザートは小児科名物、こだわり卵のとろけるプリン!』
[病室の扉ががらりと開いて、顔を覗かせたのは小児科の新人看護師。いつも元気で、患児たちからはおねえさん、と慕われている。]
わあ。ほんと?やったあ。
[味気ない病院食では、デザートが何よりの楽しみだ。
幸い今日は体調も良いから、そのやわらかな甘味を存分に楽しめる。]
…ねえ、おねえさん。
お隣、昨日はずいぶん騒がしかったけど、何かあったの?
[千夏乃がぽつりともらした一言に、新人看護師は一瞬、視線を泳がせた。]
『……おとなり?
ああ、何でもないのよ。心配することないわ。ちょっとだけ、具合がよくなくてね、でもすぐに先生がきてくれたし、もう、大丈夫』
[彼女の笑顔は少し、ひきつっている。
嘘が下手だな、と、千夏乃は思ったが、それは顔には*出さずに*。]
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